「空気」の研究 の商品レビュー
日本人論の古典と言われていた本書をいつか読みたいと思っていて、ようやく購読。 いわゆる「山本学」の典型と言われている作品だけに、客観的評価も高い作品である。 本書は「日本的空気」における考察に加えて、客観論や現実論を、空気との対比で「水(=通常性)」として持論を展開し、最後に日...
日本人論の古典と言われていた本書をいつか読みたいと思っていて、ようやく購読。 いわゆる「山本学」の典型と言われている作品だけに、客観的評価も高い作品である。 本書は「日本的空気」における考察に加えて、客観論や現実論を、空気との対比で「水(=通常性)」として持論を展開し、最後に日本人的根本主義について述べている。 本書に対する書評の中には、冒頭の日本人的空気における論考をさっと読んだだけの「そんなの当たり前すぎて論考するまでもない」というネガティブな意見も多いが、それは浅薄な書評と言わざるを得ない。 著者は日本人的空気の特徴は「臨在感的把握」に依るものであるという。 この言葉が直感的に分かり難く、かつ随所に現れるので読者としては少々混乱するところとなろうが、要は日本人はある事象に対してそこに実際にあること(臨在感的把握)として受け止めてしまう特性があるというのが著者の持論である。 西南戦争、大東亜戦争における戦艦大和の出撃、高度経済成長期の公害問題等における、現代からみれば多少首をかしげたくなるような様々な事象や意思決定の背景には、それらの事象が臨在感的把握に把握された挙げ句に絶対化された故に生じたものとしている。 また、昨今のKYという言葉に象徴されるような空気だけの論考に留まらず、「水を差す」という言葉に代表されるように、水を客観論や現実論として空気と不可分一体のものとして考察している点は深いといえよう。 しかも、この通常性が、実は日本人的空気を生み出す温床であり、それが結果として日本人の「個人の自由を許さない社会」を創りあげていると結論づけている点は特筆に値する。 ただ、他の多くの書評にも述べられているように、文体にクセがあり過ぎて読むのに骨が折れる。 また、“研究”と謳っている割には論理性や客観的データに立脚した論旨展開に欠けている感は否めない。 最終章の日本人的根本主義(ファンダメンタリズム)に関しての論考は、著者の専門である聖書をベースに展開されているものの、聖書の知識がない自分としては正直ほとんど腹に落ちなかった。 また、これからの不確定な時代を日本人はどのように生きていけば良いのかという指南がないことも少々残念であった。
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山本七平『空気の研究』が興味深かった。 「そういう空気」というものが、法律や客観的データをこえて全体意思を決定してしまうのである。 学生時代気持ち悪いくらいに感じていたあの居心地の悪さの正体に肉薄していた。 暴力的に公然と「空気に合わないもの」が排除され、個人を個人で居させて...
