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死に至る病 の商品レビュー

3.5

70件のお客様レビュー

  1. 5つ

    14

  2. 4つ

    16

  3. 3つ

    21

  4. 2つ

    6

  5. 1つ

    3

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2022/02/20

有名な古典ということで手に取っては見たものの、全然頭に入って来ず、手も足も出ず、序盤以降は斜め読み、拾い読みでギブアップ。 P27 絶望していないということは、絶望的でありうるという可能性を否定したことでなければならない。 P28 絶望は可能性として人間そのもののうちにひそん...

有名な古典ということで手に取っては見たものの、全然頭に入って来ず、手も足も出ず、序盤以降は斜め読み、拾い読みでギブアップ。 P27 絶望していないということは、絶望的でありうるという可能性を否定したことでなければならない。 P28 絶望は可能性として人間そのもののうちにひそんでいるのである。 P30 絶望者は彼の絶望している各瞬間に絶望を自分に招き寄せているのである。 P290 解説 死に至る病というとややもするといわゆる死病すなわちそれで死んでしまう病気のように解されがちであるけれども、(中略)それでは決して死ねない病、死ぬに死ねない病の謂いなのである。 デンマーク語の原題『Sygdommen Til Doden』は、死ぬ迄続く病気、というニュアンスのもよう。

Posted byブクログ

2022/02/11

難しかった…。かろうじて活字を追えたという感じ。数年後に読み返して多少理解できればいいな…。哲学書的なものと思っていたけど実際は宗教色が強くて、キリスト教的予備知識がないと理解できないし、キリスト教徒的感覚がないと共感できないんじゃないかと思った。所々に出てくる恋愛での例え話がお...

難しかった…。かろうじて活字を追えたという感じ。数年後に読み返して多少理解できればいいな…。哲学書的なものと思っていたけど実際は宗教色が強くて、キリスト教的予備知識がないと理解できないし、キリスト教徒的感覚がないと共感できないんじゃないかと思った。所々に出てくる恋愛での例え話がおもしろかった。

Posted byブクログ

2021/12/20

キルケゴールを解説書などではなく、直接読むのは初めてだが、その信仰に身震いした。この歳まで読まずに来たことを悔やむ。つくづく読書は若いうちからはまるべきだ。これまで人生の何分の一かを損した気持ちになった。ただ私のラッキーは聖書に馴染み生きてきたことだ。多くの日本人にとって難解な書...

キルケゴールを解説書などではなく、直接読むのは初めてだが、その信仰に身震いした。この歳まで読まずに来たことを悔やむ。つくづく読書は若いうちからはまるべきだ。これまで人生の何分の一かを損した気持ちになった。ただ私のラッキーは聖書に馴染み生きてきたことだ。多くの日本人にとって難解な書と思うが、聖書のバックグラウンドがあることで一文字一文字が沁みるように入ってくる。文体そのものは一見古いが、キルケゴールの言葉運びそのものは、要点が分かりやすく、それをさらに砕いていくのでとても読みやすい。 人間の最初の姿は絶望である。神の前に犯した罪の故にエデンを追い出されて必ず死ぬものとされた人の姿は絶望そのものである。人は可愛い赤ん坊すらも死を抱えて生まれてくる。これだけなら絶望せずにいられようか。キルケゴールの言う死に至る病とはこの絶望のうちに生きる人間そのものであるが、しかし同時に(歴史的時間差はあれど)永遠の命の希望と赦し、救いをもたらすために人となった神が元からおり、その神と離れた状態を指して、さらに踏み込んで病として様々な表現で絶望を説明する。これが第一部である。日本にはキリスト教の神はないからそんな絶望は関係ないと感じる読者も多いだろう。そのような「絶望」の姿も第一部にはしっかりと書かれているからよく読まれたし。 第二部は絶望が神と人を分断するところの罪に置き換えられて述べられていく。罪とは一般に思われている徳の反対としての罪ではない。時々発露し人に迷惑をかけるような罪のことでもない。信仰の反対を罪という。永遠の命にに至る、神が私をあなたを赦したがっているという事実に抗うこと、罪とは行為ではなく状態のことである。 実存主義とはこの書が起点になったと説明されるが、人が死から命に移されていることのリアリティのように思う。 なぜキリスト教は嘘くさく人に伝わるのだろうと思うことがある。キルケゴールの言葉は爽快だ。それはキリスト教界がキリスト教を擁護するからだ。神による実存から自身と真実を切り離し外側に回って擁護するのだ。それは第二のユダである。ユダは接吻から裏切るのだと。

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2021/09/19

絶望とは ・自分の外側に自己を向けること ・自分自身の責任から逃げること ・自分への被害者意識 自分を信じ、自分の責任は自分で取る。 分かっているけど、できていなかったな。

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2021/02/27

・絶望とは自己を見失うこと ・誰にでも絶望はある ・絶望を超えるには、信仰すること。 ・信仰→ 自分を信じて、自分の責任で選択していくこと。 ・自己は人との関係の関係にある。 ・人の生きかたは、感性的に生きるか、倫理的に生きるか ・感性的に生きることは外部からの影響を受けて流され...

