ためらいの倫理学 の商品レビュー
分類=社会。03年8月(01年3月初出)。(参考)内田樹ブログ→http://blog.tatsuru.com/
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戦争とか性差別とか、そーいう論戦を戦うために、相手を論破するための武器になるものを探して勉強をしてしまうことがあると思うんですが。この本はそういう希望にはあまり答えられません。思うに内田さんの書いたものを引用できる役割というのはバランサーなんじゃないかなぁ。バランスを取る人。もし...
戦争とか性差別とか、そーいう論戦を戦うために、相手を論破するための武器になるものを探して勉強をしてしまうことがあると思うんですが。この本はそういう希望にはあまり答えられません。思うに内田さんの書いたものを引用できる役割というのはバランサーなんじゃないかなぁ。バランスを取る人。もしくは調停する人。自分だけが正しく相手だけが間違っているというような妄想にとりつかれない人。論戦での勝利など欲しくはないけどいろいろ考えたい人は、面白い視点や考え方の人なので読んでみてもいいと思う。
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・日記にも書いたが、自分が賢いと思ってる奴ほどバカだ、というのは まあ確かにそうだろうと思うんだけど、 そういうあなた自身はどうなんですか、 神の視線から見ているだけのようにも思えるんですが、と思いました。 ・フェミニズム批判のところはわりと面白かったです。 ショシャナ・...
・日記にも書いたが、自分が賢いと思ってる奴ほどバカだ、というのは まあ確かにそうだろうと思うんだけど、 そういうあなた自身はどうなんですか、 神の視線から見ているだけのようにも思えるんですが、と思いました。 ・フェミニズム批判のところはわりと面白かったです。 ショシャナ・フェルマンの『女が読むとき女が書くとき』の部分は、 難しかったけど、ついつい買ってしまいました。 女が使用する言語にも女であることの何がしかが反映される、というのは 新たな視点だったので。新鮮で。 ・最後の章の、表題作、ためらいの倫理学は非常に面白かった。 カミュの異邦人をテーマにしたもの。 再読したい。
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もともと「死と身体」を立ち読みし、ニーチェの奴隷道徳が現代は大衆に浸透してしまったというくだりを読んで非常に共感を覚えたため、読んでみることにした。ちょこちょこ3日くらいかかって読了。 非常に注意深い考察・語法と「軽快さ」が同居する不思議な哲学が広がる。 とことんメタレベル...
もともと「死と身体」を立ち読みし、ニーチェの奴隷道徳が現代は大衆に浸透してしまったというくだりを読んで非常に共感を覚えたため、読んでみることにした。ちょこちょこ3日くらいかかって読了。 非常に注意深い考察・語法と「軽快さ」が同居する不思議な哲学が広がる。 とことんメタレベルで考えながら、ポストモダンやフェミニズム論を批判する。批判といっても攻撃でも中傷でもなく、たんたんと「この人のこの考え方には共感するが、この論理構造には共感できない」と、参考文献を引用しつつ仔細に語る。 上野千鶴子は実際「セックスなんてどうだっていいじゃん」と考えているという事実には共感すると言いつつ、フェミニズム論がもつ自己言及性のなさを指摘する。フェミニストは、女性があらゆる制度や社会、文化、そして文学、論理について男性的原理を押し付けられてきたと語る。そして女性は女性のことばで語らねばならない、というようなことを言うが、その語る言葉はすでに男性的原理のなかで培われてきたものだということを注意深く感じ取っているか、また語らねばならない、と「言う」その語はどうなのか、それがわかっているのか、と言う。そういった自己批評性をもっているかどうかが哲学をするには重要だと言っている。 ページの多くが割かれている戦争論にしても、誰が戦争を起こしたか、誰が悪いか、こっちは被害者だ、あちらは悪だ、こちらが正義だ、と戦争当事者の誰もが思っていると言う。これは他者への認識の矛盾ということだと思う。この本は2001年3月に初版であり、アメリカでの同時多発テロとその後のイラク戦争におけるアメリカの発言をそのまま予言しているかのようである。予言とまで言わずとも、現代の戦争が孕む問題や特性、そして現実のレベルで行われる政策やプロパガンダの際の言説というのは、ある程度わかっているということだと思った。 そういう意味で哲学(この場合社会学かも知れないけれど)の力のようなものを感じた。私は短絡に陥りたくない、と普段から感じているので、全編に渡る、いろんなものを疑いつつ、自分の言葉さえも疑いつつ、単なる感情に陥らず、また人間性を失わない態度、というものにものすごく共感した。 :目次 なぜ私は戦争について語らないか(古だぬきは戦争について語らない アメリカという病 ほか) なぜ私は性について語らないか(アンチ・フェミニズム宣言 「男らしさ」の呪符 ほか) なぜ私は審問の語法で語らないか(正義と慈愛 当為と権能の語法 ほか) それではいかに物語るのか―ためらいの倫理学(「矛盾」と書けない大学生 邪悪さについて ほか) :レヴィナス レヴィナスは、フッサールの現象学とハイデガー哲学のすぐれた研究者として、わが国でも以前から名前は知られていたが、その独自な思想が共感を得るようになったのは、比較的最近の出来事である。彼の思想は、一見、現象学的であり、実存哲学風であり、またユダヤ教的であるが、その中心にあるのは、私の「存在」の謎と「他者」の思想であろう。 主著は、『全体性と無限』(1961)および、『存在するとは別の仕方で、あるいは存在することの彼方へ』(1974)。
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