坂の上の雲 新装版(八) の商品レビュー
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ この文章も、日露戦争(ルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー)の日本海海戦の話を読むとよく意味がわかってきます。日本に恩寵をあたえた状況。 真之の軍人でありながら持っている脾弱さと鬱情を考えると、彼が坊主になった背景もわかる。 司馬遼太郎が5年...
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ この文章も、日露戦争(ルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー)の日本海海戦の話を読むとよく意味がわかってきます。日本に恩寵をあたえた状況。 真之の軍人でありながら持っている脾弱さと鬱情を考えると、彼が坊主になった背景もわかる。 司馬遼太郎が5年をかけて準備をして5年の執筆を続けたこと。人とできるだけ会わないでこの大作をつくりあげたことの偉大さが伝わる。 http://www.russojapanesewar.com/index.html
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全八巻、長かった。明治維新後のめまぐるしい日本の発展の中で起こった日露戦争。その中で、時代が求めるままに自分の人生を全うした明治人に焦点を当てて司馬さんが書いたもの。日本のことや人間の生き方について考えさせられるものだった。この当時の人たちのように、今の自分も同じようにできている...
全八巻、長かった。明治維新後のめまぐるしい日本の発展の中で起こった日露戦争。その中で、時代が求めるままに自分の人生を全うした明治人に焦点を当てて司馬さんが書いたもの。日本のことや人間の生き方について考えさせられるものだった。この当時の人たちのように、今の自分も同じようにできているのか、そうでなくても、なにか目標とすることを追っかけれているのか。 答えはまだわからない。 けど、自分がどういうふうに生きたいか、どんな人生をおくりたいか、どんな生き様を示したいか、ということがわかった。 「武士道というのは身を殺して仁をなすものである。武士道は自分を犠牲にして人を助けるものである」
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2007/08/05 sun 日露戦争のクライマックス。 いよいよバルチック艦隊との日本海海戦。 歴史で、言葉だけ習ったこの戦争、 その内容を初めて知ることができた。 日本海海戦の様子は今までになくリアルな描写だった。 荒波の中で砲弾が飛び交う。 自分の心も騒...
2007/08/05 sun 日露戦争のクライマックス。 いよいよバルチック艦隊との日本海海戦。 歴史で、言葉だけ習ったこの戦争、 その内容を初めて知ることができた。 日本海海戦の様子は今までになくリアルな描写だった。 荒波の中で砲弾が飛び交う。 自分の心も騒いだ。 終わってからは、波が穏やかになるように 心も穏やかに… 文章力にうまく引き込まれてしまった。 トータル10年もかかったというこの作品。 あとがきに、1人で取材したのかと聞かれたというエピソードがあったが、 聞くほうが馬鹿だと思ってしまった。 というか、そんなこと聞くなよ…という感じ。 この作品での司馬遼太郎は新聞記者だと思う。 (もちろん、元新聞記者ではあるが) 改めてその取材力に感服しました。
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明治38年5月27日・28日日本海海戦詳述。日露戦争を通して、維新後明治の日本人を描く。あとがきニ「要するにロシアはみずから敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。戦後の日本は、この冷厳な...
明治38年5月27日・28日日本海海戦詳述。日露戦争を通して、維新後明治の日本人を描く。あとがきニ「要するにロシアはみずから敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂そうの昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年ののちのことである。長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。」 あとがき六「小説とは要するに人間と人生につき、印刷するに足るだけの何事かを書くというだけのもの・・・新興国家の中での人間と人生が、日露戦争はその終了までは民族的共同主観のなかではあきらかに祖国防衛戦争だった。・・・戦勝はかならずしも国家の質的部分に良質の結果をもたらさず、たとえば軍部は公的であるべきその戦史をなんの罪悪感もなく私有するという態度を平然ととった。もしこのぼう大な国費を投じて編纂された官修戦史が、国民とその子孫たちへの冷厳な報告書として編まれていたならば、昭和前期の日本の滑稽すぎるほどの神秘的国家観や、あるいはそこから発想されてとく武の行為をくりかえし、結局は日本とアジアに十五年戦争の不幸をもたらしたというようなその後の歴史はいますこし違ったものになっていたにちがいない。」
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ついに完結!!この巻では『日本海海戦』のことを書いています。「敵艦見ユ」の連絡をうけとった三笠とその艦隊の迅速かつ的確な対応、日本海でバルチック艦隊と邂逅する「運命の海」〜「死闘」の章の緊迫感は司馬氏の歴史家としての、そして文学者としての技量を感じさせる。そして「ネボカトフ」の章...
