キャッチャー・イン・ザ・ライ の商品レビュー
おすすめ!
村上春樹版「ライ麦畑でつかまえて」。16歳の主人公・ホールデンは、時代も国籍も超えて若者たちに支持されてきた存在。インチキな大人に反抗しつつも疎外感と孤独感を持て余す彼と、同世代の人に読んで欲しい!
yui
昔の女の子とのLINEの会話を見たくない。 これって本当に自分?って疑いたくなるような調子の乗り方だったり、自分に酔ってる感じが恥ずかしい。 この本は、そんな自分の中に眠ってる恥ずかしい過去を、そのまま思い出してるみたい…。 誰しも心の中で、子供と大人の境界線を自分に引いちゃう体...
昔の女の子とのLINEの会話を見たくない。 これって本当に自分?って疑いたくなるような調子の乗り方だったり、自分に酔ってる感じが恥ずかしい。 この本は、そんな自分の中に眠ってる恥ずかしい過去を、そのまま思い出してるみたい…。 誰しも心の中で、子供と大人の境界線を自分に引いちゃう体験ってあるんじゃないかしら。今までは子供、でも今は大人だからと…。 でもそれは、客観的に見たら何を基準に線引き出来る話なのだろう。 「昔の自分は…」「あの頃は…」「子供の頃は…」そうやって線引きした後、自分は大人という目線から過去を恥ずかしいものとして語るとする。でも結局また時が経てば、その今現在の自分が決して恥ずかしくないと誰が言いきれるのだろう? 作中のホールデンは16歳。始終自分は大人、という目線で周りの人間を見る。周りを否定し、自分を肯定する。こういうものの見方をすると、閉鎖的で盲目的になってしまう。つまり、周りからどれだけ浮いてるかを自覚できなくなる。この感じを思い知らされて、読みながらどぎまぎする。 大人目線の子供の頃の自分を語るつもりが、どこまで行ってもあくまで子供目線の前の自分を語る過ぎない恥ずかしさ。 そういった意味で青春小説だなーと感じた。 でも、何も全てが恥ずかしいと感じる訳でもないのが怖い小説でもある。 例えば、主人公のジョークが何故か秀逸に感じて面白いとさえ思ってしまう部分もあるし。 主人公が否定してる部分を、私自身すんなり共感否定してしまう所もある。 ここの所が、私自身の自分ではまだ気づいてはいないイタイところでは無いだろうか…。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
このタイトル知らない人はいないよね?ということで改めて読んでみたわけですが…思春期男子のちょっとした非日常というなんちゅーか海外ぽいなーという作品でございました。これがハネたのはやっぱりタイトルが良かったからなんですかね? 読み口的にはあまりにも痛々しい少年の、自認はカッコイイ大人なところがめっちゃめちゃに書き綴られているというこれは日記ですか?という感想なんですがどうですか?子供には優しいところが少年のきっと優しい子ではあるんだろうな、と思わせてくれるのですが如何せん…うーん…思春期…。海外の小説の少年ってなんでこんなのが多いんですかね。やっぱりステレオタイプこんなんなんすかね。 面白かったかと言うと別に面白くはなかったです。どういう終わり方するんだろう?という気持ちで読み進めていましたけどここで終わるんかい!というところで終わって不完全燃焼でした。解説を読むべきでしょうか。
Posted by
『banana fish』に出てきたから読んでみた。ザ・思春期真っ只中の男の子の話。彼目線の言葉が並ぶ。 わかるよ、社会に対して「なんでなん?」って思っちゃうし、考えても分からないことだらけだし、何者でもない自分のことを量でカバーした言葉で守りたくなっちゃうよね。誰にもわかっても...
『banana fish』に出てきたから読んでみた。ザ・思春期真っ只中の男の子の話。彼目線の言葉が並ぶ。 わかるよ、社会に対して「なんでなん?」って思っちゃうし、考えても分からないことだらけだし、何者でもない自分のことを量でカバーした言葉で守りたくなっちゃうよね。誰にもわかってもらえなかったとしても「考えた自分」はそこにいるんだから。いつか、主人公がこの頃の自分を俯瞰して見られるようになるといいな。
Posted by
愛読書は「ライ麦畑でつかまえて」。と公言して憚らなかった、思春期時代への贖罪として再読。一体なんの贖罪なのか。そして無論、当時は野崎孝訳版。 愛読書と言っておきながら、簡単なあらすじ以外は全く覚えていない。この小説を読んで、何を感じ何を考えていたのか、ほとんど全て忘れていた。 久...
