生物と無生物のあいだ の商品レビュー
面白く読める学説史
分子生物学の観点からみた「生物」の世界とは、どんなものなのか……。いつもとは違う視点から見た世界の不思議。面白く読める学説史というのは、なかなかないと思う。知的好奇心が刺激され、ゾクゾクする。
yui
いやぁ、面白かった。 科学に関する本とか、普段あまり読まないほうですが、面白かった。 これは単なる学習テキストではなくて、 「生命とは何か」をテーマにした科学者たちの物語。まさに“物語”。 読んでいるうちに、その物語にひきこまれていく。 科学者の目線を疑似体験できたような、そし...
いやぁ、面白かった。 科学に関する本とか、普段あまり読まないほうですが、面白かった。 これは単なる学習テキストではなくて、 「生命とは何か」をテーマにした科学者たちの物語。まさに“物語”。 読んでいるうちに、その物語にひきこまれていく。 科学者の目線を疑似体験できたような、そして共に謎を解明しているような、そんな気にさせてくれる。 “動的平衡”という考え方に至ったときは感動した。 月並みですが、「人間って、生き物って、すごいなぁ」と感じた。 一体どうやってこんな構造ができたのか、一体だれがこんな仕組みを作れるというのか。 神という存在を信じてしまいたくなるほど、あまりにも神秘的である。 それにしても――。 DNAとかタンパク質とか、おそらく高校の時に化学で勉強したのだろうけど、何も覚えていないことを痛感。 正直、終盤はちょっと難しいなぁと思ったけど、そういう箇所は100%理解する必要はないと割り切って、物語の本筋を追いかければいいと思う。
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つねづね不思議でならないことがある。小さいころ犬を飼っていたが、犬というのは品種によってかなり外見が異なる。シベリアンハスキーとマルチーズ、ヨークシャーテリアとセントバーナード、チワワとコッカースパニエル……枚挙にいとまがないが、大きさも形も同じ生き物とは思えないほどに違いがあ...
つねづね不思議でならないことがある。小さいころ犬を飼っていたが、犬というのは品種によってかなり外見が異なる。シベリアンハスキーとマルチーズ、ヨークシャーテリアとセントバーナード、チワワとコッカースパニエル……枚挙にいとまがないが、大きさも形も同じ生き物とは思えないほどに違いがある。しかし、われわれはどういうわけか、それが犬であることを知っている。子供の私ですら知っていた。 もちろんオオカミを連れてこられたら、大人でも間違える可能性はある。だが、猫やウサギと間違えることはない。犬とは何かを経験的に教えられた記憶はないし、そのような知識に基づいて犬と判断しているわけでもない。だとすれば、われわれは一体何を見てそれが犬だとわかるのか。あるいは、わかったつもりになるのか。 福岡氏のような優れた研究者と自分ごときを並べて書くのは大変気おくれだが、著者の出発点もまさにこれと似たような疑問であった。すなわち、われわれはそれが生物であるか無生物であるか、つまり生きているか生きていないかを瞬時に見分ける。なぜそんなことができるのか。貝殻を見たとき、われわれはそこに石ころのような無機物にはない、生命の痕跡とでも呼ぶべき何物かを感じる。いったい生物とは何か。生物と無生物を隔てるものは何なのか。 一般に何かを定義しようとするとき、われわれはまずその属性を列記する。自己複製するとか、代謝活動をするとか、そういうことである。しかし、そのような属性をいくら積み上げたところで、生き物の本質に迫ることはできない。なぜなら、プラモデルのように部品を組み立てるやり方では、生き物は作れないからである。人類はロケットを月に飛ばすことはできても、生き物はまだハエ一匹たりとも作り出せていない。生物とは何かという問いに答えるためには、何か違ったアプローチが必要なのだ。謎を追いかける若き福岡青年の研究の日々と、現代生物学の発展の歴史。二つの並行する物語が、瑞々しい文学的な筆致で描かれる。 生物の本質──それを説明するために、著者は「動的平衡」という新たな概念を導入する。私はこれを川の流れのようなものだと理解している。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。言うまでもなく、『方丈記』の有名な冒頭部分である。川は流れているので、それを構成する水は一時たりとも同じではない。しかし、川はそこに厳然として存在している。もちろん川は生物ではない。しかし面白いことに、すぐあとに「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」と書かれている。人間も生まれてから死ぬまでつねに変わり続け、物質的な意味でも同じではない。しかし、私は依然として私なのである。鴨長明はそれを「流れ」と表現したわけだが、福岡氏は本書で「淀み」という言葉を使っている。 この「動的平衡」という概念は、生命現象を語る上で非常に的確なモデルだと思われる。従来の生物学は時間を止めてしまうことで、その名に反して生きた生物を扱えていなかった。動的平衡は言うまでもなく、時間を含んでいる。また、生物が部品でできた機械のようなものではなく、相互関係やバランスの上に成り立っているダイナミックな存在であることをうまく捉えている。 とはいえ、これは最初の疑問──われわれは、なぜそれが生物つまり生きているとわかるのか──の答えではない。動的平衡は先験的な概念ではないからである。結局のところ自然は連続的なもので、われわれは言葉や概念によってそれを無理矢理分節化しているに過ぎない。生物や生命というのは捉えどころのないものであり、つかもうとすれば指の隙間からこぼれ落ちてしまう。「生物と無生物」ではなく、その「あいだ」という題名がそれを示唆している。
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私たちは生命の神秘に惹かれることがよくあるだろう。桜前線の来訪と共に一斉に咲き誇る姿や、生まれたての赤ちゃんが産声を上げる時などだ。その生命の神秘とはなんだろうか。あまりにも抽象的だから、まず生物に対して、無生物はどうだろうか。生物と無生物を隔てるものは一体なんなのだろうか。私は...
