スローターハウス5 の商品レビュー
人が死んだ時に使われる「そういうものだ」っていう言い回しが癖になる。 古い作品で例えが分かりずらかったり、テーマのドレスデンの空爆に関する知識が皆無だったから、読みづらかった…
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「神よ願わくば私に変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと変えることのできる物事を変える勇気とその違いを常に見分ける知恵等を授けたまえ。」 というニーヴァの祈りがこの作品では重要な局面で登場してきます。 変える事のできるものと、変える事のできないもの。 その違いってなんなん...
「神よ願わくば私に変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと変えることのできる物事を変える勇気とその違いを常に見分ける知恵等を授けたまえ。」 というニーヴァの祈りがこの作品では重要な局面で登場してきます。 変える事のできるものと、変える事のできないもの。 その違いってなんなんでしょうね? 運命論または宿命論って考え方がありますね。 すべてはすでに決定されている、っていう考え。 その考え方が正しいのか間違っているのか それはボクにはわかりませんが、 このスローターハウス5では、 結構、その運命論みたいな考え方が 全編を覆ってますね。 主人公ビリーは宇宙人トラファマドール星人に誘拐されます。 そして彼らの過去現在未来について、 つまり時間に対する考え方を知ります。 彼らにとって未来はすでに決定済みのことであり、 それをどうこうしようとする事など 考えたことはない、ということです。 トラファマドール星人によれば、 今まで色んな知的生命と語り合ってきたが 未来を変えていこうとする「自由意志」と いう概念をもっているのは地球人が 初めてだ、という事です。 で、もしも宇宙人がいうように 自由意志なんてものは全く意味のないもので すでに未来はある程度すでに 決定していた、とするとどうなるのか? またはどのような態度で生きていくのが 良いのか?その答えみたいなものは 同じ作者の「タイタンの幼女」では、 作者の考え方が示されているんですが、 それよりもかなり後で書かれている本書では 明確に書いてはいませんね。 ちなみに答えとはいう感じではないのですが、 すでに決まっている未来において つまり自分は無力であると認識している 世界において主人公ビリーの視点を通して 作中でふたつほど人間の美しさが描かれています。 ひとつは捕虜収容所に向かうぎゅうぎゅう詰めの 列車の中で、粗末な食事を、平等に分け合う場面。 もうひとつは強制労働させられているシロップ工場で 見つかるリスクを取りつつ、友人にシロップを スプーンですくいとり舐めさせる。 そしてその友人は涙を流す、という場面。 そのあたりのシーンに作者は前述した問い、 もしも人が未来に対して無力だとした場合に どう生きていくべきなのか? その答えのヒントがぼんやりと書いているような気がします。 まあ、基本的には答えは読者にまかされている という感じではありますね、この小説の場合は。 自分的には部分的に運命論も正しい部分もあると思うし、 その考え方は時に人を救う場合もあるのだろうな、 とも思えます。 例えばこの作品のモチーフであるドレスデンの大空襲は 作者ヴォネガットが実際その場でその時体験したこと だということですから。 もしもね、そういう場面に出くわして 自分が生き残ったということになると やっぱり自分の無力さというのも感じてしまうものなのかなあ という事も想像してしまいます。 そして個人の力ではどうしようもない 「何か」があるということを考えざるを得ないだろう、とも思えますね。そんな時に運命論という考えかたに傾むこともあるのだろうと。 ただ自分的には100%運命論、または100%未来は未確定と はっきりと捉えることはできないなあ、と考えます。 変えられない事もいやになるほど多いけど 変えられる事も意外に多いんじゃない? (それを探すのは結構大変だったりするかも とは思いますが) そういう態度で行きたいなあ、とは思う、 という事をこの本を読んで感じましたね。 2017/04/10 11:45
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わたしはキリスト教的決定論を信じるタイプである。 運命はすでに決まっていてあとは神に導かれるまま生きるだけ だからこそ臆せずに自らをしっかり持って貴重な一日を生きることができるから。 あの時ああしていれば、わたしがこうしたせいで、という後悔の仕方はしない。自分がどのように行動し...
