私家版・ユダヤ文化論 の商品レビュー
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以前読んだが、なんとなく忘れていたので再読。 ①ユダヤ人を定義するものは何か? ②どうして迫害され続けてきたのか? ③どうして優秀な人材を輩出するのか? こういう基本的な事を知りたかったが、結局はっきりした結論らしきものは書かれてない。 いろいろ考える材料はあるので自分で考えるのも一興。
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内田氏の本は何冊も読んだけれど、内田氏が師と仰ぐレヴィナスに関する本は読んだことがなかった。 探したところ、この本と出会ったので読んでみた。 「ユダヤ人とは」という問を、ユダヤ人にも読んでもらう気持ちで書いたという本編は読み応えあり。 難しいので、理解できないところもあったけれど...
内田氏の本は何冊も読んだけれど、内田氏が師と仰ぐレヴィナスに関する本は読んだことがなかった。 探したところ、この本と出会ったので読んでみた。 「ユダヤ人とは」という問を、ユダヤ人にも読んでもらう気持ちで書いたという本編は読み応えあり。 難しいので、理解できないところもあったけれど、読んで良かった。
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約7年ぶりに再読。いつも思うのだけど、この手の本というのは読んでいる最中は物凄く理解できたような気がして爽快なのだが、本を閉じた途端に頭の中でロジックがうまく繋がらずにモヤモヤとした気分になり、また本を開いてああそうだったなと納得する、というのを繰り返しながら少しずつ理解が深まっ...
約7年ぶりに再読。いつも思うのだけど、この手の本というのは読んでいる最中は物凄く理解できたような気がして爽快なのだが、本を閉じた途端に頭の中でロジックがうまく繋がらずにモヤモヤとした気分になり、また本を開いてああそうだったなと納得する、というのを繰り返しながら少しずつ理解が深まっていくような気がする。自然、何度も同じところを読み返すことになるが、一見本読み泣かせのようで、実は最も中毒性が高いのはこういう本だ。 ユダヤ文化に対するステロタイプなパースペクティヴを、構造主義的アプローチでもって鮮やかに転倒させてゆく・・・と思いきや、今回再読してみると「ユダヤ文化」は単なるプラットフォームに過ぎず、著者の意図はもっと広範囲に適用されている大きな枠組みをバラバラにすることにあるのだと確信。と同時に、それが何かが僕に理解できるためには、まだまだ大量の本を読んで考える必要があるのだろうと思った。 論を進める中で、フロイト、サルトル、レヴィナス等の思想のエッセンスに少しずつ触れていくので、現代思想の大まかな流れをざっと見渡すのにも使えて便利。語り口も軽妙で、そこがまたカッコいいと思った。
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本書は「ユダヤ人とは誰のことか?」という問いかけに始まるが、どのような切り取り方をしたとしても、これに答えられる者はいない。「ユダヤ人は反ユダヤ主義者が作りだしたものである」―これはサルトルによるユダヤ人の定義なのだが、私はこれまでに刊行されたユダヤ人論では、これを最も優れたもの...
本書は「ユダヤ人とは誰のことか?」という問いかけに始まるが、どのような切り取り方をしたとしても、これに答えられる者はいない。「ユダヤ人は反ユダヤ主義者が作りだしたものである」―これはサルトルによるユダヤ人の定義なのだが、私はこれまでに刊行されたユダヤ人論では、これを最も優れたものと考えてきたが(岩波新書で入手可能)、ここでは内田の師レヴィナス(ユダヤ教徒)をこれに対置させることで、著者は我々読者を新たな地平へ連れていく。「神の不在」こそが「神の遍在」を証するという極めて逆説的な弁神論がその到達点であった。
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「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力」 言い方から、こういった知の在り方に対する内田先生の敬意を強く感じる。ユダヤ人について書いた本というよりは、本格的な人間論。
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内田さんの『中国論』のあとに読んだ『ユダヤ文化論』。 どれほど理解できたかはさておき、 ★★感動した!!★★ きっと次に読み返したときには 自分の経験値から、違う読み取り方をするんだろうな と思う。
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ユダヤの文化論を学ぼうと思ったが、いっそう混乱した。 一言で書くならこうだろう。 10/13京都で関西・名古屋アウトプット合同勉強会に参加してきました。 今回は3冊(レヴィナスと愛の現象学、街場のメディア論)の中から 僕は私家版・ユダヤ文化論を選びました。 選んだ理由としては、僕はユダヤ人がとにかく経済的に成功している人たちが多く、 何か少しでも彼らから学びたいと思い本を選びました。 本の内容はユダヤ人とは誰?から始まる。 ユダヤ人の定義は実のところすごく難しい。 ユダヤ教徒をユダヤ人というし、 イスラエルに住んでいる人たちはユダヤ人を指すことが多い。 また全世界に住んでいるユダヤ人もいる。 本の中で、サルトルは「ユダヤ人とは他の人がユダヤ人だと 思っている人たちである」という、素人でもわかるこの論理が 実は非常に重要だ。 