大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章- の商品レビュー
断念中。 日本語で読めるサリンジャーの中では断トツに難解だ。 サリンジャーは、読者が四苦八苦することを狙ってるのかな、 とまで思ってしまったほど。 いつか、最後まで読もう。
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何度読んでも読んでも、まったく掴めない。 バナナフィッシュ、フラニーとゾーイよりもはっきりシーモアが描かれているのに、それなのにより一層分からなくなる。 そうして読み終わってから、毎回、「ナインストーリーズ」「フラニーとゾーイ」をまた読み返す。 私はどうしたって、フェダー夫人を...
何度読んでも読んでも、まったく掴めない。 バナナフィッシュ、フラニーとゾーイよりもはっきりシーモアが描かれているのに、それなのにより一層分からなくなる。 そうして読み終わってから、毎回、「ナインストーリーズ」「フラニーとゾーイ」をまた読み返す。 私はどうしたって、フェダー夫人を好きにはなれない。 介添夫人も。 私がもしあの場に居て、バディであったのなら、車内だろうが殴ってしまったかもしれない。 けれど、それが世間からの目線なことは間違いではなくて。 わかりたいのにわかれない(そしてわかってしまいたくない)もどかしさと、矢張り私はこのグラース一家の人々が好きである事を再確認して、毎回読み終えている。
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大工〜は、サリンジャーの意識や心を覗く鋭い視線が好きです。 両作とも、バナナフィッシュの読解本。大工〜バナナフィッシュの背景の物語。 シーモアの印象ははっきりいって読みにくい!わからない!であった。なぜサリンジャーがこの方法をとったのか気になるところ。これは読者だけでなく、彼のた...
大工〜は、サリンジャーの意識や心を覗く鋭い視線が好きです。 両作とも、バナナフィッシュの読解本。大工〜バナナフィッシュの背景の物語。 シーモアの印象ははっきりいって読みにくい!わからない!であった。なぜサリンジャーがこの方法をとったのか気になるところ。これは読者だけでなく、彼のためという色の強い作品なのかもしれない。 この中では、シーモアがなぜ死んだのかという疑問を解説していると、背表紙には書いてある。わたしは、前半の言葉に尽きるのではないかと思う。つまり、やっぱり絶望したのではないだろうかと思う。もしくは、大工と組み合わせると、世間に溶け込もうとした結果なのかもしれない。 そしてもう一つ気になったのは、この小説を通してバディは、バディを含めたシーモアに対する態度、姿勢について述べていることである。悲劇的なものに惹かれる我々、そして、シーモアの手紙の中で語られる自身の感情に従うということ。あまりシーモアを神格化するなというシーモアに対するあり方を述べられているように思う。 終始バディが、シーモアのことを一生懸命に語っているが、それはいつまでもしっくりこない。なんだかいつまでも曖昧であるように思う。シーモアのことをよくわかりたいと思いよんでみたが、曖昧なままである。 よくわかりたいと思ったのは、現実的にシーモアがよくわからないからだ。理想的すぎる。でも理想だからそうなのだろう。あいまいなのは理想だからだ。現実にはシーモアは死んでしまうのだ。 願わくばわシーモアが書いたものを読んでみたいと思う。シーモアは絶対にまちがいないんだろうか。 フラニーゾーイのように、愛のようなものが、また最後で語られている。
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グラース家の長男シーモアを、次男のバディが語る2編の小説。しかし、シーモアはなぜ自殺したのか結局よくわからないまま。とりあえず、「ナインストーリーズ」と「フラニーとゾーイー」を再読したくなった。
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不在のシーモアをめぐる物語。 バディが饒舌に語れば語るほど、シーモアが遠くなって行くように感じるのは何故だろう。
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―Raise High the Roof Beam,Carpenters and Seymour An Introduction― グラース・サーガの3冊目。 シーモア―序章―がとても読みづらかったです。 訳者が違うせいか、原文もごちゃごちゃしているのか。
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グラース家の長男シーモアについての二つの短編が収録されている。 弟バディの視点から語られるシーモアの愛すべきキャラクター。弟妹を見守り愛し続けたシーモアをすぐに好きになってしまうのは間違いない。
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これで私はサリンジャーの、そしてグラース家の物語を一通り読んだことになる。彼はこのあと『ハプワース16,1924』を発表すると、俗世を離れて沈黙してしまう。 シーモア序章からはそんな彼の文章・物語を綴る折りの苦悩があちらこちらに散見された。 昨年亡くなったサリンジャーの自宅から...
これで私はサリンジャーの、そしてグラース家の物語を一通り読んだことになる。彼はこのあと『ハプワース16,1924』を発表すると、俗世を離れて沈黙してしまう。 シーモア序章からはそんな彼の文章・物語を綴る折りの苦悩があちらこちらに散見された。 昨年亡くなったサリンジャーの自宅からは多量のメモが発見されたそうだが、果たしてそれらが物語の体裁を保っているのだろうか?本書を読んだ後にふと思った。
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「バナナフィッシュにうってつけの日」がだいすきだった。シーモアのことがもっと知りたくて、「フラニーとゾーイー」を読み、もっともっと知りたくて、「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」を読んだ。 サリンジャーにとって、シーモアはどういう存在だったのかな。
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この作品も折に触れ何度も何度も読み返している。私にとっての安定剤的な存在。読むたびにバーウィック夫人が好きになってしまう。
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