「空気」の研究 の商品レビュー
日常の中にある、なんとなくそうは言えない「空気」と言っているものの正体が顕れた読後感。対策が根本的な解決策があると救われた思いがしたのだが、残念。
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"すごい本に出会った。 「空気」の研究。日頃から「空気」をいろんな場で感じている。その(場の)「空気」とは何かを考えている本。 どうして、「空気」が生まれるのか?発生するところをしっかり検証していく。これは、私が説明をするより、この本を読んで体験してほしい。"
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私はムラ社会文化が大嫌いなので、この本にはとても興味を持てました。 ただ若干難読で読破は正直つらい。内容は面白いんですが、けっこう執筆された時点での時事ネタが満載で、違う時代、違う「空気」の中で生きている私にとっては「?」の連続でもありました。書き口が軽快だから、辛うじて読める感...
私はムラ社会文化が大嫌いなので、この本にはとても興味を持てました。 ただ若干難読で読破は正直つらい。内容は面白いんですが、けっこう執筆された時点での時事ネタが満載で、違う時代、違う「空気」の中で生きている私にとっては「?」の連続でもありました。書き口が軽快だから、辛うじて読める感じです。出来れば現代版に誰かに書き直してもらいたいくらいです。 それでもこの本に本質的な考察があるからこそ、この本が長く読み継がれているんでしょうね。 海外の方がこの本を読んだらどう感じるのかというのにも興味があります。 まぁ最後まで読まなくとも、空気について再考する機会としては良い本です。
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科学的な展開ではないのでエッセイです。エッセイなのに、非常に読解困難で、薄いにもかかわらずぐったり疲れました。しかも読後に残っているのは「ははあ、現在日本では、科学的論理を超越してはびこる力があるね確かに。それを空気と言い換えたのは絶妙だね」という本の裏に書かれている紹介文以上...
科学的な展開ではないのでエッセイです。エッセイなのに、非常に読解困難で、薄いにもかかわらずぐったり疲れました。しかも読後に残っているのは「ははあ、現在日本では、科学的論理を超越してはびこる力があるね確かに。それを空気と言い換えたのは絶妙だね」という本の裏に書かれている紹介文以上の何物でもなかったりする。臨在感的把握の絶対化という言葉を使う必然性が最後まで得心できず。疑いをはさませない思い込ませ、でいいだろうに。名著らしいが読書力に自信のある暇な人にしか薦められない。
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日本社会に蔓延する「空気」の存在について、著者の膨大な知識量を総動員して研究考察した名著。 「物事を臨在感的に把握し、絶対化・神格化することによって人々はその対象に支配される。」空気の正体を早々に暴いた後には、空気のメカニズムを解き明かして行く。「これを信じ、行うものを暗黙的に...
日本社会に蔓延する「空気」の存在について、著者の膨大な知識量を総動員して研究考察した名著。 「物事を臨在感的に把握し、絶対化・神格化することによって人々はその対象に支配される。」空気の正体を早々に暴いた後には、空気のメカニズムを解き明かして行く。「これを信じ、行うものを暗黙的に純粋で善い人間と見て称揚し、これに反するものを排撃する」。空気の支配に対して「水(=通常性)を差す」行為は多くの場合黙殺され(この場合ここに自由はない)、またこれにより通常性を取り戻すことができたとて、今度はこれが新たな情況倫理を作る起点となり、この固定点は絶対化され、新たな空気を再構築するという無限ループに。これこそが空気が生み出される構造であると。 集団で1つの「ゴムの物差」を用いるのでなく、あらゆる命題は矛盾を含み、それを矛盾を含んだものとして受け入れる前提を各個が持つことが大事。物事を安易に絶対化せず、相対化するプロセスを取れるかどうか。 大戦の二の舞にならないためにも、作為的に生み出された空気に対し相対的議論が交わされる国、組織、人でありたい。 ===========以下蛇足 この空気というのは非常に厄介で、これに対して通常性を提示する行為というのはあくまで新たな空気を生む起点にしかならず、堂々巡りが待っている。 相対化。言うは易し、行うは甚だ難し。 であれば、どうせ空気に支配されてしまう民族、国家なのであれば、悪しき空気を変え、良い空気を醸成する人間でありたいもの。 作中で引用される第二次世界大戦や西南戦争のように、プロパガンダ的悪用を許さず、これらに対して様々な視点から相対的議論を闊達に行う国家、組織、個人でありたいと思うのである。
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センター試験現代文の1問目を延々と解いている感じ。難しいんだけど、内容そのものはとても新鮮というか緻密で驚きが多く示唆に富んでいる良書。言いたいことを具体例を挙げて示してくれるし、各章にまとめみたいなものもあるので、難しい内容を噛み砕いて分かりやすいように伝えてくれようとする想い...