愛読書は「ライ麦畑でつかまえて」。と公言して憚らなかった、思春期時代への贖罪として再読。一体なんの贖罪なのか。そして無論、当時は野崎孝訳版。 愛読書と言っておきながら、簡単なあらすじ以外は全く覚えていない。この小説を読んで、何を感じ何を考えていたのか、ほとんど全て忘れていた。 久々に読んでみると、苦しい。とにかく苦しい。何故ならホールデンがキツすぎて。というか、あまりにも当時の自分すぎて。ホールデンの、延々と続く他人を小馬鹿にした悪口と支離滅裂で幼稚な自分語りを聞かされているうちに、僕はもう反吐が出そうなほどうんざりしちまったんだよ。いや、本当の話。読んでいくうちに、一瞬ホールデンのことを好きになりかけたが、やっぱり最後まで大嫌いなまま読み終えた。でもそれは同族嫌悪。 そんなホールデンに、アーネスト先生は本当に聡明で的確な助言をくれた。先生の台詞こそが、この作品の趣旨なのではないか。わからないけど。ホールデンも当時の自分もピンとこなかったが、大人になった今、先生の一言一言が痛いほど胸に刺さる。特に先生が引き合いに出したヴィルヘルム・シュテールの詩には、この歳になってなお、自分は未熟者なのだと思い知らされグサリときた。 この本を読む当初、「自称ホールデン」だった過去の自分の浄霊が目的だった。しかし、図らずもホールデンそのものである自分自身の中の何かが成仏された。
Posted by
原文で。 これをセントラルパークで読むことができてよかった。 これがどこらへんの話なのか情景が浮かんで来る。 アメリカでベビーシッターをしてて思うけど、アメリカは日本と比べて小さい時から子どもが自分で選択をすることが多いなって思う。だから自分の考えをしっかり持っていて、自分が...
原文で。 これをセントラルパークで読むことができてよかった。 これがどこらへんの話なのか情景が浮かんで来る。 アメリカでベビーシッターをしてて思うけど、アメリカは日本と比べて小さい時から子どもが自分で選択をすることが多いなって思う。だから自分の考えをしっかり持っていて、自分が正しいと思いこみやすい子が多いのかもしれない。きっとHoldenは人よりもそれが強かったんだろうなって思う。 セントラルパークの池のアヒルたちは冬になって凍ってしまったらどこにいくのかを何度かタクシードライバーに聞いてたけど、寒くなって生きづらくなったアヒルたちはどうなるのか=生きづらい自分はどこにいけばいいのかを聞いてたんじゃないかな。 ドライバーには魚の話をされ、そこにいるよと返されてたけど、Holden的にはもっと住みやすい場所があるよっていわれるのを期待してたんじゃないかな。 妹のPhoebeに会った時に "You don't like anything that's happening." "Is there anything you do like?" って言われるけど、これをためらわずに言えるのが純粋さを持っているPhoebeで、だからこそ彼は彼女のことが好きなんだろうなって思った。 HoldenはPhoebeに、ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが崖から落ちそうなとき助けたい。って言ってた。 だけど最後のメリーゴーランドのシーンでは、金のリングが落ちそうな場面で、 “If they fall off, they fall off. But it’s bad if you say anything to them.” って言ってて、今までの彼だったら守ろうとしていただろうけど、あえて怪我をさせて、経験をして学ぶって言うことも大事だよね。と気づいたんじゃないかなって思って、この違いが彼の中の成長なんじゃないかなって思った。
Posted by
何度も挫折していたが、ついに読了。 最後まで読んで、最初はいけすかなかったホールデンのことが大好きになった。やれやれ。 ストラドレイターが幼馴染のジェーンとデートすることに傷ついて喧嘩するところくらいから、ホールデンのことをすごく身近に感じて、なんとなく泣きたいような切ないような...
