私家版・ユダヤ文化論 の商品レビュー
エアレボリューション「反ユダヤ主義を再考する」https://www.youtube.com/watch?v=QNdNsuR6GHcが契機。 とりあえず通読。
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著者は神戸女学院大学教授で、有名な内田樹さん。ユダヤ人というのがなんだかよくわからず、”日本人"や"アメリカ人"等と並べるものではないと理解しつつもよくわからずもやもやしていたが、"私がみなさんにご理解願いたいと思っているのは、「ユダヤ人」...
著者は神戸女学院大学教授で、有名な内田樹さん。ユダヤ人というのがなんだかよくわからず、”日本人"や"アメリカ人"等と並べるものではないと理解しつつもよくわからずもやもやしていたが、"私がみなさんにご理解願いたいと思っているのは、「ユダヤ人」というのは日本語の既存の語彙には対応するものが存在しない概念であるということ"という説明で、自分の中に概念がないものであるため理解が難しいということがわかり少しすっきりした。全般的にやや難しい。
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映画「オフィサー・アンド・スパイ」を見て思い出したように本棚から引っ張り出して再読しました。本当に読んだのかと自分でも疑うくらい覚えてなくて愕然としました。でも改めて読んでみて覚えてない理由がわかりました。それはこの本に登場する19世紀の反ユダヤ主義者なんて日本ではまったく馴染み...
映画「オフィサー・アンド・スパイ」を見て思い出したように本棚から引っ張り出して再読しました。本当に読んだのかと自分でも疑うくらい覚えてなくて愕然としました。でも改めて読んでみて覚えてない理由がわかりました。それはこの本に登場する19世紀の反ユダヤ主義者なんて日本ではまったく馴染みがないし、当時のフランスの社会状況についても無知なので理解できないのは当たり前なのでした。今回じっくり読み返してみてその辺の情報も理解が深まり、ユダヤ問題の複雑さはよくわかりましたがやはり難しい。難しいだけで片付けたくないけどそれ以上言葉がつづかない自分がいます。ただ終章で「存在するとは別の仕方で触れてくる」という表現で暴走ぎみに考察していくのはすごいと思いましたし、自分の脳をグラグラ揺さぶられたようでもうお手上げでした。
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ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々であり、ローマ帝国時代から常に迫害され、忍耐と知性で自衛してきた。国民国家が成立していった19世紀、自身の国を持ちたいというシオニズムも起こり20世紀前半それの反動で弾圧され(迫害するのが普通の教養人であったことも悲劇的)ホロコーストにまで至り…...
ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々であり、ローマ帝国時代から常に迫害され、忍耐と知性で自衛してきた。国民国家が成立していった19世紀、自身の国を持ちたいというシオニズムも起こり20世紀前半それの反動で弾圧され(迫害するのが普通の教養人であったことも悲劇的)ホロコーストにまで至り…。未来にも迫害はあるだろう、それが民族の終わり=神の意志かもとまで彼等は覚悟している。 0.2%の人口で、ノーベル賞の2割を得た民族の知的優位はいかに形成されたのか。考察は、ついには知性そのものがユダヤ人の発明かとまで展開していく
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ユダヤ人迫害の根底にある問題について考察している本です。 本書では、日本における「日猶同祖論」やヨーロッパにおける反ユダヤ論の言説が紹介されていますが、それらの歴史を実証的に解説することが目的ではなく、「反ユダヤ主義には理由があると信じている人間がいることには理由がある。その理...
