死に至る病 の商品レビュー
市民革命・産業革命が進む中、人々は自覚のあるなしに関わらず、人間中心の近代的なものの見方を身につけつつあった。キルケゴールは、そうした近代のものの見方にとらわれることなく、信仰へ飛躍しなければ、自らが本当に生きるということにはならないと説き、それに対してニーチェは、信仰にも近代的...
市民革命・産業革命が進む中、人々は自覚のあるなしに関わらず、人間中心の近代的なものの見方を身につけつつあった。キルケゴールは、そうした近代のものの見方にとらわれることなく、信仰へ飛躍しなければ、自らが本当に生きるということにはならないと説き、それに対してニーチェは、信仰にも近代的なものの見方にもとらわれるな、と説いているように思われる。本書は全編、信仰への飛躍を妨げるメンタリティを彼独特の仕方で分類整理し、その有り様を執拗に描き出そうとする。とても読みにくい。そして最後には、言葉で説明できるようなものは、信仰ではないというようなことも言う。やっかいではあるが、様々なメンタリティの描写には見るべきものがある。
Posted by
あまり明るい気分になれる内容ではないですが、気分が塞ぎ込んでいるときに読むと、状況を客観視できるのでモヤモヤしたものが整理され、少し楽になれるかもしれない。昼間ではなく、夜にじっくりと読める本だと思います。
Posted by
死に至る病とは何か、1ページ目をめくった瞬間に答えが出た、と思ったのにそこからが遠かった。 最初が論文口調でいて自分の意見を世の中全てに当てはまるように話しているだけなのか、「自己自身とは自身の自己に関する関係である」云々のようにトートロジーっぽくて抽象的で何を言っているのかわか...
死に至る病とは何か、1ページ目をめくった瞬間に答えが出た、と思ったのにそこからが遠かった。 最初が論文口調でいて自分の意見を世の中全てに当てはまるように話しているだけなのか、「自己自身とは自身の自己に関する関係である」云々のようにトートロジーっぽくて抽象的で何を言っているのかわからない。結論から言うと、最初の数ページは飛ばして読むでも大丈夫だった。そして絶望の類型のあたりから意味がわかってくる。 絶望の先にある唯一の救済はキリスト教の信仰にある、という点で相容れないものはあるけれど。貴賎や行動でなく、自分に対する自分自身の認識、意識によって絶望のランク分けがされるという(解説によると実存主義の始まりだという)考え方、現在の自分に対する現実逃避や思考停止こそがもっとも絶望的で、罪なのだという考え方には我が身を思わず振り返りました。キルケゴールの理想は、青年期にあるのかしら。感受性豊かで想像力を持ち、常に意識を高くもっていたいものです。
Posted by
正直な話、もう一人翻訳者を挟みたいくらい何言ってるのかよくわからない所が多かった。 絶望していると思っているが筆者のいう絶望に全く当てはまらないどころか絶望状態に酔ってるだけの人に対する皮肉っぷりはぶっ飛ばしててすがすがしくもある。 要は敬虔なクリスチャンが、真に神を信じていない...
正直な話、もう一人翻訳者を挟みたいくらい何言ってるのかよくわからない所が多かった。 絶望していると思っているが筆者のいう絶望に全く当てはまらないどころか絶望状態に酔ってるだけの人に対する皮肉っぷりはぶっ飛ばしててすがすがしくもある。 要は敬虔なクリスチャンが、真に神を信じていないようなファッションクリスチャン❨牧師も含む❩に対して思ってる諸々鬱憤なんかを書いているという気もしないでもない。というのが個人的な感想。
Posted by
キルケゴールが何故評価されたのか分からない。哲学とは突き詰めれば、既に気付きを得た人にとっては、その真理を回りくどく、その哲学者の生きた時代と宗教的価値観で説明を試みる部分があるから、難解なクセに、歴史的意義以外の収穫が全く無いなんて事も有りうる。まして150年も前の概念である。...
キルケゴールが何故評価されたのか分からない。哲学とは突き詰めれば、既に気付きを得た人にとっては、その真理を回りくどく、その哲学者の生きた時代と宗教的価値観で説明を試みる部分があるから、難解なクセに、歴史的意義以外の収穫が全く無いなんて事も有りうる。まして150年も前の概念である。クセのある哲学者と対面して話を聞くという行為は、現代人同士でも難しいし、ましてタイムスリップしてその時代の外国の哲学者の発言など、簡単なわけはない。だからこそ、大学の文学部やらで研究に用いるには良いが、読書としてはオススメしない。読書が嫌いになる危険性もあるだろう。キルケゴールの哲学を体系的に理解したいなら、インターネットなどで解説がある。衒学的な目的か学問的意図がないならば、インターネットで充分である。 私はこの事を再確認するために、苦い薬でも飲み込むように、頭に文章を一思いに通過させたのである。
Posted by
読み終えましたが、内容は全く理解できていません(涙)本書に関するWikipediaや解説サイトの方がはるかにわかりやすく、お財布にも優しいかと。
Posted by
引用のされ方によるかもしれないけど、その姿勢や感覚は好印象。読み通すのは大変だけど読み通してよかったと思える。前提に対する共感がある程度必要かなと思う。そうでない人には響かないかもしれない。しかし、やはり名のある哲学者だけあり感じたことは有意義だった。
Posted by
現代人にも通じるものがあるし、自分自身に通じるものがあって面白かった。(第一章までは辛うじて理解できた) 筆者は人より頭が良かった分きっと生きづらかっただろうなと思う。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
人間とは精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている。(p.20) 絶望はまた別の意味で一層明確に死に至る病である。この病では人は断じて死ぬことはない(人が普通に死ぬと呼んでいる意味では)、ー換言すればこの病は肉体的な死をもっては終わらないのである。反対に、絶望の苦悩は死ぬことはできないというまさにその点に存するのである。絶望は死病にとりつかれている者に似ている、ーこの者はそこに横たわりつつ死にひんしているのではあるが、死ぬことができないのである。(p.28) さて絶望して彼自身であろうと欲するところのかかる苦悩者のうちに、意識がより多く存在すればする程、それだけまた絶望の度も強くなってそれはついに悪魔的なる者にまで至る。悪魔的なる者の根源は普通次のようなものである。絶望して自己自身であろうと欲するところの自己は、いかにしても自分の具体的自己から除き去ることも切り離すこともできない何等かの苦悩のために呻吟する。(pp.118-119) (解説)死に至る病というのは、それでは決して死ねない病、死ぬに死ねない病の謂いなのである。絶望とはちょうどそのようなものである。死んでないしは自殺して墓場に安住できるというようなのであれば、キェルケゴールに言わせれば、それは未だ絶望の極致とはいいえない。死ぬに死ねないこと、たえず死に面し死に至りながら死ぬこともできないということ、いな永遠に死を死ななければならないということ、これが絶望者のないしは最も不幸なるものの真実の姿なのである。最も不幸なるものの墓は空であろう、と彼はいっている。(p.234)
Posted by
冒頭の「自己」の定義からしてよく飲み込めないまま、無理やり読了。内向的クリスチャンを自認する者としては、いつかこれをきちんと理解できるようになりたい。
Posted by