わたしはキリスト教的決定論を信じるタイプである。 運命はすでに決まっていてあとは神に導かれるまま生きるだけ だからこそ臆せずに自らをしっかり持って貴重な一日を生きることができるから。 あの時ああしていれば、わたしがこうしたせいで、という後悔の仕方はしない。自分がどのように行動しても遅かれ早かれその出来事は起こったのだとおもう わたしが後悔するのは失われてしまったものを大切にできなかったことについてだけであり、愛情とか、穏やかな時間とか、そういうものを十分に受け止められなかったことは心に引っかかり続ける ビリー・ピルグリムはそのような後悔さえしない。それは運命を先に知っているからということになっているけど、本当は失われるものがあまりに多かったから、そう考えずには生きていられないほど辛かったから、たどり着いた考えなのだろうともおもう 現在好ましくない状態にあるが他の瞬間には確かに生きているということ ああ、『海からの贈り物』から得たいちばん貴重な気付きもこういうことだったな ”我々は「二つとないもの」——二つとない恋愛や、相手や、母親や、安定に執着するのみならず、その「二つとないもの」が恒久的で、いつもそこにあることを望むのである。つまり、自分だけが愛されることの継続を望むことが、私には人間の「持って生れた迷い」に思える。なぜなら、或る友達が私と同じような話をしていた時に言った通り、「二つとないものなどなくて、二つとない瞬間があるだけ」なのである。” ほんとうに、これ!なのだ まだ起こっていないことを恐れて自分の可能性を狭めたくはない、日々よりよく生きることくらいしかわたしにはできないしわたしに変えることができるのはこの一瞬ごとだけなのである そして私はこういう運命に向かって淡々と進む物語が大好きなの、、、、 はじめから読み返しはじめたらもう常に心がぎゅっとなって ひっそりポロポロと泣くビリー・ピルグリムの気持ちになれます
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著者自身が体験したドレスデン空襲を題材にした作品。半自伝的小説。 内容は、主人公ビリー・ピルグリムが自分の意志とは無関係にさまざまな時間へ旅行する話。そのため次から次へと場面が変わる部分がある。 正直いつのまにか読み終わってしまってよくわからないが、あらゆる瞬間は過去も、現在も、...
著者自身が体験したドレスデン空襲を題材にした作品。半自伝的小説。 内容は、主人公ビリー・ピルグリムが自分の意志とは無関係にさまざまな時間へ旅行する話。そのため次から次へと場面が変わる部分がある。 正直いつのまにか読み終わってしまってよくわからないが、あらゆる瞬間は過去も、現在も、未来も存在するという、考え方は面白い。そういうものだ。
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けいれん的に起きる時間旅行のせいで最初のうちはとても読みにくく感じたが「そういうものだ」と思ってからは引き込まれた。捕虜生活、ドレスデン爆撃の、渦中にいながらもどこか達観した、俯瞰するような視点は『夜と霧』やら『If This Is A Man』など多くの死に触れ生き延びたもの独...
けいれん的に起きる時間旅行のせいで最初のうちはとても読みにくく感じたが「そういうものだ」と思ってからは引き込まれた。捕虜生活、ドレスデン爆撃の、渦中にいながらもどこか達観した、俯瞰するような視点は『夜と霧』やら『If This Is A Man』など多くの死に触れ生き延びたもの独特の何かを感じさせる。幸せな時から地獄へとたびたび行きつ戻りつする時の流れは死しても抜け出せない牢獄(作中の表現を借りれば琥珀に閉じ込められた虫)に閉じ込められた意識であり感情であると思うと、非常に壮絶で、苦しい。そういうものか?
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2017.02.13 『スローターハウス5』何年もかかってようやく読了。なぜ「第5屠畜場」のような邦題にしなかったのか、が大きな疑問。この方が余程作者の意図が反映されるような。途中まで題名との関連性がわからなかったが、最後は納得。自身の経験したドレスデン爆撃が作家として表現され...
2017.02.13 『スローターハウス5』何年もかかってようやく読了。なぜ「第5屠畜場」のような邦題にしなかったのか、が大きな疑問。この方が余程作者の意図が反映されるような。途中まで題名との関連性がわからなかったが、最後は納得。自身の経験したドレスデン爆撃が作家として表現されている
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最初は、筋も山場もよく分からないまま、漫然と読んでしまったので、再読。 集大成的なキャストやすわ名言という文章も多いのだけど、やはり無性格に描かれた登場人物たち、ブツ切りにされた筋、感じのいいエピソードなんてほとんどない、カート・ヴォネガットの作としてはやはり実験作、あるいは失敗...
最初は、筋も山場もよく分からないまま、漫然と読んでしまったので、再読。 集大成的なキャストやすわ名言という文章も多いのだけど、やはり無性格に描かれた登場人物たち、ブツ切りにされた筋、感じのいいエピソードなんてほとんどない、カート・ヴォネガットの作としてはやはり実験作、あるいは失敗作と言えるのかもしれない。ただ、そこまであの手この手を使ってまで伝えたかった(それもどうやっても伝わらないと確信しながらも)ことがある、ということだけはひしひしと伝わって来る。
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ひょっとして、おれはヴォネガットの小説が合わないのではないか・・・?という溝がある意味決定的になってしまった作品。「スラップスティック」が個人的にはツボで、「タイタンの妖女」で???となってしまったので、起死回生の一冊と思い手に取ったのだが・・・。 こいつの主人公、いっつも時間旅...