山本七平『空気の研究』が興味深かった。 「そういう空気」というものが、法律や客観的データをこえて全体意思を決定してしまうのである。 学生時代気持ち悪いくらいに感じていたあの居心地の悪さの正体に肉薄していた。 暴力的に公然と「空気に合わないもの」が排除され、個人を個人で居させてくれない言葉にできないあの息が詰まるような感じ。 あのやり場のない怒りを一体どこに向ければいいのか。 中島義道氏の『対話のない社会』にも相通じるものがあるかもしれない。 戦争に突入し、戦艦大和を撃沈させたのも、天皇を現人神にしてしまったのも、 日本の「空気」がそうさせたのだという。 客観的な事実や研究結果ではなく、空気が全てを決定してしまうほど、 神聖不可侵にして犯すべきものが空気であり、 その空気は、ある時力を有していても、時季が変わるや否や、その神聖不可侵な対象は移り変わっていく。 そして、どちらが善でどちらが悪かというような、分かり易い対立軸が生まれる。 一方、一神教やヘブライズムにおいては、 契約以外の一切が、「神の名前」までもが徹底的に相対化されうるため、「空気」は生まれようがない。 イスラエルの遺跡発掘の際、人骨がバラバラ出てきた時、 イスラエル人たちは平気であったが、日本人たちは調子を崩したそう。 イタイイタイ病の元凶がカドミウムと言われた時も、記者会見の際、学者がカドミウムの棒を実際持ち出したら記者団はひっくり返り、学者がカドミウム棒を実際舐めてみせても放射能に対するかのような反応を見せた。 日本人は、善意でひよこに白湯を飲ませ殺し、善意で赤ん坊のベッドにカイロを入れて殺してしまう。 実は、この空気、 「アニマ」「プネウマ」「ルーアッハ」、 聖書でいうところの「霊」と同じというのである。 日本の精神源流にある「アニミズム」は、ラテン語のアニマから来ているが、 これはギリシャ語やヘブライ語にいうところの「霊」「風」「息」。 この「空気」はその時々において、「絶対的な判断基準」となるが、 その空気の赴く対象は次々と別のものに乗り移っていく。
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夏休みの自由研究に、このタイトルで 模造紙1枚にまとめた子には、図書券1万円! 内容は太平洋戦争勃発から終結まで 日本を「動かした」ものについて。 日本に特有と言われるいわゆる 「その場の空気」。 権力者をも不可逆的な暴挙へと煽動する、 権威そのものでもなく固有名...
夏休みの自由研究に、このタイトルで 模造紙1枚にまとめた子には、図書券1万円! 内容は太平洋戦争勃発から終結まで 日本を「動かした」ものについて。 日本に特有と言われるいわゆる 「その場の空気」。 権力者をも不可逆的な暴挙へと煽動する、 権威そのものでもなく固有名称も持たない何か。 現代でもその空気感は存在していると感じる。 ただ、新しい価値観との邂逅、小説より奇なる 事態が起きる度に、そういう漠然とした空気感の 輪郭が徐々に明らかにされつつある、というのが 現代の面白いところであり価値だと思う。 茂木健一郎のクオリアのように、それを 対象として扱える時代だと思う。
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HPVワクチンの、子宮頸がん発症予防への有効性は医学的に認められており、世界的にも普及をしている。しかし、我が国での普及は燦々たるものである。 最近、あるジャーナリストが、厚労省の官僚にインタビューした記事を目にした。HPVワクチン接種の推進についての記事である。インタビュ...
