教養主義の没落 の商品レビュー
昔は読まなければならない本というものがあった。難しそうな本がぎっしりつまった本棚。雑誌『世界』を定期購入して、本棚に並べていることがインテリの証だった。p.6 寮や下宿で夜を徹して人生論や哲学論議。p.8 岩波書店という文化装置。p.131 教養主義とは、たくさんの書物を読...
昔は読まなければならない本というものがあった。難しそうな本がぎっしりつまった本棚。雑誌『世界』を定期購入して、本棚に並べていることがインテリの証だった。p.6 寮や下宿で夜を徹して人生論や哲学論議。p.8 岩波書店という文化装置。p.131 教養主義とは、たくさんの書物を読んで、教養を詰め込む預金的な志向・態度。p.54 大半の人は散漫な知識を寄せ集めた教養俗物だった。実存哲学のフレーズを振り回して、哲学青年・文学青年を気取った。教養は友人に差をつけるファッションだった。学歴エリートという成り上がりが教養というメッキによって「知識人」という身分文化を獲得しようとした。p.24 頭でっかちの、裸にすれば痩せっぽっちのインテリ野郎。p.82 ********* エコール・ノルマル・シュペリウール。都市部の金持ち階層出身が多い。この学校に入学したブルデューは地方の下層中流の出だったので、負い目を感じていた。p.117 東大生の1日の勉強時間(1934年)。4時間弱(授業除く?)。p.100 大学進学率15% (1963年)。ここから大学の大衆化が進んでいく。p.206
Posted by
かつて大学における基盤文化であった教養主義が、没落する過程に光を当てた作品。 教養主義とは、人文科学(歴史・哲学・文学)の読書体験を通じて人格形成を目指すことを重んじる風潮。 かつては中央公論などの総合雑誌やあかでみっくな文庫・新書・専門書の出版社のシンボル的存在であった岩波...
かつて大学における基盤文化であった教養主義が、没落する過程に光を当てた作品。 教養主義とは、人文科学(歴史・哲学・文学)の読書体験を通じて人格形成を目指すことを重んじる風潮。 かつては中央公論などの総合雑誌やあかでみっくな文庫・新書・専門書の出版社のシンボル的存在であった岩波書店が、教養主義を支える文化装置として機能した。 しかし、高度経済成長とともに内省的な教養知よりも機能的で功利的な専門知が重視されるようになった。 また大学進学率が上昇し、大卒者がサラリーマン化して地位が相対的に低下する中で、教養主義的な知的文化はは大衆文化に取って代わられるようになった。
Posted by
頷けるところもあり、あまり新書を読まない自分としては、中々面白く読んだ。ただし、自分の研究テーマの結びつけることのできるような、アクチュアルな問題関心を掘り起こすという当初の目的に適ったかというと、少し微妙なところ。そもそも初版が2003年なので、約20年も前の本をして、現代の...
頷けるところもあり、あまり新書を読まない自分としては、中々面白く読んだ。ただし、自分の研究テーマの結びつけることのできるような、アクチュアルな問題関心を掘り起こすという当初の目的に適ったかというと、少し微妙なところ。そもそも初版が2003年なので、約20年も前の本をして、現代の問題関心と接続できるかというと…まあ、これはこちらの問題で、本書の絶対的な価値を揺るがすものではないだろう。 18世紀末の大正教養主義から、現代の「キョウヨウ」、そして教養主義の没落に至るまでを、時系列ではなく様々な角度に沿って概観していく。主題となっている教養主義の没落に関しては、終章でのみ語られるため、全体的な印象としては、没落というより興亡について記述されているように思えた。 以下はメモとなる。西洋文化の導入として始まる大正教養主義、そしてその上位互換として位置づけられながら、知識の貯蓄なく振るえる棍棒、教養主義の鬼子としてマルクス主義が隆盛するが、戦時体制でその勢いが衰えると、再び教養主義が復活する。旧制高校において育まれたそれらは、戦後も新制大学において、岩波文庫などを文化装置に支えられながら隆盛し、60年代に最盛期を迎えたのだと筆者は主張する。しかし、60年代後半以後は大学卒業者の数が増え、「学卒」であっても(ただのサラリーマン予備軍として)明るい未来が保障されなくなると、全共闘運動などに象徴的なように、全世代の教養主義に対する反発的な傾向がたち現れるようになった。そして70年代以降の「中間大衆社会」という構造は、最早社会階級と内実の不一致(金があるのに学歴がない、学歴があるのに金がない)など、階級が希薄化することによって「階層的に構造が意識されない膨大な大衆」を生み出し、今や正統文化となった「サラリーマン文化」へ迎合するため、凡俗へ居直り、そこから逸脱しないようにすることが重視されるようになった。かくて、現代のキョウヨウは、一般的な枠組みから逸脱せず、そこへ適応するためだけの道具へと成り下がった。 時代を追って内容を咀嚼するために、上記のように自分の理解をまとめたが、他にも日本における文学部の、都市部富裕層というよりは相対的に農村部貧困層との親和性の高さ(そしてフランスとの対比)や、経済成長によりそうした差異が解消していったことが、農民的な勤勉さ、克己心の減退と結び付けられ、教養主義の衰退の一因を担っているという指摘など、面白く読んだ部分は少なくなかった。
Posted by
時代の流れの中における教養主義についてはわかったが、少し分析については、甘いような気がした。 私自身の知識不足もあり、少し消化不良である。
Posted by
明治期から、1周まわって、語学や知識を備える大学4年間を過ごさないといけないのかなと思いました。予測できない未来に対応するために…文部科学省のキーワードに従えば。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
教養そのものではなく、大正末期から昭和末期頃までの教養主義・教養主義者の変遷について論じる。 過去の教養に関する状況への分析が多く,現在や将来への分析や提言は少ない。 資料的価値に重きを置いた本といえる。データの分析に関する部分は読み飛ばしてもよさそう。 とはいえ,「教養の培われる場としての対面的人格関係は、これからの教養を考えるうえで大事にしたい視点である。」(246頁)として,教師や友人などの人的媒体を介した教養の発展を示唆している。
Posted by
読書を中心とした教養の習得が魅力を失っていった経緯を説明。多くの文献や調査に当たっていて説得力がある。時間をおいて読み直したい。
Posted by
石原慎太郎の左翼嫌いを教養主義的観点から説明したのは画期的。その他、教養主義の共鳴・増幅装置である岩波書店の考察や、『青い山脈』の分析等々が興味深い。
Posted by
旧制高校を中心とした、“教養主義”に関する歴史と考察。筆者の懐古趣味も多分に感じられる。基本的に文系の世界のことなので、理系な自分には半分くらいしか共感できないが、あれは古き良き時代、なのか。 自分が学生だったのは本書の中で最も新しい時代分類に属するが、その時代の学生の読書...
旧制高校を中心とした、“教養主義”に関する歴史と考察。筆者の懐古趣味も多分に感じられる。基本的に文系の世界のことなので、理系な自分には半分くらいしか共感できないが、あれは古き良き時代、なのか。 自分が学生だったのは本書の中で最も新しい時代分類に属するが、その時代の学生の読書状況には恥じ入るばかりだ。あの頃、もっと本を読んでおくべきだった。それは確かだ。
Posted by
あまり好きじゃないがヨーロッパでも日本でも各国の上流階級が持っている文化はフランスのものに近いという言説には納得。
Posted by