死者の奢り・飼育 の商品レビュー
手放しで称えれる大江健三郎の短編集。個人的には"他人の足"に深く感銘を受けた。 また、"飼育"には考えさせられた。期待を殺がれる、見放される、裏切られることで大人への道が生まれる。ある年齢までにこれらのことを深く経験していない、またはこれら...
手放しで称えれる大江健三郎の短編集。個人的には"他人の足"に深く感銘を受けた。 また、"飼育"には考えさせられた。期待を殺がれる、見放される、裏切られることで大人への道が生まれる。ある年齢までにこれらのことを深く経験していない、またはこれらのことに疑問を抱かない人間は金輪際大人になれないのではないかと思う。大人とはどんなものか、という基準の在り処は少年の目と心から見る大人の姿にある。
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ひさびさにすごい本を手にしてしまった。 今まで横目で気にしつつも、なんだか高いハードルがあるようで避けていた大江さん。 やはりすごい方でした。 傍観者への嫌悪と侮蔑をこめた『人間の羊』を、とりあえず読み終わったけど・・・ 最後すごいな・・・! まさかそんな終わり方とは! こん...
ひさびさにすごい本を手にしてしまった。 今まで横目で気にしつつも、なんだか高いハードルがあるようで避けていた大江さん。 やはりすごい方でした。 傍観者への嫌悪と侮蔑をこめた『人間の羊』を、とりあえず読み終わったけど・・・ 最後すごいな・・・! まさかそんな終わり方とは! こんな短編でここまで人間のなんというか、複雑さをまざまざと見せつけられるとは- これ、中高生に読ませた方がいいよ。 これ読んで何も気づかずいじめ続けるやつは一生いじめつづけるし、一生気づかないよ。 人間の尊厳というものがいかに重くていかに軽いか。 これをよめばよくわかります。 ふぅっと吹き消せば消えてしまうくらいのものだから、 一生懸命みんなで守っていかなければならないのかもしれない。 他のものも読んだらレビュります。
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死体を扱うという見慣れぬテーマながら、そこに生じる人間社会とは異質のコミュニケーションと、そこから振り返って見る、生の新鮮な再発見、人間社会のコミュニケーションへの戸惑い、すべてがどこか馴染みの深いもののように思われた。 死体の存在感についての描写は興味深い。現象学的に、僕らが...
死体を扱うという見慣れぬテーマながら、そこに生じる人間社会とは異質のコミュニケーションと、そこから振り返って見る、生の新鮮な再発見、人間社会のコミュニケーションへの戸惑い、すべてがどこか馴染みの深いもののように思われた。 死体の存在感についての描写は興味深い。現象学的に、僕らが生命ある者に向ける目と、生命なき<もの>へ向ける目の違い、またそれらが移り変わっていく様子がよく捉えられている。生きている人体に対しては、内在する力の働きや一つの生物としてのゲシュタルトから、「内部」へと透けて染み込むような存在感を感じるのに対し、完全な死体はやけに「表面」としての不透明な存在に感じられるということ。また、自分との関係から重要な性別の判断や、頭に対して感じていた存在としての意味の重さも、死体に対しては欠落するということ。普段、生きている人間をどう見ているかがわかる、とても参考になる証言だ。 内容そのものは、これだけで驚愕したりはしない。23歳での観察力と表現力はやはり凄いけれど。
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恥ずかしながら大江健三郎の『小説』を読了できたのはこれが一冊目だったりする。 (『あいまいな日本の私』『私という小説家の作り方』が既読ではあるが) まずはとにかくも濃密な文体だという印象である。よく大江は、ありとあらゆる面で村上春樹と比較されるが、村上の文体は考えずともすらすら...