HPVワクチンの、子宮頸がん発症予防への有効性は医学的に認められており、世界的にも普及をしている。しかし、我が国での普及は燦々たるものである。 最近、あるジャーナリストが、厚労省の官僚にインタビューした記事を目にした。HPVワクチン接種の推進についての記事である。インタビュアーは“何でワクチン接種を推進してこなかった?科学的根拠をもってやるべきでは?”という問いかけに対して、官僚は“当時の空気ではできなかったですよ”と返していた。 “空気”のために、何人の人間が命を落とすことになったのだろう? 厚労省の官僚すら贖えない“空気”、なんだ?これ?いったい? 本書は、“空気”を論じたものである。文章が難解なため、単純に整理が困難であったため、私の解釈も入れて、“空気”を説明してみようと思う。 まず、著者は、“空気”の説明に、“臨在感的把握”という単語を使っている。簡単に言うと、ある出来事や物に対して感情移入してしまう、ということか。臨在感的把握をしてしまうと、出来事や物を絶対化し、判断を支配されてしまう! これは日本人独特で、西欧人にはないようだ。西欧は絶対的なものは神のみであり、自明の理である。その他のものは全て相対的に把握するものである。なので、出来事や物に対して臨在感的把握をすることはありえず、相対的に把握をする。行き着いた先は、合理的に出来事や物を把握することである。 日本の場合、古来、多神教だった。なので、いろんな出来事や物に対して臨在感的把握をして、絶対化してきた。相対化する必要などなかった。もし一つの絶対化が崩れたとしても、別の出来事や物に対して臨在的把握をして、絶対化をすればよいだけである。ものごとの可否の判断に着いても、可、否を相対的に判断するのではなく、それぞれを絶対化してしまう。特に日本では、相対化して考えるより、絶対化して考える方が、はるかに楽なんだ。 すると、“この社会”はどんな社会になっているの?逆説的だが、構成しているメンバーは、絶対化された対象の前では、皆平等である。絶対化された対象は、メンバーに対しての物差しとなる。その物差しを君とする。ここに“一君万民”の社会ができる。君を覗いたメンバー同士の関係性は、家族的となる。万が一、“一君万民”に対して矛盾に見える出来事が起こると、メンバーの間で、出来事そのものの存在をなかったことにする。メンバーは互いに家族なんで、これができる。こうやって秩序を保持する。“この社会”のメンバー間の関係性が“空気”である。 “この社会”が一旦確立してしまうと、方向転換ができず、“鎖国”となる。最終的には自滅する。しかし、自滅後も“この社会”は別の出来事や物を臨在的把握し、絶対化するだけである。 では“空気”がなくなるのは?どういうきっかけなんだ?その一つに“水を差す”行為がある。定義は困難なようで、著者も、少しずつ浸み込んで行って腐食させるもの、とだけ書いているが、つまりは“それを言っちゃあ、おしまいよ”てなことである。ただ、これが通用するのは空気が形成されたごく初期なんだろう。 他に方法はないのか?著者の定義では、“この社会”が自滅するのを待つしかない、ということになる。 HPVワクチンに当てはめて考えると、ワクチン推進派、反ワクチン派で比較すると、臨在感的把握を行い、“空気”を形成しているのは、反ワクチン派である。ワクチン非接種という“出来事”を絶対化し、“この社会”を形成している。 すると、解決には、反ワクチン派の意見に“水を差す”ことができるかもしれない。しかし、もはや水すら効果がないところに来ている。 最終的には、反ワクチン派の自滅を待つしかない、というのが、著者の意見になる。 ただ、もう一つだけ、本書では少ししか触れられていなかったが、可能性がある。日本人は出来事や物に対して臨在感的把握を行い、絶対化する、と書いた。しかし、“この社会”を形成するには多くの日本人が、出来事や物に対して同じように臨在感的把握を行い、絶対化する必要がある。たまたま形成されることもあるだろうが、そんなにうまくいくだろうか?おそらくは多くの場合は、典型的日本人ではない、非典型的日本人による誘導ではないか? つまり、自らが非典型的日本人となり、出来事や物を臨在感的把握を行うように仕向ける、ということである。 ただ、厚労省の役人ですらできなかったこと。できる人は・・・日本で数十人レベルかも・・・
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山本七平氏が、「空気」=忖度や「水」について書いた本。 「(差別の道徳)人間には知人・非知人の別がある。人が危難に遭ったとき、もしその人が知人ならあらゆる手段でこれを助ける。非知人なら、それが目に入っても、一切黙殺して、かかわりあいになるな、ということになる」p13 「「戦艦大和...