・絶望とは自己を見失うこと ・誰にでも絶望はある ・絶望を超えるには、信仰すること。 ・信仰→ 自分を信じて、自分の責任で選択していくこと。 ・自己は人との関係の関係にある。 ・人の生きかたは、感性的に生きるか、倫理的に生きるか ・感性的に生きることは外部からの影響を受けて流されるので自分を見失う ・倫理的に生きる事で、自分で内省しながら自分の判断で生きていく ・著者は現存主義。

Posted byブクログ

2021/01/20

キェルケゴール 「死に至る病」 絶望について論じた本。死に至る病=絶望=地獄 として、キリスト教による救済につなぐ構成 絶望から解放されるにはキリスト教による救済しかないという結論だと偏狭さや他人任せを感じるが、フォイエルバッハ 「キリスト教の本質」のように「神が人間であり...

キェルケゴール 「死に至る病」 絶望について論じた本。死に至る病=絶望=地獄 として、キリスト教による救済につなぐ構成 絶望から解放されるにはキリスト教による救済しかないという結論だと偏狭さや他人任せを感じるが、フォイエルバッハ 「キリスト教の本質」のように「神が人間であり、人間が神である」として読むと、信仰の意味が自己対話的になり、主体的に絶望から脱け出す方法が見えてくる 著者の結論 *絶望=自己の病→自己の喪失=神との関係の喪失 *絶望は 精神の領域=自己自身との関係 において起きる *絶望を通じて、神の前に現存する自己を意識することで 絶望から解放される   人間は 追いつめられて、いかなる可能性も存在しなくなって初めて、一切が可能である 神の存在を認識できる

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2020/09/19

文章は哲学調で読みにくいが、趣旨は明快。実際、本書が示す段階に沿って一段二段と歩を進め、生きてきた人は少なくないのでは。哲学と馬鹿にさせないだけの見事な現実洞察があると思いました。

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2020/07/20

難解でした。 まぁ絶望が原因であると…。 簡単な解説がありがたかったです。 https://diamond.jp/articles/-/205853

Posted byブクログ

2020/05/10
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

自分の内面と徹底的に向き合うみたいなところの真剣さがすごかった。の対象がキリスト教の神であるところはかなり正統派(保守派?)な感じがするけれど。 自己意識との葛藤、どう自己意識を高めても私たちは、一人のただの人間で、不完全性から逃れられることはない、けどだからと言って、それを止めてしまうんじゃなくて、絶望を極めつつも、自分の意識と向き合い続けようとすることこそが、まさに弁証法的な生き方―彼の場合は、罪を贖う唯一の生き方―なんだ、ということを言っているのかと理解する。それには、信じること、とにかく絶望に負けない希望みたいなものの存在が必要ということにもなる。 ちょっと違うと思うけれど、理想と現実のギャップ、みたいな似たような葛藤はみんな今もあると思うし、それをじゃあどうやって受け入れて、自分自身と付き合っていくか、みたいなところがあると思った。 でも個人的には、内面に陥りすぎると、社会との接点というか、現実の物質的な部分が見えなくなりそうなので、バランス大事と思った。いろんな思想や信仰を持つ人とどう社会を作っていくか、という部分もめちゃ大事やと思うし。 分かったような感想書いてますが、まあそう簡単には理解できない部分がありました。

Posted byブクログ

2019/12/06

市民革命・産業革命が進む中、人々は自覚のあるなしに関わらず、人間中心の近代的なものの見方を身につけつつあった。キルケゴールは、そうした近代のものの見方にとらわれることなく、信仰へ飛躍しなければ、自らが本当に生きるということにはならないと説き、それに対してニーチェは、信仰にも近代的...

市民革命・産業革命が進む中、人々は自覚のあるなしに関わらず、人間中心の近代的なものの見方を身につけつつあった。キルケゴールは、そうした近代のものの見方にとらわれることなく、信仰へ飛躍しなければ、自らが本当に生きるということにはならないと説き、それに対してニーチェは、信仰にも近代的なものの見方にもとらわれるな、と説いているように思われる。本書は全編、信仰への飛躍を妨げるメンタリティを彼独特の仕方で分類整理し、その有り様を執拗に描き出そうとする。とても読みにくい。そして最後には、言葉で説明できるようなものは、信仰ではないというようなことも言う。やっかいではあるが、様々なメンタリティの描写には見るべきものがある。

Posted byブクログ