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死に至る病 の商品レビュー

3.6

75件のお客様レビュー

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「死」について、キリ…

「死」について、キリスト教も絡んだ哲学書。難しいですが良書です。

文庫OFF

有神論的実存主義の祖…

有神論的実存主義の祖、キリケゴールの著書。正直に言えば思想も文章も難解です。しかも読むだけではなく実践する事を目的とした書です。困難。

文庫OFF

2026/02/21

逆説とは思想の情熱であり、逆説をもたない思想家は情熱をもたぬ恋人、そしてすべての情熱は自身の破滅を欲する、ゆえに理性もまたその極致において。 理性には理解不能な逆説それ自体、逆説が存在するというそのこと自体が、この人にとっては「神」なのである。いや神と「言いたい」のである。神と人...

逆説とは思想の情熱であり、逆説をもたない思想家は情熱をもたぬ恋人、そしてすべての情熱は自身の破滅を欲する、ゆえに理性もまたその極致において。 理性には理解不能な逆説それ自体、逆説が存在するというそのこと自体が、この人にとっては「神」なのである。いや神と「言いたい」のである。神と人とはあくまでも別ものであるべきだという根強い思い込み、じつはそれこそが信仰なのだと言うべきだろう。 ──池田晶子『人生は愉快だ』

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2026/01/26

キルケゴールは、ヘーゲル的な歴史を超えたものとしての「精神」をむしろ、現実に生きる人間の具体的なものとして捉えなおす。抽象的でないがゆえに、「正―反ー合」が行われるような契機はなく、この「精神」は自己自身に関係するか、他者に関係する場合に、否定的な関係としてのそれにはなりえない。...

キルケゴールは、ヘーゲル的な歴史を超えたものとしての「精神」をむしろ、現実に生きる人間の具体的なものとして捉えなおす。抽象的でないがゆえに、「正―反ー合」が行われるような契機はなく、この「精神」は自己自身に関係するか、他者に関係する場合に、否定的な関係としてのそれにはなりえない。ゆえに「合」にはなることはなく、「反」とは異なる形で、他者としてキリスト教の神が現れる。神に直面した時、人間は神との関係を拒否して自己自身であろうとするかもしれない。あるいは自己自身であることを拒否することもあるかもしれない。これがキルケゴールのいうところの絶望である。フォイエルバッハなどとは違う方向だが、ヘーゲル的な概念を現実の人間の意識において捉えなおした結果、アウフヘーベンの不可能さに到達したのである。

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2025/10/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

いやあ~これはキリスト教のことを理解していないと、なおさら理解できないですね。 真実のキリスト者として生きることがキェルケゴールの生涯の念願だったそうなので。 というわけで、さーっと流し読みしてしまいました。延々と「絶望」について描かれており、感心するフレーズや持論があっても、その理由を理解するには、私がキリスト教のことが分からないと、ホントに分かったことにはならないと思いましたので、断念しました。

Posted byブクログ

2025/03/21

2025/03/21 死に至る病とは絶望のことである。 キェルケゴールの言う「絶望」の定義が理解できない。 ここでいう「絶望」とは、自分が求める望みが一切叶わない状態ということで合っているのかな。すみません、よーわからんです。

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2024/12/25

過去課題本。文句なしの名著だが。キリスト教に興味のない人や、キリスト教に悪イメージを持っている人には、無意味な本でもある。

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2024/09/24

実存主義の創設者と言われる哲学者キェルケゴールの主著。 死に至る病とは、要するに絶望(死にたくても死ねない状態)のことで、これを解決するには信仰しかないとのこと。 読み始めて、早速このような難解な書を読むためにはどうすれば良いかという問題に直面したので、無理矢理にでも自分自身...