山本七平氏が、「空気」=忖度や「水」について書いた本。 「(差別の道徳)人間には知人・非知人の別がある。人が危難に遭ったとき、もしその人が知人ならあらゆる手段でこれを助ける。非知人なら、それが目に入っても、一切黙殺して、かかわりあいになるな、ということになる」p13 「「戦艦大和」「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(小沢治三郎)大和の出撃を無謀とする人々にはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。最終的決定を下し「そうせざるを得なくしている」力を持っているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である」p15 「「せざるを得なかった」とは「強制された」であって自らの意思ではない。そして彼を強制したものが真実に「空気」であるなら、空気の責任はだれも追及できないし、空気がどのような論理的過程をへてその結論に達したかは、探求の方法がない。だから「空気」としか言えないわけだが、この「空気」と「論理・データ」の対決として「空気の勝ち」の過程が、非常に興味深く出ている一例に、前述の「戦艦大和」がある」p17 「(戦艦大和)そこに登場するのがみな、海も船も空も知り尽くした専門家だけであって素人の意見は介入していないこと。そして米軍という相手は、昭和16年以来戦い続けており、相手の実力も完全に知っていること。いわばベテランのエリート集団の判断であって、無知・不見識・情報不足による錯誤は考えられないことである 。(沖縄に無傷で到達できるという判断)その判断の基礎となりうる客観情勢の変化、それを裏付けるデータがない限り、大和出撃は論理的にはありえない」p17 「「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。なにしろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない」p19 「ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するわけだが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を現実に引き戻すことを意味している」p91 「「いつまでもサラリーマンじゃつまらない」「独立して事業をやるか」ぐんぐんエスカレートし具体化していく。すべてがバラ色に見えてくる。そしてついに「やろう」となったときにだれかが「先立つものがネエなあ」一瞬でその場の空気が崩壊する」p92 「(渡部昇一)自由主義とは資本主義のことだが、社会主義も国家社会主義も資本主義の矛盾が生み出したものである。資本主義も初期の資本主義とは違って、かなり自由ではなくなって社会主義化しているし、この趨勢は避けられない」p166 「ストーブが5分後の未来において、人の体に触れたときどういう状態になるかをいくら説明しても、日本人はそれを信じないということである。臨在感的把握は、それが臨在しない限り把握できないから、これは当然のことと言わなければならない」p217 「「ジュッと熱く感じない限り理解しない人たちだから、そんなことをすればどうなるかいかに論証したって耳は傾けない。だから一度やけどをすればよい」といった一種の諦めの発言であり、これは戦争中にもある。そしてそれが終わって空気が消失すれば、結局また同じことを言うわけである。「日米の生産力・軍事力の違い、石油・食料の予測、小学生でもわかる計算がなぜできなかったのか」人々は臨在感的把握に基づく直接的行動が自分に思わぬ結果を招来することを何となく知ったわけである」p218
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「理に働けば角が立つ。情に差を指せば流される。とかくこの世は生きにくい」漱石(草枕) 理に働く、つまり「水を差す」蟷螂之斧、一寸の虫にも五分の魂 と、流れに抗することを尊ぶ文化があった。しかし、「情に流される」体制に従う。まさしく「空気を読む」長いものには巻かれろ 無「理」するな...
「理に働けば角が立つ。情に差を指せば流される。とかくこの世は生きにくい」漱石(草枕) 理に働く、つまり「水を差す」蟷螂之斧、一寸の虫にも五分の魂 と、流れに抗することを尊ぶ文化があった。しかし、「情に流される」体制に従う。まさしく「空気を読む」長いものには巻かれろ 無「理」するな 結局は「忖度」意を体して、上意下達 の 現代文化。異を唱え、水を差すものは KY と足を引っ張る。 原子力発電の安全性。しかし、東北原発の事故で、突風が吹き、反原発の「空気」が吹き荒れた。官民挙げての「TPP反対の空気」 それらが鎮まると、いつの間にか、旧来の原発安全、再稼働、原発技術の輸出、TPPに反対した議員たちは、今は何食わぬ顔で変身、説明責任もない。いつの間にかTPPはできている。 「空気」にも2種類あるようだ。マスコミの時事ネタの流行を追う「空気製造機」が噴き出すブーム的な空気。そして滞留し、上っ面の「空気」が去った後、変わらず残っている「空気」 建前と本音 といっていいのだろうか。反原発の時は、じっと台風一過を待つように耐え、去ったあと再び原発を推進する。事故前と何も変わらない無責任体質。19.2.8