恥ずかしながら大江健三郎の『小説』を読了できたのはこれが一冊目だったりする。 (『あいまいな日本の私』『私という小説家の作り方』が既読ではあるが) まずはとにかくも濃密な文体だという印象である。よく大江は、ありとあらゆる面で村上春樹と比較されるが、村上の文体は考えずともすらすらと呑み込んで行ける文体であり、大江のものはよく咀嚼しなければ意味が把握できないという点で決定的に異なっていると思う。然るに意味を把握するのが難しいと言えども、一度その文章に潜んでいる濃密さを味わってみると、これは一冊読んだくらいで何を偉そうにという話だが、なるほど一部には大江の文章に魅了される人々が出るのも判らないでもない。まあ、読み進むのに時間がかかるという難点もあるが……。 これが非常に初期の作品集であるということにも驚かされる。最近の芥川賞の作品等を読むとしばしば生まれてくる感情、つまり、「この程度の作品なら、ちょっと頑張れば俺でも書けるんじゃないか」 と言った奢りを含んだ感情が、この大江の作品を読む限りでは全く生じないのだ。要するに少なくとも僕は無意識的にも全く大江の才能には惧れ入ってしまったわけだろう。 『死者の奢り』はある種優等生のような作品でなかろうか、と思った。つまり小説に必要な伏線、描写、起承転結の話の運び等が非常に整っているのだ。なるほど大江のこの短編集を買って、初めにこの作品を読まさせられたら、嫌が応にも 「こんなレベルの作品は俺には到底書けないな」と思わされてしまうわけだ。しかし、この短編集全体を読んだ後に振り返ってみると、意外なほどインパクトの強くない作品であることに驚かされてしまった。これは『死者の奢り』が弱い作品であるというわけではなく、他のものが強すぎるということを意味しているのだと思う。 『飼育』には全く畏れ入った。色々な大江のエッセンスがこれでもかと詰め込まれており、濃密なこの6作の内でも群を抜いて、あたかも黒人兵の体臭のように『濃い』作品である。あまりに密度が高いため、短編でありながら一気に全部読むことはできず、消化に時間を掛けながらじっくり味わって行った、という感じだ。 『人間の羊』。まさかこの短編集で笑ってしまうとは思わなかった。何かのコントのようだが、それは人間の持つ本能的行動や心理を描き切った文学的なコントなのだ。普通の人間がとあるきっかけに狂気に走ってしまうことがあるという事を再確認させてくれる。教員はきっと学校では熱血教師で通っているに違いない。 『不意の唖』『戦いの今日』も優れた作品だと思うが、前4作が突出しすぎているために少々物足りなさを感じた。言い換えればその文体の密度が他よりも良くない意味で低いと感じたのである。前4つの作品だけなら非常に満足できる短編集という印象だが、そこにこの二つを加えたのは少々蛇足だったかな、という印象がある。事実前4つが『死者の奢り』の単行本に収録されていた作品であり、この二つはそうではなかったようだ。
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読んでいると、鬱蒼とした森の中にいるような気分になる。 顔はしかめっ面になり、息苦しくなる。 命の扱われ方が明らかに違う。 悲哀に満ちたものではなく、必然性を感じさせる。森の中では命のコントロールは効かない。 あとは過剰な自意識がもたらす余計なことの数々。心がちくちくする。...
読んでいると、鬱蒼とした森の中にいるような気分になる。 顔はしかめっ面になり、息苦しくなる。 命の扱われ方が明らかに違う。 悲哀に満ちたものではなく、必然性を感じさせる。森の中では命のコントロールは効かない。 あとは過剰な自意識がもたらす余計なことの数々。心がちくちくする。 読書にコストパフォーマンスって普通意識しないんだけど、大江健三郎は特別。この薄い一冊にこれでもかと重石を乗せてくる。
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解説は江藤淳。解説の解説が欲しい、切実に。 「「思想を表現しうる文体」とは実存主義的認識をてぎわよく小説化した、というほどの意味である」 人間を、特に米兵を、特に黒人兵を、動物として見ている。動物とは分かり合えない他者。 閉塞した状況に分かち合えない他者が訪う寓話群。 他者への...