実存主義の創設者と言われる哲学者キェルケゴールの主著。 死に至る病とは、要するに絶望(死にたくても死ねない状態)のことで、これを解決するには信仰しかないとのこと。 読み始めて、早速このような難解な書を読むためにはどうすれば良いかという問題に直面したので、無理矢理にでも自分自身の問題に置き換えるという方法で読み進めた。 まずは第一編の以下の冒頭は「自己」に別の言葉を入れることで、読者各々の実存(生きるとはどういうことか)を取り出すことが可能だと思った。 「人間とは精神である。精神とは〇〇である。〇〇とは〇〇自身に関係するところの関係である」 (私は〇〇に「運命」や「笑い」を当てはめて読み進めてみた) また、絶望は以下の4パターンに区分されるとのことだが、自身はどれに当てはまるか考えながら読んだ。 ※念のためパターンを記載しますが、これだけでは意味不明。 ①無限性の絶望は有限性の欠乏に存する。 ②有限性の絶望は無限性の欠乏に存する。 ③可能性の絶望は必然性の欠乏に存する。   ④必然性の絶望は可能性の欠乏に存する。 私は③だったが、③は現実を生きておらず夢想ばかりしている人向けである。 夢想している人間が現実に戻ってくる時に現実に必然性を持ち合わせていなければ、生きることができず、また夢想へと向かうのである。 最後に最も重要だと思うことは、本著を書いた当のキェルケゴールが絶望していたということである。 彼の父親は子供達は若くして死ぬと信じており、キェルケゴールに「可愛そうな子よ、お前はやがて絶望のなかに陥る」と言い放ち、幼く柔らかい心に呪いをかけた。 (実際に7人兄弟の5人は早死にし、1人は精神病で入院した、キェルケゴールは街中で倒れ死ぬ) またキェルケゴールは突然に愛していたレギーネとの婚約を破棄し、レギーネは思い留まるように彼に泣きついたが、結果絶縁した。 そして怠慢なデンマーク教会に改革を求め、教会闘争中に道ばたで倒れて42歳で死んだ。 元来の自意識、父親の呪い、愛する人との絶縁、腐敗した教会。彼はこの絶望から救われたのだろうか。幸せだったのであろうか。 少なくとも彼は自殺していない。精神病で寝床に伏してもいない。(それは決して悪いことではないが) 彼は背後に存在する絶望を決して人生に連れて行こうとせずに、むしろ周り右して、信仰とその知性を持ってして絶望に突進しに行った。 その凄まじい程の衝突は意図せず、キリスト教から実存主義を生んだ。(キリストが意図せず、ユダヤ教からキリスト教を生んだように) ここで、ミラン・クンデラの小説「存在の耐えらない軽さ」の言葉を引用したい。 「悲しみは形態であり、幸福は内容であった」 「絶望は形態であり、幸福は内容であった」という現象もあり得るのではないか。そして、その幸福とは「生き抜いた幸せ」ではないだろうか。(キェルケゴールはそれを信仰と呼ぶだろう) 読者の私自身、物心ついた頃から現在に至るまで希死念慮と友達だが、そういう意味ではキェルケゴールは絶望の大先輩である。 しかし、私は知性も信仰もない。 どうすれば良いのだろうか。 ただ、確かに分かっていることは自分より遥かに絶望した人間が、この世界には間違いなく存在したということである。 それが分かっただけでも、だいぶ良い。 ★追記 本書には次のような文章が出てくる。 「罪は無知である。これが周知のようにソクラテス的な定義である。」 無知は罪?ソクラテス、こんなこと言っていたっけ?と調べてみると、案の定キェルケゴールのお手製だった。やってるな、キェルケゴール(笑)

Posted byブクログ

2023/12/24

なぜそこまでキリスト教を信じ切れるのかが私にはわからないだけに、思索の根幹に疑問を持ってしまう。結局は神を否定したら意味を失うのではないか、と。 後半は神とキリスト者をどれだけ賞賛したいのかという感じだったけど、思慕だったのかな?

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2023/03/02

宗教観を前提にしているところは宗教だなあと思うだけなのだけれど、自身らをまさに擁護するために対比せられる世間や異教徒への眼差しがなんというか思いのほか俗っぽくて、それのほかにもたとえば自己喪失のくだりなんかも書かれていることがあまりにも当たり前で、まあそのあたりはエッセイでも読む...

宗教観を前提にしているところは宗教だなあと思うだけなのだけれど、自身らをまさに擁護するために対比せられる世間や異教徒への眼差しがなんというか思いのほか俗っぽくて、それのほかにもたとえば自己喪失のくだりなんかも書かれていることがあまりにも当たり前で、まあそのあたりはエッセイでも読むような気で読み進めたけれども、第二編にはいっていよいよ宗教色が強くなるとさすがにどうでもよくなってきてしまった。

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