関ヶ原(下) の商品レビュー
天下分け目の一戦における政治的要素が事細かく描かれる。 ただ、その分石田三成や徳川家康、初芽といったメインキャラクターに割かれる分量が少なく、彼らを好きになり切れずに終わってしまった。
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まあ負けるべくして負けた石田三成。しゃあない。大谷刑部の強さ、潔さに涙。金吾殿の情けなさになぜ?といいたくもなる。三成の最後は立派。でもこの人が負けたのは良かったのだと思う。家康は日本をどうするか、を考えられたが、三成はひたすら豊臣家への義に固まっている。日本にとっては家康で良か...
まあ負けるべくして負けた石田三成。しゃあない。大谷刑部の強さ、潔さに涙。金吾殿の情けなさになぜ?といいたくもなる。三成の最後は立派。でもこの人が負けたのは良かったのだと思う。家康は日本をどうするか、を考えられたが、三成はひたすら豊臣家への義に固まっている。日本にとっては家康で良かったとしか言いようが無い。三成は清廉潔白過ぎるので、下につくのは怖いし。ただ、確実に善人であり、だからこそ領民に匿われたのだろう。家康配下で生き残っては欲しかった。
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何ヶ月かかかって、ようやく読了。 石田三成という人物には昔から興味があったのだが、やはりこれを読んでもいろいろと思うことはある。一言で言うと、痛々しい。 とはいえ、身分の上では佐和山のちっぽけな大名が、天下の家康を相手に10万もの兵を集め、日本史上最大の大戦を仕掛けただけでも...
何ヶ月かかかって、ようやく読了。 石田三成という人物には昔から興味があったのだが、やはりこれを読んでもいろいろと思うことはある。一言で言うと、痛々しい。 とはいえ、身分の上では佐和山のちっぽけな大名が、天下の家康を相手に10万もの兵を集め、日本史上最大の大戦を仕掛けただけでもすごいことだ。 「もしここでこうしておけば」もしかしたら三成が勝っていたかもしれない、と思うこともいくつかあった。思考の柔軟さや機転、したたかさも含んだものが真の賢さだとすれば、三成にはそれがなかったのかもしれない。
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再読。 関ヶ原の合戦シーンは読むたびに各武将達の迫力に圧倒される。 結果は分かっているのに息詰まり手に汗握り読書に没頭。 この物語の中で一番のお気に入りは黒田如水。 島左近、大谷刑部、島津勢と凄まじい戦い方に惹かれるが、あの飄々とした雰囲気と行動にもっとも惹かれる。 ボリュー...
再読。 関ヶ原の合戦シーンは読むたびに各武将達の迫力に圧倒される。 結果は分かっているのに息詰まり手に汗握り読書に没頭。 この物語の中で一番のお気に入りは黒田如水。 島左近、大谷刑部、島津勢と凄まじい戦い方に惹かれるが、あの飄々とした雰囲気と行動にもっとも惹かれる。 ボリューム、内容ともに充実した一作です。
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あまりにも有名な大合戦について、諸大名の生き残りを賭けた、謀策、立ち回りが、生々しく描かれている。 人間は利に従って動くとする家康と、秀吉に対する義を主張する三成の対比が鮮やかすぎる。人間関係とは、リーダーとは、人望とは、を考えさせられる、さすがの作品です。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
いやあ,面白かった.本書のタイトルでもあり,下巻の後半分を占める関ヶ原の戦いが,無駄のない筆で,過剰に感情をあおるようなこともなく描かれる. 「真田丸」の放映で石田三成の再評価がなされているように思うが,本書で描かれる三成は,負けるべきして負けたようである.大局観,情報収集力,根回しや交渉といった所謂政治力など,家康には遠く及ばない.この戦いでもし西軍が勝っていたら,その後の世の中はどうなっていただろうかをかんがえると,薄ら寒い思いすらする.しかし,なんとか西軍を東軍と互角にまで引き上げることができた彼は,やはり普通の人ではなかったのだろう. 一方,本書の魅力は,挿話的に描かれる端役の人々にもある.秀吉亡き後,家康という抗えない巨大な力と三成という旧勢力との間に出入りしてくる,名の知られていない諸侯のエピソード群が,ストーリーに幅を与えているのだろう. あと,本書を読んで,福島正則が心底嫌いになりました(笑).
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敵味方の攻防が臨場感あって下巻は 一気読み。 1日2冊一気の読み疲れはでてるけど(笑) 意外に如水が最後にしめくくるのね。 司馬さん絶対家康のこと、好きやないね(笑)
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小山評定での山内一豊の行動がに印象残った。新井白石『藩翰譜』によると、評定に先立ち、横尾忠氏(出雲松江藩24万石の初代藩主)が親しかった山内一豊(掛川5万石→土佐20万石)に家康の歓心を買うために居城を献上する案を話していたが、当の評定の場でその案を一豊に先んじて提案された。忠氏...
小山評定での山内一豊の行動がに印象残った。新井白石『藩翰譜』によると、評定に先立ち、横尾忠氏(出雲松江藩24万石の初代藩主)が親しかった山内一豊(掛川5万石→土佐20万石)に家康の歓心を買うために居城を献上する案を話していたが、当の評定の場でその案を一豊に先んじて提案された。忠氏は「日ごろの篤実なあなたにも似ない行為だ」と笑ったという。
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2016_027【読了メモ】(160422 1:32)司馬遼太郎『関ヶ原』下巻/新潮文庫/1974初版
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2016年4月17日読了。関ヶ原での東軍・西軍の激突、戦の始まりとその終わりまで。諸大名への入念な根回しや自分の立ち居振る舞いによる心理的効果まで計算しつくした家康だが、それでも小早川秀秋の裏切りがなければ戦の結果はどう転んだか分からなかった、というのは「豊臣家の恩顧に報いる」と...
2016年4月17日読了。関ヶ原での東軍・西軍の激突、戦の始まりとその終わりまで。諸大名への入念な根回しや自分の立ち居振る舞いによる心理的効果まで計算しつくした家康だが、それでも小早川秀秋の裏切りがなければ戦の結果はどう転んだか分からなかった、というのは「豊臣家の恩顧に報いる」という題目の強さか、三成の事務能力の高さゆえか。まあこの戦で東軍が敗れても、せいぜい江戸幕府が開くのが数年遅れた程度の影響しかなかったのだろうか・・・。いちいち三成の采配や振舞いへのケチが目立つが、彼がそういった「気配り上手・外交上手」であれば、これほど西軍に兵を集められなかったろうし、そもそも「豊臣家のために尽くす」という発想もせず、むしろ計算高く家康に降っていたかもしれない、というのが司馬氏の見立てなのか。「豊臣家のために死ぬ」と決断するのはある意味たやすいが、妻子や配下の数万の兵や百姓の身を思うと、日和見を決め込んだり家康に取り入った大名たちを安易には批判できないよなあ、と思う。
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