何度も挫折していたが、ついに読了。 最後まで読んで、最初はいけすかなかったホールデンのことが大好きになった。やれやれ。 ストラドレイターが幼馴染のジェーンとデートすることに傷ついて喧嘩するところくらいから、ホールデンのことをすごく身近に感じて、なんとなく泣きたいような切ないような、感傷的な気持ちになった。色々上手くいかないことばっかりで、本当にやれやれって感じのホールデンと妹のフィービーとのやりとりとか、亡くなった弟のアリーとのことを思い出すところとかが特に良かった。
Posted by
主人公はつまり発狂していたと思います。絶えず饒舌なのがそれを物語っていると思いました。 発狂の理由は同年代の男女すら成長して擦れて(成熟とも表現されています)きている中で主人公は未だ感受性が強くそれ故に相手を軽んじて不和が生じているからだと思いました。謂うなれば相互にお互いが理...
主人公はつまり発狂していたと思います。絶えず饒舌なのがそれを物語っていると思いました。 発狂の理由は同年代の男女すら成長して擦れて(成熟とも表現されています)きている中で主人公は未だ感受性が強くそれ故に相手を軽んじて不和が生じているからだと思いました。謂うなれば相互にお互いが理解出来ていないということでしょう。 女性に対しては誰にも相手にされないまた関係を結べないことでコンプレックスを感じていたと思います。主人公は性的なものを肉体的なものと捉えてる周りとは違い精神的なものだと内心が捉えていることはルースが気づかせました。このカウンセリングによって発狂が少し治まっています。 するとフィービーに会いたくなったのだ思いました。フィービーはまだ擦れてない人の象徴で安心して好きになることが出来たのだと思います。 最後の回転木馬が擦れてない童心の表現だと思いました。 主人公が「ライ麦畑のキャッチャー」がしたいのは純粋な子供たちを純粋なまま大人にさせることがしたいと云う気持ちだと思いました。 学校の落書きはそれら阻む「世間」という物の暗喩だと思いました。
Posted by
ホールデンの言葉に耳を傾けなればいけない 大人や社会の不平不満があり、正しいことをするのが嫌気が差す社会にホールデンは当時の自分を病床で振り返る ホールデンが望むような自由にライ麦畑で遊ぶ子どもたちを崖から落ちそうになった時にどこからか現れてキャッチするような人が今の日本でも必要...
ホールデンの言葉に耳を傾けなればいけない 大人や社会の不平不満があり、正しいことをするのが嫌気が差す社会にホールデンは当時の自分を病床で振り返る ホールデンが望むような自由にライ麦畑で遊ぶ子どもたちを崖から落ちそうになった時にどこからか現れてキャッチするような人が今の日本でも必要だと思う ホールデンのように崖から落ちてしまった子ども達にも救いの手をさし伸ばされるような社会が必要だ
Posted by
『ライ麦畑』を読んで、あらすじが分かっているため、あっという間に読了しました。 村上春樹さんの訳は、言葉に注釈も記されており分かりやすかったです。言葉選びが現代の感覚に近づいている部分も多いので、主人公ホールデンの心情がちょくで心に入ってくる感じがしました。 『ライ麦畑』は1...
『ライ麦畑』を読んで、あらすじが分かっているため、あっという間に読了しました。 村上春樹さんの訳は、言葉に注釈も記されており分かりやすかったです。言葉選びが現代の感覚に近づいている部分も多いので、主人公ホールデンの心情がちょくで心に入ってくる感じがしました。 『ライ麦畑』は1950年代の話を1964年に出版。『キャッチャー』は2003年出版ということを考えると翻訳の違いが出て当然ですが、『ライ麦畑』の方が時代の空気感も合わせて感じとれるので、先に読んだ方がいいかなと、私は思いました。 どちらにしても、思春期まっただ中のホールデンの心情には正直のところ、辟易してしまいましたが、どんどん引っ張られるように先を読んでしまう文章の力、恐るべしです。 ホールデンの心情全てに共感できるわけではないけれど、綱渡りのように揺れ動く心情が、10代のころの自分にあったことは確かです。先が見えないゆえの不安というか。 『ライ麦畑でつかまえて』の作品名を知ったのは、中学か高校のときでした。国語便覧で見たのだと思います。そのとき、ライ麦畑という言葉から牧歌的なイメージがして、のんびりしたお話なのかなとずっと思いながら、今まで読まずにきてしまいました。 ストーリーとタイトルのイメージのマッチングとしては、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」がしっくりくるなと思いました。 『ライ麦畑』(野崎訳)→『サリンジャー戦記』(村上、解説つき)→『キャッチャー』(村上訳)の順で読んだことで、サリンジャー、野崎孝さん、村上春樹さんの偉大さが、ずしりと感じられました。
Posted by