私たちは生命の神秘に惹かれることがよくあるだろう。桜前線の来訪と共に一斉に咲き誇る姿や、生まれたての赤ちゃんが産声を上げる時などだ。その生命の神秘とはなんだろうか。あまりにも抽象的だから、まず生物に対して、無生物はどうだろうか。生物と無生物を隔てるものは一体なんなのだろうか。私は、読むに従い、生物に含まれる天文学的な細胞達や分子、原子、それらが一期一会で儚い生命を作っていくのだと感動させられた。また、それを解き明かそうと、暗い象牙の塔の中に必死に求め続けた人達の熱いエピソードもまた心に沁みた。
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「なぜ生物は生きているのか」そんな漠然とした問いを科学的に一般人でもわかりやすく書いてくれている、なかなか稀有な本。 なんだか、自分の体が他の生物の集合体みたいな感じがしてちょっと気持ち悪く感じた
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DNAを巡る発見の歴史を紐解きながら、研究界隈のシビアな現実にハラハラ、細胞の働きや研究方法もわかりやすい説明で納得。生命の中の宇宙を感じることができる。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
分子生物学者の視点から、生物とはどういうものなのかを考えさせられる一冊でした。 この本を読んでいて、分子が動く故に生物の体は分子の大きさにに対してここまで大きくならざるをえなかったこと。 遺伝子情報が完全に欠損しているより、一部欠けた不完全な遺伝子が紛れ込むほうが生物として欠陥が出てしまう過程の話などは非常に興味深く面白かった。 生物というものに興味がある人はぜひ読んでほしい。
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「生物と無生物のあいだ」は、詩的な文体と科学的な内容が調和した読みやすい科学読み物です。生命が「動的平衡」という変化の中で維持される概念や、半年で分子レベルで体が入れ替わることなど、新しい発見がありました。生命システムの柔軟性についても学べます。専門知識がなくても楽しめる本ですが...
「生物と無生物のあいだ」は、詩的な文体と科学的な内容が調和した読みやすい科学読み物です。生命が「動的平衡」という変化の中で維持される概念や、半年で分子レベルで体が入れ替わることなど、新しい発見がありました。生命システムの柔軟性についても学べます。専門知識がなくても楽しめる本ですが、基礎的な生物学の知識があるとより理解が深まります。
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生命を機械的に扱うこと、分解してみることの限界を指摘していて、その道を一度極めた方の言葉は説得力がある 他のメディアで動的平衡に触れていたので理解しやすい点もあったが、本書だけで捉えきるのは難しい 生物学でもあり、哲学的でもあり、人の生命、自然に生きるものとの、関わりを考え直すよ...
生命を機械的に扱うこと、分解してみることの限界を指摘していて、その道を一度極めた方の言葉は説得力がある 他のメディアで動的平衡に触れていたので理解しやすい点もあったが、本書だけで捉えきるのは難しい 生物学でもあり、哲学的でもあり、人の生命、自然に生きるものとの、関わりを考え直すよい機会となった
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生物とは何か?接種したアミノ酸、タンパク質の半数以上が内臓や筋肉など体内の細胞内にとどまるとのこと。体は食べたものでできているので、質のいいものを食べないといけないのかとラーメン食べながら反省。。
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