そしてユダヤ人が迫害される理由を宗教的理由と経済的理由をあげている。 そしてここから反ユダヤ主義がなぜ起こったのか、 サルトルとレヴィナスを引用して内田先生は語っている。 あらすじはここでストップ。 僕は本を通じてユダヤ人ほど自己のアイデンティティを 考える人たちはいないのではないかと思ってしまった。 彼らは神から選ばれた者としてのプライドをもち、そしてある種の責任、 何といえばいいのか、受難を受けて自己を超越した存在とみなすというか。 またなぜユダヤ人はあれほど才能にあふれているのか? ノーベル賞で受賞履歴、例えば医学生理学賞では26% (1901年から2005年まで、その他化学賞、物理学賞も似たような数字)。 全人口の0.2%から考えるとその突出ぶりがわかります。 これだけでなく、映画界、音楽会にもユダヤ人は数多くいる。 これを考えると既存の考えを打ち破る特異な思考法を民族的に持ち合わせているのか。 いったい、どうすれば僕は彼らのような思考法を身に付けることができるか? 一つできることはまず疑うということだろう。 何かものを見るときに人の意見をしばしば事実とみなすことが多い。 でもそれは往々にして事実でないことが多い。 成功者は周りが出来ないと言われたことをやり遂げるからだ。 本質を見る訓練を積めば少なくとも正しい決断はできるのではないかと、 ここでは学んだ。 この本を読んでもっとユダヤについて知りたくなったな。 次はタルムードの教えを読みたい。
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面白いっ! 哲学界の翁、内田樹による 「私家版」ユダヤ文化、ユダヤ人論。 卓越した知力と教養を身につけ、 政界、財界、芸術界とありとあらゆる 世界でトップに栄えるユダヤ人。 しかしその歴史は、 受難と迫害の歴史である。 そもそも「ユダヤ人」とは何者か。 ...
面白いっ! 哲学界の翁、内田樹による 「私家版」ユダヤ文化、ユダヤ人論。 卓越した知力と教養を身につけ、 政界、財界、芸術界とありとあらゆる 世界でトップに栄えるユダヤ人。 しかしその歴史は、 受難と迫害の歴史である。 そもそも「ユダヤ人」とは何者か。 なにゆえに彼らは、これほどの知性を身に着けたのか。 -ユダヤ人たちが民族的な規模で開発することに成功したのは、「自分が現在用いている判断枠組みそのものを懐疑する力と『私はついに私でしかない』という自己繋縛性を不快に感じる感受性」である- -「選びは特権から構成されているものではない。それは有責性によって構成されている」- -ユダヤ人は自分がユダヤ人であることを否定するわずかによけいな身ぶりによって、自分がユダヤ人であることを暴露する存在として構造化されている- -『たしかに、おまえは一個の自我である。たしかに、おまえは始原であり、自由である。しかし自由であるからといって、おまえは絶対的始原であるわけではない。おまえは多くの事物、多くの人間たちに遅れて到来した。おまえはただ自由であるというだけではなく、おまえの自由を超えたところでそれらと結びついている。おまえは万人に対して有責である。だから、おまえの自由は同時におまえの他者に対する友愛なのだ。』- 「ユダヤ人」をテーマに人間を、神を、宗教を、哲学を 鋭くえぐり出す内田樹の傑作。 決して読みやすい本ではないが、 構造主義の基本を抑えている方であれば ぜひぜひ手にとって欲しい一冊。
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とても難しい。何度も読書をやめては思考タイムに入り、出口の見えなさに匙を投げかけました。夏休みをかけてようやく読破。 ユダヤのもろもろに関するその概要を知らないので、少し「?」と思う部分が多かったので、他も勉強してからもう一度読みたいところ。 whatではなく、whyの連続で、...
とても難しい。何度も読書をやめては思考タイムに入り、出口の見えなさに匙を投げかけました。夏休みをかけてようやく読破。 ユダヤのもろもろに関するその概要を知らないので、少し「?」と思う部分が多かったので、他も勉強してからもう一度読みたいところ。 whatではなく、whyの連続で、当初期待してたものとは違うことがたくさん詰め込まれていましたが、とても深い(私のボキャブラリーでは端的にそういうことしかできないけれど) 自分というものを考える時にもこのような考え方で省察してみたいですね。
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120922 第一章より・・・ 私たち日本人がユダヤ人について行ってきたすべての誤解は、ユダヤ人と日本人を同種の集団カテゴリーだと見なす安易な設定に根差している、私たちが集団に帰属感を覚えているのと同じような仕方で、ユダヤ人たちもそのエスニック・グループに帰属感を覚えているんだろうという共感や感情移入の手法は、私たちの「奇習」を拡大適用するすることにしかならない。私たちには理解しがたい共同意識や、私たちの知的習慣に含まれない思考法がこの世の中には存在する。 よく「相手の気持ちになって考えましょう」なんて言いますが、日本人とユダヤ人ほどではなくても、育ってきた背景が違えば出来ごとの感じ方は違ってくるわけです。相手が自分と同じように感じていると思うことは、救いようのない誤解を生む切欠になりかねないわけです。もちろん、相手が感じていること、自分が感じていることの全貌を言葉で端的に説明することは不可能なので、私たちは同じように感じていないという前提で、それぞれが出来事を解釈するしかないのです。
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