センター試験現代文の1問目を延々と解いている感じ。難しいんだけど、内容そのものはとても新鮮というか緻密で驚きが多く示唆に富んでいる良書。言いたいことを具体例を挙げて示してくれるし、各章にまとめみたいなものもあるので、難しい内容を噛み砕いて分かりやすいように伝えてくれようとする想いが伝わってくる。 時間をかけてゆっくり理解するといいんだろなと思うけど、以下抜粋しつつまとめると 日本人が支配されつづけてきた「空気」は臨在感的把握(物神化)から生じるもので、それには感情移入を前提とする。ひよこにお湯を飲ませたのは、ひよこに自分を投影したからであり、そこには一切の科学的啓蒙が排除されている。カドミウムの例では、いわばカドミウムの棒にイタイイタイ病の悲惨さや恐れを乗り移らせ、いわば感情移入し、記者をのけぞらせた。空気は時には科学の実証をも覆すほどの強い力だし、良くも悪くも今日の日本人は空気の支配によって成り立ってきた。 一方、その空気を消して現実に引き戻す役割にあるのが文字通り水を差す、の水である。これはイコール通常性である。通常性の基本は「日本的状況倫理とその奥にある論理」であり例えば「暴力はいけないことだがあの状況であの空気であれば致し方ないことである」というような倫理観である。これは論理的に説明ができるという点で、空気とは異なる。その通常性、つまり状況的倫理観を産むには、その尺度を決める全てを超越した存在が必要であり、文中のオール3生徒になぞらえればそれは教師であり、また当時の天皇でもあった。日本人特有の倫理観はまた「父と子が互いに隠すのが直きこと」ともいえる。それはカドミウムを例にとっていえば、イタイイタイ病の原因はカドミウムではないが、その事実は父は子のために、子は父のために隠される。事実であっても真実ではなくなる。そうなれば真実をいかに究明しようともそれは通用しなくなるのである。 しかしここにきて、結局のところ水の存在が新たな空気を作り出すことに気づいたのであった。我々が空気に支配されないようにするには、結局のところ父と子の関係に染まらないような自由主義的に生きるか空気からの脱却を目指して戦い続けるかしかない。
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これは凄い日本人論。水=通常性は当時の知識がないので分かりにくかったが。 抗空気罪で社会的に人を葬り去ることもある、ほぼ絶対的な支配力をもつ判断の基準である空気。論理よりも空気。臨在感的把握。それは物だけでなく言葉もそう把握されうる。相対化することができるか、水をさすことができる...
これは凄い日本人論。水=通常性は当時の知識がないので分かりにくかったが。 抗空気罪で社会的に人を葬り去ることもある、ほぼ絶対的な支配力をもつ判断の基準である空気。論理よりも空気。臨在感的把握。それは物だけでなく言葉もそう把握されうる。相対化することができるか、水をさすことができるか。ただ水をさすことすらそれかできる空気を醸成しようということになり、その空気にも水をさせる、結局は空気と水しかない。そして面白いのは米軍人が現人神を信じていたら進化論を受け入れているはずがないという驚きに著者が驚いたこと。意外と昭和までは空気に飲まれたら情けないといった考えもあったよう。
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実はこの人の本を読むのは初めてだ。 本書の「空気」とは、あああれか、とすぐ察しがつくほど日本文化に「空気」概念の重要性は行き渡っている。最近でも「空気が読めない」などと、若者たちも相変わらず「日本的」な概念体系の内側にいるなあ、と思わされるものがある。 しかしこの「空気」と...