ユダヤ人迫害の根底にある問題について考察している本です。 本書では、日本における「日猶同祖論」やヨーロッパにおける反ユダヤ論の言説が紹介されていますが、それらの歴史を実証的に解説することが目的ではなく、「反ユダヤ主義には理由があると信じている人間がいることには理由がある。その理由は何か」という問いを掘り下げることがめざされています。 その結論は、フロイトの議論を援用しつつ「反ユダヤ主義者はユダヤ人をあまりに激しく欲望していたから」というものですが、著者自身がくり返し述べているように「分かりにくさ」があります。著者が社会的構成主義の言説に対してその〈起源〉への問いを投げかけているところに、本書を理解する手がかりを見いだすことができます。著者は、「父権制的な社会慣行が「男性/女性」というジェンダーを作りだした」という「構築主義的言明」に対して、「男性に社会的リソースを集中させるための抑圧的構築物である父権制社会が成立するためには、それに先立って性差がすでに有意なものとして意識されていなければならない」のではないかと問いかけます。このような問いかけは、「ユダヤ人は反ユダヤ主義者が作り出したものである」というサルトルの議論に対しても向けられています。すなわち、「なぜ他ならぬユダヤ人だけが、このような出口のない状況にあらゆる時代あらゆる場所で繰り返し追い込まれるのか」という〈起源〉への問いに、サルトルはこたえていないと著者はいいます。 こうした問いに対して著者は、ユダヤ人思想家であるレヴィナスを参照しつつ、ユダヤ思想のうちに〈起源〉への遅れという主題があることを指摘することで、こたえを示そうとします。われわれはみずからの〈起源〉に対して決定的に遅れてしまっており、それゆえに有責であるという発想が、ユダヤ人の神に対する信仰を支えており、ユダヤ人への迫害はそれを「反復」することにおいてみずからをかたどっているのだということができるでしょう。著者は「私たちがユダヤ人について語る言葉から学ぶのは、語り手がどこで絶句し、どこで理路が破綻し、どこで彼がユダヤ人についてそれ以上語るのを断念するか、ほとんどそれだけなのである」と結論しています。
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先日ポーランドとチェコに行き、クラクフとプラハにあるユダヤ人街を訪れた。 日本ではあまり見かけない(私が意識していないだけかもしれない)が、ヨーロッパや東南アジアなど移民が多い国には「中国人街」や「インド人街」が至るところに存在する。 しかし「ユダヤ人街」は聞いたことがなかったし...
先日ポーランドとチェコに行き、クラクフとプラハにあるユダヤ人街を訪れた。 日本ではあまり見かけない(私が意識していないだけかもしれない)が、ヨーロッパや東南アジアなど移民が多い国には「中国人街」や「インド人街」が至るところに存在する。 しかし「ユダヤ人街」は聞いたことがなかったし、どのような雰囲気なのか想像すらできなかった。ガイドブックにも載っていて定番の観光地らしいが、実際足を運んでみる と人通りは少なく、見たことのない文字の看板が並び(おそらくヘブライ語)、それまでいた街より温度が低い気がした。 そういえば、ミラノに住んでいた頃通っていた小学校の目の前にはユダヤ人学校があった。なぜかユダヤ人学校の前には常に大きな銃を持った警官がいた。当時住んでいた学校の近くのマンションにはユダヤ人も住んでいたが、話したこともなければ挨拶をした記憶もない。幼いながらユダヤ人には特別の事情があるのだと感じた。 「ユダヤ人」の話をするときにだけ感じるこの特別感は一体どこから来るのだろう、なぜそう感じるのだろうか。ずっと気になっていたので、まずは内田先生の本を読んでみようと思った。 しかし、予想以上に難しい内容で、恐らく半分も理解できていないと思う。 でもそれもそのはずで、筆者自身が「ユダヤ人について語るとき、どうしてもユダヤ人を傷つけることになってしまう」ということを避けるために、ユダヤ人が読んでも納得してもらえるような書き方をしたそうだ。故にユダヤ人ではない人が読むと分かりづらい内容になってしまったそう。 このわかりづらさがユダヤ人問題の難しさを表しているのだと思った。ユダヤ人を知る上で導入に相応しいかはわからないが、ユダヤ人問題、反ユダヤ主義の複雑さを知るにはよかった。
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自分は、ユダヤ人のことについてほとんど何も知識を持たず生きてきました。 もちろん、ホロコーストのことは知っている。 スティーブン・スピルバーグがユダヤ系だとか、米国のネオコンと呼ばれる人たちにユダヤ人の勢力が影響しているといった話も聞いたことはある。 が、どれも断片的な情報ばかり...