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※このレビューにはネタバレを含みます
「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行なったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。(p.19) 西南戦争は、いうまでもなく近代日本が行なった最初の近代的戦争であり、また官軍・賊軍という明確な概念がはじめて現実に出てきた戦争である。こういう見方は、戦国時代にはない。同時に、大西郷は、それまで全国民的信望を担っていた人物である。従って西郷危しとなれば、全国的騒乱になりかねない、否、少なくとも「なりかねないという危惧」を明治政府の当局がもっていた戦争である。ということは「世論」の動向が重要な問題だった最初の戦争であり、従ってこれに乗じてマスコミが本格的に活動し、政府のマスコミ利用もはじまった戦争である。(p.46) (吉田信美氏)いまでも考えつつけていることは、なぜこんなに「大過に充ちた」郊外行政が生まれてきたのかという根本問題である。結論的にいうと、どうも日本人の気性に根ざしているような気がしてならないのだ。36年に四日市にぜんそく患者が大量に発生し……(その後いろいろあって)……杉並区と世田谷区で光化学スモッグが発生すると瞬間的に自動車攻撃がはじまり、年末の国会では公害対策基本法が改正されて「経済の健全なる発展との調和」を図るという項目が削除されてしまった。なぜ、こんなにあわてて重要事項を削ってしまったのだろうか。熱しやすいにもほどがあるのだ。この……項目が削除されたことは、その後の環境行政の方向を誤らしめた重大過失だったと思う。(p.62) 宗教的回心なら、心の展開により臨在監的把握の対象が一変し、「古き神々を捨てて新しき神々をとる」ことによって、「古き自分を捨て、新しき自分に生きる」という現象が起こっても不思議ではない。その場合、過去の臨在観的把握の対象は、消えるか、否定の対象として”悪魔化”され、その結果、自己を拘束していた過去の”空気”が一瞬にして消え、その呪縛から解放されたと感じても不思議ではない。たとえそれが新しい対象への呪縛に身を委ねることであっても。(p.155) 臨在観的把握・空気の醸成・「父の子」の隠し合いの倫理、、以上に共通する内容を一言でのべれば、それは何なのか。言うまでもなく、それは「虚構の世界」「虚構の中に真実を求める社会」であり、それが体制となった「虚構の支配虚構」だということである。 虚構の存在しない社会は存在しないし、人間を動かすものが虚構であること、否、虚構だけであることも否定できない。従ってそこに「何かの力」が作用して当然である。(p.161) 戦後の一時期われわれが盛んに口にした「自由」とは何であったかを、すでに推察されたことと思う。それは「水を差す自由」の意味であり、これがなかったために、日本はあの破滅を招いたという反省である。従って今振り返れば、戦争直後「軍部に抵抗した人」として英雄視された多くの人は、勇敢にも当時の「空気」に「水を差した人」だったことに気づくであろう。(p.170)
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日本人独特の「空気感」の研究。戦艦大和が出航することを止められなかった空気等、後から考えればどうみても間違っていることが、当時の空気でよからぬ方向にいってしまうことがある。
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いつもの通り一神教周りの博識駆使した社会評論 評論なのだから同音反復読みにくいことに文句言っても仕方ないが 売り物なのだからもう少し論旨明確に書いてくれてもよさげである 内容はそうそうそうですねとしか言いようがない 宗教でも空気でもふいんきでもなんでもよいのだが そういうものだか...
いつもの通り一神教周りの博識駆使した社会評論 評論なのだから同音反復読みにくいことに文句言っても仕方ないが 売り物なのだからもう少し論旨明確に書いてくれてもよさげである 内容はそうそうそうですねとしか言いようがない 宗教でも空気でもふいんきでもなんでもよいのだが そういうものだからしかたないとしか 社会評論は結論づけようがないな 前も同じこと書いたな
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まじで難しい言葉で言えば良い本ぽく見えると思ってんのかってくらいつまんなかった 同じこと繰り返し言ってるだけだし、まとめたらA4一枚でなんとかなりそう
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