実はこの人の本を読むのは初めてだ。 本書の「空気」とは、あああれか、とすぐ察しがつくほど日本文化に「空気」概念の重要性は行き渡っている。最近でも「空気が読めない」などと、若者たちも相変わらず「日本的」な概念体系の内側にいるなあ、と思わされるものがある。 しかしこの「空気」という概念は非常に漠然としており、思うに、様々な概念の集合した、輪郭の無い概念であるのかもしれない。 本書で扱われる「空気」とは、たとえば社内の全体の意向として、上司により明示されたわけもないのに「我が社内での空気としては・・・」という、ある種の規範を示唆した物言いがよく使われている。 資金も燃料も不足していたのに戦争に突入した日本も「そういう空気に支配されていた」のであり、戦艦大和が無謀にも関わらず「出撃せねばならない空気」に支配されて特攻したのである。本書で繰り返し呈示されるのはこうした「空気」だ。 この「空気」なるものの出現(発端)を探って著者は、人骨を一日中触り、これを運ぶ労役に従事した日本人は心に変調をきたし、外国人は何でもなかった、という例を指摘する。 ここはちょっと「空気」論とは微妙に外れているのでは無いかと私は思うのだが、要するにこの人骨の場合は民俗的な「ケガレ」感覚が日本人には強く残っており、人骨なるものへの複合的イメージが、それに四六時中触れるうちに心理の奥底にストレスフルに作用したということになるだろう。 これは個人レベルに根付いているイメージなのだが、「社内の・・・」とか、若者たちが「今の空気」を云々する10名以下の小集団から40名程度の中学高校の学級集団が想定されている場合、それは人と人とのあいだ(間主観性)、あるいは、人々の集合の全体としてイメージされている集団ゲシュタルトが問題になっている。 また、本書では「空気」論の根底にあるものを、福澤諭吉のような合理主義改革が取り残してしまったアニミズム的な日本の伝統的心性に求めている。 そこはなるほどな、と思うフシもあるのだが、「空気」なるものの更に深い追究ができないものかとやきもきしているうちに、本書は終わってしまった。 したがって、さまざまな文献を引いてきて豊富な具体例を呈示してくれる本書ではあるが、私としては突っ込みがやや足りない・甘いようにも感じた。 全体的にどちらかというとエッセイふうであり、学術的な書物とは言えない。私はもっと社会学的・哲学的にこの問題を究めてほしかったと思った。
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タイトル通り「研究」の本。私のレベルでは、この分野の「研究」を理解するのが難しい。対象は一般人ではなさそう。空気について長々と説明。過去の戦艦大和の「空気」を何度か引用している。 空気を壊して現実に戻すには、「水」を差す。「水」を差す自由がなかった、ということらしい。
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◯対象の相対性を排してこれを絶対化すると、人間は逆にその対象に支配されてしまうので、その対象を解決する自由を失ってしまう。(63p) ◯人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし、把握しなければならないのである。(74p) ◯空気が醸成される原理原則は、対象の臨在感的把...
◯対象の相対性を排してこれを絶対化すると、人間は逆にその対象に支配されてしまうので、その対象を解決する自由を失ってしまう。(63p) ◯人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし、把握しなければならないのである。(74p) ◯空気が醸成される原理原則は、対象の臨在感的把握である。そして臨在感的把握の原則は、対象への一方的な感情移入による自己と対象の一体化であり、対象への分析を拒否する心的態度である。(154p) ★日本人の特性として空気に支配されることがあることは常に自覚しなければならない。
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