アンダーグラウンド の商品レビュー
地下鉄サリン事件の被害者や、オウム真理教の(元)信者へのインタビュー集。『システムと個人』をテーマにした作品の多い著者ですが、これもノンフィクションながらその一つと言えるかも。 社会が許容できなくなったカルト集団についてのルポ、という感じです。『神の子どもたちはみな踊る』や『1Q...
地下鉄サリン事件の被害者や、オウム真理教の(元)信者へのインタビュー集。『システムと個人』をテーマにした作品の多い著者ですが、これもノンフィクションながらその一つと言えるかも。 社会が許容できなくなったカルト集団についてのルポ、という感じです。『神の子どもたちはみな踊る』や『1Q84』とあわせて読んでも面白いかと。
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以前買ったが、実家においてきてしまっていた。図書館で見つけ、ふと読みたくなり、重かったけどよいしょと借りて帰った。借りてからも、授乳の合間に読むには物理的にも心理的にも重かったため、しばらく放置していた。しかし、読み始めたら全然止まらなくなり、ずんずん読んだ。
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1995年3月20日の地下鉄サリン事件の関係者へのインタビュー。村上春樹の真摯な姿が目に浮かぶ。一人一人と向き合う姿勢は感服。読んで、心が苦しくなったし、涙も出た。でも、やはり、知らないより、知っている方がいいと思った。私の中で、オウム真理教、又、他の宗教、まだ、分からないとしか...
1995年3月20日の地下鉄サリン事件の関係者へのインタビュー。村上春樹の真摯な姿が目に浮かぶ。一人一人と向き合う姿勢は感服。読んで、心が苦しくなったし、涙も出た。でも、やはり、知らないより、知っている方がいいと思った。私の中で、オウム真理教、又、他の宗教、まだ、分からないとしか言えない。いつか、なにか分かるだろうか…
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地下鉄サリン事件の被害にあった方々の証言は生々しい。 それぞれ実に個性的な方々の証言が興味深い。 そして、村上春樹がむすびの部分で、指摘していることも考えさせられた。 「私たちを含んで機能している社会システムは多くの部分で、個人の自律的パワープロセス獲得を圧迫しようとする。」 ...
地下鉄サリン事件の被害にあった方々の証言は生々しい。 それぞれ実に個性的な方々の証言が興味深い。 そして、村上春樹がむすびの部分で、指摘していることも考えさせられた。 「私たちを含んで機能している社会システムは多くの部分で、個人の自律的パワープロセス獲得を圧迫しようとする。」 「オウム真理教に帰依した人々の多くは、麻原が授与する『自律的パワープロセス』を獲得するために、自我という貴重な個人資産を麻原という『精神銀行』の貸金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える」「それはかれらにとってある意味ではきわめて心地の良いことなのだ。何故なら、一度誰かに預けてさえしまえば、その後は自分でいちいち苦労して考えて、自我をコントロールする必要がないからだ。」 バンクスの次のような言葉が引用される「自我より大きな力を持ったもの、たとえば歴史、あるいは神、無意識といったものに身を委ねるとき、人はいともたやすく目の前の出来事の脈絡を失ってしまう。人生が物語としての流れを失ってしまうのだ。」 「自我を譲渡したその誰かから、新しい物語を受領することになる。」その物語は「粗雑で単純である方が好ましい。更に言えば、できるだけジャンクである方がいいかもしれない」「麻原彰晃にはそのようなジャンクとしての物語を、人々に気前よく、そして説得力をもって与えることが出来た。」 「それに対して、『こちら側』の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう?麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を」 そして、ここに小説家としての自分のなすべきことを見ているのである。 この課題は、私にも与えられている課題だと思う。 「まっとうな力を持つ物語」を語ることは、親、教師、友人としてなど、だれにでも与えられている課題であろう。
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この作品については批判などもあったが、この根気のいる膨大な時間を要する作業の積み重ねの結果の貴重な記録である。宗教団体が起こした大きなテロ事件をその被害者に面談し状況を聞き取り727ページにも渉る膨大なリポートを書いたことに敬服。何も行動を起こすことなく批判のみに終始する輩が多い...
この作品については批判などもあったが、この根気のいる膨大な時間を要する作業の積み重ねの結果の貴重な記録である。宗教団体が起こした大きなテロ事件をその被害者に面談し状況を聞き取り727ページにも渉る膨大なリポートを書いたことに敬服。何も行動を起こすことなく批判のみに終始する輩が多いが、作家「村上春樹」が成しえたこの功績は大きい。
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配偶者が死んでしまったひとから、比較的軽くすんだひとまで、それぞれの角度から事件を振り返る。日常のあっけない崩壊、突然の悲劇、すれ違う人間の狂気、どれも当然ですが物凄くリアルで、どうしようもなく不安になった。
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地下鉄サリン事件の被害者遺族へのインタビュー集。あの日犠牲になった人、周りの人、1人1人の人生が想像できてとても辛い気持ちになった。けれど、あの日何が起きたのか、を多少なりとも知ることができた気がして、読んで良かったと思う。
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地下鉄サリン事件のインタビュー 読むほどに日本人の勤勉さが伝わり、事件の大きさ、被害に遭われた方の無念理不尽さが伝わり悔しい
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世界を震撼させた地下鉄サリン事件。 著者の村上春樹氏が被害にあわれた62名の方に(事件の1年後)丁寧にインタビューを重ねた記録書である。 「オウム関係者のプロフィールが魅惑的な物語として伝播されたのに対して、被害者=一般市民の扱いがあまりにもとってつけたようで…」と村上氏は大きな...