解説は江藤淳。解説の解説が欲しい、切実に。 「「思想を表現しうる文体」とは実存主義的認識をてぎわよく小説化した、というほどの意味である」 人間を、特に米兵を、特に黒人兵を、動物として見ている。動物とは分かり合えない他者。 閉塞した状況に分かち合えない他者が訪う寓話群。 他者への屈辱と蔑視、怒り。 それらは黒々とした雄々しい陰茎へ仮託されている。陰茎は交わることがなく、ただそそり立つ。
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下記の六つの物語から成る短編集である。 •死者の奢り •他人の足 •飼育 •人間の羊 •不意の唖 •戦いの今日 このうち、”死者の奢り”、”他人の足”と残りの四つの物語とは題材によって分けることができるだろう。 ”死者の奢り”、”他人の足”では絶望という状況までは追い込まれて...
下記の六つの物語から成る短編集である。 •死者の奢り •他人の足 •飼育 •人間の羊 •不意の唖 •戦いの今日 このうち、”死者の奢り”、”他人の足”と残りの四つの物語とは題材によって分けることができるだろう。 ”死者の奢り”、”他人の足”では絶望という状況までは追い込まれていないが、希望も無い、どこにも行けないという閉塞感が漂っている。”死者の奢り”の主人公•僕は次の言葉を述べている。 「希望を持つ必要がないんだ。僕はきちんと生活をして、よく勉強しようと思っている。そして毎日なんとか充実してやっているんだ。僕は怠ける方じゃないし、学校の勉強をきちんとやれば時間もつぶれるしね。僕は毎日、睡眠不足でふらふらしているけど勉強はよくするんだ。ところが、その生活には希望がいらない。僕は子供の時の他は希望を持って生きた事がないし、その必要もなかったんだ」(p39) そして、”飼育”、”人間の羊”、”不意の唖”、”戦いの今日”では戦後間もない日本人と、駐留する外国人兵士との出来事である。描かれているのは支配、被支配の関係に生じる衝突ではない。反発を覚えながらも見慣れぬ兵士たちの風貌に興味と憧れを抱く描写がある。ここで身勝手に振る舞い、両者の空気を濁しているのは間に立つインテリ階層の人々なのである。”人間の羊”においては、兵士の暴力を止めずに、事後において同じ被害者のように振る舞い、兵士たちを権力に訴えるべきだと忠告してくる教師であり、”不意の唖”では日本人通訳。”戦いの今日”においては朝鮮戦争反対を訴えるパンフレットを作りながらも、戦争が嫌で脱走してきた兵士に対しては何も手を差し伸べようとはしない知識人。 六つの短編に共通していると思われるのは、どうしようもない閉塞感や不安、いらだちである。その対象は変われでも、問題は解決する事はなく、どこにも逃げられないのである。
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何とも言えない閉塞感、息苦しさ、違和感、グロテスクさ、初期大江文学の傑作がここに!特に、「飼育」が良い。
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外国人の描写が凄いなぁ…。 体臭、筋肉、皮膚や体格の違いが細かく書かれていて、戦中・戦後すぐの日本人がそれを奇異の目で見、時に恐れを感じてる姿がなんだかリアル。 外国兵の力を笠に着て威張る日本人、外国人に同胞が屈辱を味わわされても見て見ぬふり、それどころか外国人と一緒になって笑っ...
外国人の描写が凄いなぁ…。 体臭、筋肉、皮膚や体格の違いが細かく書かれていて、戦中・戦後すぐの日本人がそれを奇異の目で見、時に恐れを感じてる姿がなんだかリアル。 外国兵の力を笠に着て威張る日本人、外国人に同胞が屈辱を味わわされても見て見ぬふり、それどころか外国人と一緒になって笑って見てる日本人の姿も怖かった。 「飼育」は、最初恐れていた黒人捕虜とだんだん友情めいた物を築きながらも、所詮今は戦争の真っ只中であり相手は敵兵だという現実が、幼い少年に残酷に突きつけられる様が読んでいて怖くて悲しかった。
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命あるものとないものの境目を探る『死者の奢り』、閉鎖された社会における調和とその崩壊を描く『飼育』、どちらも名著である。
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