自分は、ユダヤ人のことについてほとんど何も知識を持たず生きてきました。 もちろん、ホロコーストのことは知っている。 スティーブン・スピルバーグがユダヤ系だとか、米国のネオコンと呼ばれる人たちにユダヤ人の勢力が影響しているといった話も聞いたことはある。 が、どれも断片的な情報ばかりで。 そういう身であまり偉そうなことは云えないんだけど、この本の大部分は著者のオリジナルな議論というよりは、サルトルのユダヤ人論や「日猶同祖論(※)」や19世紀フランスの反ユダヤ主義者・モレス侯爵の生涯など、過去の言説や歴史の振り返りがほとんどを占めているような気もしなくはありません。 (※)日本人はユダヤ人の末裔だ、という主張のこと。そんな荒唐無稽な話が真剣に語られていた時代があったなんて、本当に驚いた! そうだとしてもこの本は面白い。 基礎知識の無い身にとって「ユダヤ人とは」「反ユダヤ主義とは」という話が新鮮に響いたということもあるけど、やはり何と言っても著者の流麗なレトリックを駆使した文章の卓抜さに支えられているところは大きいと思う。 大部分は過去の言説の紹介、などと書いたけど、終章の最後2節ほどは著者オリジナルの議論が展開されます。 ユダヤ人は「何故」知的なのか、そして、「どこが」知的なのか、について。 この部分がまた読んでてよくわからんのです。 書いてあることが正確に理解できない、ということもあるけど、どうして著者がそういう結論に至ったのか、その「飛び具合」に着いて行けない、というか(著者自身「暴走」だと認めてますが)。 それでも何となく分かったような、読んで一つ頭がよくなったような気分にならされてしまうのが、内田マジック。 って、褒めてんだかなんだか分からなくなってきましたが。
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このヒトについては以前からHPやコラムを読むたびに気になっていて、いつかはマトモに読まなきゃ、と思っていたのだけれど、ご本業からはちと外れた(つまり「マトモ」ではない)これから読み始めて改めてその感を強くした。 ユダヤ人を「異化」することはキリスト教文化の歴史において恒常的に...
このヒトについては以前からHPやコラムを読むたびに気になっていて、いつかはマトモに読まなきゃ、と思っていたのだけれど、ご本業からはちと外れた(つまり「マトモ」ではない)これから読み始めて改めてその感を強くした。 ユダヤ人を「異化」することはキリスト教文化の歴史において恒常的にあったことであり、それはその文化の洗礼を受けた日本においても硬軟両面であったことだ。 でも実際「ユダヤ」とは何なのか、という問いに対して明確な回答はどこにもない。 著者は「ユダヤ人」がなし得てきたことに対し、ひとつの共通点を見いだす。それは常にinnovativeであった、ということだ。そしてさらに彼ら自身にとってはそれこそがまさに「恒常的」なことであり、その状態が非ユダヤ人にとっては「異」なるものに写るのではないかと推測する。 これはとても説得力をもった仮説の設定だった。 ユダヤ人はよく「十人のユダヤ人がいればそこには十一の意見がある」と言う。それはつまり、彼らにおいてはどんな意見に対しても(たとえ自分の意見に対しても)必ず何らかのアンチテーゼが存在し、常に自分の態度すら疑う姿勢がある、ということを意味する。 であれば、何らかの理念なり意見に安住してしまうよりも、innovationの生まれ得る可能性は高いだろう。 ではどうして彼らがこのような思考体系を持つに至ったのか。それは常に彼らが「異」であることを周囲から意識させられ続けてきたからではないだろうか。 ステレオタイプ的な反(親)ユダヤ論に、一石を投じる書物だと思う。
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【ノート】 ・やっと読んだ。途中までは少し分かりづらかったりしたが、終盤の展開には引きこまれた。ところどころに出てくる「内田節」は、時にはホッとしたり、時にはちょっと鼻についたり。 ・時間の観念を逆行させての有責性についての記述はちょっとまだ咀嚼できていない。 ・人の善性を神の賞...
【ノート】 ・やっと読んだ。途中までは少し分かりづらかったりしたが、終盤の展開には引きこまれた。ところどころに出てくる「内田節」は、時にはホッとしたり、時にはちょっと鼻についたり。 ・時間の観念を逆行させての有責性についての記述はちょっとまだ咀嚼できていない。 ・人の善性を神の賞罰から切り離した「成熟した」知性。「神の賞罰を基準にしているのは幼稚な状態」という辺りの記述には、幼少の頃から感じていたモヤモヤしたものを一気に吹き払われたような感じ。 ・アドルノとホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」との共通項が多い。きちんと突き合わせて精読すべきだと思った。 ・で、結局、「ユダヤ人」って誰のことなんだろう?
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第1章 ユダヤ人とは誰のことか? 第2章 日本人とユダヤ人 第3章 反ユダヤ主義の生理と病理 終章 終わらない反ユダヤ主義 第6回小林秀雄賞 著者:内田樹(1950-、大田区、フランス文学)
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