世界を震撼させた地下鉄サリン事件。 著者の村上春樹氏が被害にあわれた62名の方に(事件の1年後)丁寧にインタビューを重ねた記録書である。 「オウム関係者のプロフィールが魅惑的な物語として伝播されたのに対して、被害者=一般市民の扱いがあまりにもとってつけたようで…」と村上氏は大きな疑問を持つ。 被害にあわれた方の人となりを知りたい。何を経験して、何を見たのか?被害者を単なるワン・オブ・ゼムで終わらせたくない!それが著者を突き動かす。 「文責はすべて村上にある」という正直な姿勢に打たれる。 サリンにおかされた人が身体的にどういう症状を起こすのか、インタビューから克明に伝わってくる。 これは今後次世代にも受け継がれなければならない貴重な資料になるのではないか。 殆どの方が症状があるにもかかわらずなんとか踏ん張って会社に行こうする姿が読んでいて痛々しい。 遅れる救急車、機能しない警察トップ…「圧倒的な暴力」に対してあまりにも無防備な日本という国。そしてオウムを生み出した風土、日本に対して一石を投じる本書。この本から「学ぶ」のではなく「体験」し、気付かせていく気迫が伝わってくる。
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『私たちが何かを頭から生理的に毛嫌いし、激しい嫌悪感を抱くとき、それは実は自らのイメージの負の投影である場合が少なくない』-『目じるしのない悪夢』 1995年3月20日。その日のことをきっと思い出すだろうと思いながら読み始める。そしてきっとそれ以上のことは書けないのだろうなとも...
『私たちが何かを頭から生理的に毛嫌いし、激しい嫌悪感を抱くとき、それは実は自らのイメージの負の投影である場合が少なくない』-『目じるしのない悪夢』 1995年3月20日。その日のことをきっと思い出すだろうと思いながら読み始める。そしてきっとそれ以上のことは書けないのだろうなとも覚悟する。忘れていた筈のことが、実はまだ封印された記憶として残っていることが明らかになる。それは客観性のある記憶ではない可能性もあるが、本書の記述を読んで、その日の朝の自分の4次元的位置を再認識し、腑に落ちることも多々ある。 それは自分にとって久し振りの日本の春だった。翌日の春分の日の祭日を控え(それは自分たちの結婚記念日でもあるので)休みをとっても良さそうなものだったのだが、いつも通り取手発の千代田線の先頭車両に乗り込んだ。その「問題の列車」から約30分程後続の列車である。常磐線快速で上野そして山手線で新橋を出るという通路もあるけれど、取手始発の千代田線(常磐緩行線)は無理せずとも座席に座れるので、入社以来の定期券はは取手-霞が関(北千住経由)だった。 千代田線は綾瀬から先の区間は相互乗り入れの列車が増え、運行間隔が短くなる。その為、いつも綾瀬駅を出たところで信号区の運行調整で一端停止する。その時の車内アナウンスも決まりきったもので、要するに前に列車がつかえているので止まります、というものである。だから列車が一時停止するのには慣れていた。しかし、その日、自分の乗った列車は松戸駅を出たところで早くも一時停車をした。時間は8時15分頃である。しかもアナウンスは「霞ヶ関駅で事故発生のため停車しています」というものだった。「問題の列車」が霞が関駅に到着した直後であることが本書を読んで判明する。しかし、その後も一時停車は繰り返したものの「事故」というアナウンス以外何の説明も聞かないまま、自分の乗った列車は地下へと進んで行った。 本書でも日比谷線における北千住駅の過密さが何人もの人によって語られているが、千代田線でも乗り換え客はひっきりなしにプラットフォームに満ちてくる。すると当然、運行間隔が開けば後続列車の乗車率は単純に上がる。その時も案の定千代田線は北千住駅で寿司詰め常態となったが(とは言っても積み残しも常態的だが)、その時、今から思えば駅構内のアナウンスのせいかどうか、いつもと異なる雰囲気が北千住駅にはあったような気がする。車内アナウンスも霞が関駅の事故を繰り返すばかりなのが、少し不思議だった。 「霞ヶ関駅には停まりません」と車内アナウンスがあった時もまだ、何が起こっているのか全く知らなかったし、じゃあ日比谷で降りて歩けばいいな、と単純思っただけだった。村上春樹も書いているがその日は良い天気で、日比谷公園を抜けて田村町の交差点まで歩くのは季節の良いときの通勤逸脱ルートでもあった。しかし日比谷公園前の出口から地上に上がった時、回りの喧騒は既にただ事ではなかった。サイレンが聞こえ、ヘリが上空を飛ぶ。そして会社についてみると普段は消されているテレビが点いており、皆がそれを見つめていた。 その時の不思議な気持ちは何とも言い表しようがない。喧騒に気付きながらも気持ち良く公園を抜けてきた気分をばっさりと切られたような、自分の非情さが透けて見えてきたような、何か目を逸らしたくなるような感情がその時に沸いた。 『それは何があっても解き放たれてはならない。またその姿を目にしてもならない。(中略)地下の心地よい暗闇はときとして私たちの心を慰め、優しく癒してくれる。そこまではいい。私たちにはそれも必要なのだ。しかし決してその先に進んではならない。いちばん奥にある鍵のついたドアをこじ開けてはならない』-『目じるしのない悪夢』 しかし我々は、時としてこじ開けたつもりもなく、その暗闇を覗き込んでしまっている時があるのである。そして、その姿が鏡に映るのを見い出して、自分の顔の余りの凶暴さに驚愕するのだ。
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