ひょっとして、おれはヴォネガットの小説が合わないのではないか・・・?という溝がある意味決定的になってしまった作品。「スラップスティック」が個人的にはツボで、「タイタンの妖女」で???となってしまったので、起死回生の一冊と思い手に取ったのだが・・・。 こいつの主人公、いっつも時間旅行してやがんなと思いつつ、軽やかな文体から考えさせられる部分は考えさせられるのだが・・・どうも自分にはナンセンスさが強すぎる印象がある。
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この少し奇妙な物語を一体どう説明したものだろう。 これは、著者が第二次大戦時、ドレスデンで経験したことを描いた半自伝的作品であり、登場人物が宇宙人(トラルファマドール星人)に掠われ、時間旅行者となるSF小説であり、そしてまた、強烈なアイロニーと悲哀をたたえたアメリカン・ユーモア小...
この少し奇妙な物語を一体どう説明したものだろう。 これは、著者が第二次大戦時、ドレスデンで経験したことを描いた半自伝的作品であり、登場人物が宇宙人(トラルファマドール星人)に掠われ、時間旅行者となるSF小説であり、そしてまた、強烈なアイロニーと悲哀をたたえたアメリカン・ユーモア小説とも言える。 3つのある種、非常に異質なものが作り上げた、風変わりな、しかし「真実」の物語である。 著者・カート・ヴォネガット・ジュニアは、少年といってもよいほどの若さで召集され、ドイツ戦線に派兵される。独軍の最後の反撃ともいえるバルジの戦いで捕虜となり、ドレスデンに移送される。彼が移送された直後の1945年2月、米軍によるドレスデン爆撃が行われる。歴史のある美しい街、ドレスデンは、壊滅的な被害を受ける。 まるで月面のようになってしまった廃墟で、捕虜たちは事後処理(つまりは遺体の処理)に従事する。 ヴォネガットは、自身を主人公には据えず、著者の分身のようなビリー・ピルグリムという若者を作り出している。戦功とはほど遠い、不格好で、碌な武器も持たされず、右往左往する若者である。 ビリーはあるとき、緑の身体のトラルファマドール星人に捉えられ、彼らの動物園で展示されることになる。そのときから彼は、「痙攣的」時間旅行者となる。いつ時間旅行するか、どこへ時間旅行するか、自分自身では決められない。未来へ飛び、過去へ遡り、地球へ行ってはまたトラルファマドール星の動物園に戻る。 何度も時間旅行をしたため、彼は自分の地上の人生で何が起こるかを知っている。 トラルファマドール星人は時間を流れとは捉えておらず、過去から未来、すべての時間を俯瞰することが出来る。 トラルファマドール星人に感化されたビリーは、生き続け、死に続け、時を渡る。ドレスデンの「そのとき」を軸に。 スローターハウス5とは、ビリー(ヴォネガット)が収容された建物で、食肉処理場第5棟を意味する。実際にはそこで「処理」されるべき肉は軍の胃袋に収まり、もはや名ばかりだったのだけれども。 本書には戦時の多くの挿話が描かれる。誰よりも頑強な身体を持っていたのに、爆撃後のドレスデンでティーポットを盗んだがために処刑されてしまう元高校教師。意気地なしなのに、屈強な2人の兵士の仲間と思い込み、自らを加えて三銃士になぞらえるチンピラ。故郷を焼け出され、難民としてドレスデンに逃れてきた美しい十代の少女たち。 彼らの辿る運命は残酷で、はかない。 ヴォネガットはユーモアをたたえつつ、不条理な現実を辛辣に描く。「そういうものだ(So it goes)」と。 ヴォネガットはこの本を書き上げる前に、5000ページを費やしたが気に入らず、すべて破り捨ててしまった、と作中で言う。この本自体も失敗作だ、と、最初の章で断言している。 田舎出の若者が、突然外国に行かされ、武器を持たない大勢の人が瞬時に殺されるのを目撃し、さらには遺体の処理にも当たるのだ。それは、宇宙人に掠われることが大して異常とも思えなくなるほど、そして我々と違う時間の概念を持つ存在がいることを奇妙とも思えなくなるほど、異常な、奇妙な、怖ろしい体験ではなかったか。 どれほどの言葉を費やしても、どれだけ正確に描写しようとしても、到底現しきれない「地獄」。 いささか変わった手法で描かれたこの物語は、惨状を逆説的に見事に捉えているとも言える。 作中で、1人の人物がビリーに言う。人生について知るべきことはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と。「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」と。 小鳥のさえずりとともに、物語は幕を閉じる。 けれども物語は続く。生き続け、死に続けるビリーとともに、物語も読まれ続け、終わり続ける。
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タイトルの意味は"屠殺場5号" SFというより実体験の戦争小説 いやぁ〜ぶっちゃけつかれた!でもこれが適切な表現かどうかわからないけれど、決して押し付けがましくなくて、ユーモアまじりで落ち着きのある文章だったから読み切れた
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