ついに完結!!この巻では『日本海海戦』のことを書いています。「敵艦見ユ」の連絡をうけとった三笠とその艦隊の迅速かつ的確な対応、日本海でバルチック艦隊と邂逅する「運命の海」〜「死闘」の章の緊迫感は司馬氏の歴史家としての、そして文学者としての技量を感じさせる。そして「ネボカトフ」の章でついに戦争は終結する。韻韻と響いてやまない明治の抒情詩を見る想いがした。全8冊、司馬遼太郎が40代(壮年期)の殆どを費やして書き挙げた超大作『坂の上の雲』はここに幕を閉じたのだ。官権と帝国主義の下でもがく明治人たち──彼らの意識には国家への無邪気な愛情と明日への希望が満ちていた。秋山真之、好古、正岡子規…明治人達の可憐で壮絶な青春、情熱、すべてを味わいつくした感じです。ほんとうに好い小説でした。ご馳走様。
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タイトルの意味するところ: 楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。 のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。 『坂の上の雲』(第一巻「あとがき」)より
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言うまでも無い歴史小説です。 読み返す本ってそんなに無いものなのですが、この本はまた読むことになるでしょう。
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−「最初の三十分間だった。それで大局がきまった」− 日露戦争を題材とし、明治時代を生きた日本人の生き様を描いた歴史小説。登場人物の性格や当時の様子が事細かに書かれていて、読んでいくうちにその魅力にどんどん引かれたいった。ホント面白かった。
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最終巻。最強と歌われたロシアのバルチック艦隊相手に奇跡の完封勝利を果たした日本海海戦をとくとご覧あれ。
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この物語の主人公は、松山の貧しい郷氏の家に生まれた秋山好古(兄)と、秋山真之(弟)。兄は、後に明治最後の陸軍大将になるのだが、日露戦争時は陸軍騎兵隊の隊長として、世界一ひ弱な日本の騎兵を率い、世界最強のロシア・コサック騎兵集団と対決し、辛うじてそれを破る。 弟の真之は、東郷...
この物語の主人公は、松山の貧しい郷氏の家に生まれた秋山好古(兄)と、秋山真之(弟)。兄は、後に明治最後の陸軍大将になるのだが、日露戦争時は陸軍騎兵隊の隊長として、世界一ひ弱な日本の騎兵を率い、世界最強のロシア・コサック騎兵集団と対決し、辛うじてそれを破る。 弟の真之は、東郷艦隊の一参謀として日露戦争を迎えるのだが、苦心の上にロシア艦隊を破る工夫を重ね、その成案を得たとき、日本海軍は彼の頭脳を信頼し、その作戦を実行する。結果、日本海軍はロシア艦隊を相手に圧倒的な勝利を得ることになる。 貧しい家から生まれた彼らは、両方とも軍人になることを望んでいなかった。好古は「学費がただ」だという理由で陸軍士官学校へ進む。正岡子規と親友で、夏目漱石とも親交のあったは真之は、兄の命令と、貧しさゆえに文学者になる夢を捨て、海軍士官学校へ進む。どちらも進んで軍人になったわけではないが、彼らは「この兄弟がいなければ日本はどうなっていたかわからない」(司馬)ほどの働きをする。特に弟の真之は、海軍の作戦すべてを、彼が生み出したと後に語られるほどの活躍を見せる。もちろん彼には才能があり、それを生かすことのできる時代と環境があったのだろう。しかし、自分の夢(=やりたいこと)をあきらめ、戦争(=やらなければならないこと)に自らのすべてを投じた−彼は日露戦争の勝利後、燃え尽きるようにしてその短い生涯を終える−そのエネルギーの源泉とはなんだったのだろうか。自分のやりたいことばかりを口にして、やらなければならないことを見つめようとしない自分との違いとはなんだろうか。 戦争とは、基本的に憎むべきものであると思う。だがその実行者たちをも憎むべき存在だとは俺は思わない(もちろん、中には例外がたくさんいる)。戦わなくてはならない時代に生まれ、その中で必死に自分の役割を果たそうとするひとびとの姿は、文句なしに心を打つ。主人公たちだけではない、この物語に登場するすべての人物から、「この時代、自分は何をすべきか」という強烈な使命感を感じる。それはまさに司馬さんが描きたかった、列強という雲を目指し、坂の上を上ってゆく日本人の姿なのだろう。 坂の上に上りきった日本人は、己の力を過信し、後の無謀な戦いと凄惨な歴史を生み出すことになるのだが、少なくともこの「楽天家」たちの生きる時代にはそんな浅はかな驕りはないように思えた。この小説の中で司馬さんは明治の日本とそれ以後(大正〜敗戦)の日本の違いをことあるごとに挙げ、それを痛烈に批判する。もともと、司馬さんの日本史への関心のスタートは、自らも従軍した敗戦の後に「なんでこの国はこんな馬鹿なことをしたんだ、昔の日本はもっとましじゃなかったのか」というところにあるというから、その批判は的確で容赦ない。そのような昭和の日本に対する疑問符を背負いながら、この小説を読んでみるといっそう味わい深く、興味深いと思う。
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