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教養主義の没落 の商品レビュー

3.6

55件のお客様レビュー

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  2. 4つ

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2011/09/04

自分の中に多分に教養主義というよりも修養主義への信奉が残っているのは、年代は違うが大学第一世代に属しているからなのかもしれない。親は高等教育を受けられなかった農村出身者でなんとか新中間層の最下辺に属し、子供には自分が受けられなかった高等教育を受けさせることで自分自身を満足させよう...

自分の中に多分に教養主義というよりも修養主義への信奉が残っているのは、年代は違うが大学第一世代に属しているからなのかもしれない。親は高等教育を受けられなかった農村出身者でなんとか新中間層の最下辺に属し、子供には自分が受けられなかった高等教育を受けさせることで自分自身を満足させようとしている世代に属している。勉強をすれば(高学歴があれば)、より良い人生が送れると考えた世代であることは間違いない。

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2011/06/20

関西大学文学部教授、京都大学名誉教授の竹内洋による学生文化論 【構成】 序章 教養主義が輝いたとき 1章 エリート学生文化のうねり 2章 50年代キャンパス文化と石原慎太郎 3章 帝大文学士とノルマリアン 4章 岩波書店という文化装置 5章 文化戦略と覇権 終章 アンティ・クラ...

関西大学文学部教授、京都大学名誉教授の竹内洋による学生文化論 【構成】 序章 教養主義が輝いたとき 1章 エリート学生文化のうねり 2章 50年代キャンパス文化と石原慎太郎 3章 帝大文学士とノルマリアン 4章 岩波書店という文化装置 5章 文化戦略と覇権 終章 アンティ・クライマックス  かつて「教養主義」と呼ばれる思想が大学生たちを魅了した時代があった。大正時代、官公立の旧制中学・旧制高校を出た人々は、競って書を読み、高等教育機関たる大学で培われてきた「知」に対して畏敬の念をもち、それに近づかんとすることが「学生」の本分とされてきた。それはまさに大学生が「知識人」であった時代である。  しかし、戦後新制中学・新制高校を出た人々が大学に入ってくると、その「教養主義」に対し反感を覚えるようになってくる。それは、丸山眞男に代表されるような進歩派知識人たちが、こぞって社会科学としてのマルキシズムにシンパシーを感じ、それが反体制的・反保守的な思潮として社会化していったことが背景になろう。  そのような戦後世代が教養主義に抱く違和感の背景を探るべく、著者はさらに「教養主義」のもつ社会的背景にスポットをあてる。それは、「教養主義」の本山である帝大の文学部の特色を明らかにすることで浮かび上がる。  文学部は戦前以来、法学部や経済学部と比べ、地方の農村出身者が多く実家の収入も少なかった。そして、就職先といえば大学の研究者か中学校の教師となるぐらいしか道はなく、卒業後の収入も多くなかった。つまり、帝大文学部においては社会的にはエリートたりえない階層の人々が刻苦勉励・苦学を通じて「教養」を獲得し、「知的エリート」たらんとする。その動機として形成されるのが「教養主義」なのである。戦後世代が抱く違和感とは、都市市民が地方農村出身者に抱く「泥臭さ」の感覚と似ているのかもしれない。  そして、大学のアカデミックな「教養」とマルクス主義に染まる社会大衆をつなぎ、大学の「知」を世間に広めながらその高踏なイメージを世間に植え付けたのが「岩波文化」だと著者は論じる。1950年代はそのような出版文化が隆盛を見せ、大衆に「教養主義」が広まった時代であった。  だが、1960年代末の全共闘運動をピークにして、「教養的マルクス主義」「マルクス的教養主義」は一気に下火になり、ポスト全共闘世代(しらけ世代)は、「中間大衆」として修養を通じた知的エリートとなることに魅力を感じなくなっていった。  本書は、帝大の文学部という特殊な空間を総本山としたで形成されてきた「教養主義」=読書を通じた修養という空気を大学生の読書傾向からひもとき、社会的・文化的背景に踏み込むことで、その実態を明らかにしている。国立大学の文学部出身者には一読をおす

Posted byブクログ

2011/04/04

自分は著者と同じくプチ教養主義者を自称している。 だがマルクス主義には全く関心がないし、また残念なことに旧帝大の卒業生でもない(教養学部がある三流大学出身)。 それでも現代の三流教養主義者としてはこういった本に関心を示さずにはいられないのだ。 この本では旧制高校の気質として...

自分は著者と同じくプチ教養主義者を自称している。 だがマルクス主義には全く関心がないし、また残念なことに旧帝大の卒業生でもない(教養学部がある三流大学出身)。 それでも現代の三流教養主義者としてはこういった本に関心を示さずにはいられないのだ。 この本では旧制高校の気質としてあった教養主義(歴史・文学・哲学)が衰退した歴史をデータなどを元に分かり易く考察している。 中でも興味深かったのは旧帝大文学部には農村部出身の学生が多かったという点。 自分は学歴コンプレックスから教養主義に走った口だが、昔は家柄コンプレックスめいたものが確実あったのだろう。 教養はコンプレックスから身につける・・・ような気がする。 これは今も昔も変わらず。 どうしても生活が豊かになると教養が軽んじられるのは必定だとは思う。 この本は2003年に出版されたのだが、そこから更に社会は実務型の人間を求める風潮になった。 でも社会に何の役に立たなくてもコンプレックスというファッションは止められないので、これからも僕は無駄な読書を続けると思う。 せいぜいmixiで飾る程度で、酒飲みながら誰かと文学や哲学語らうわけでもないし、そもそも自分自身没落しているからますますシンパシーを感じるってものだ。

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2011/03/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

[ 内容 ] 一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。 それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。 人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。 本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。 [ 目次 ] 序章 教養主義が輝いたとき 1章 エリート学生文化のうねり 2章 五〇年代キャンパス文化と石原慎太郎 3章 帝大文学士とノルマリアン 4章 岩波書店という文化装置 5章 文化戦略と覇権 終章 アンティ・クライマックス [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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2018/10/14

学生文化、マルキシズムがそこに落とす影響ということが、手に取るように見えた時代から、大衆サラリーマンを目指す凡俗への居直りへの流れを指摘する。中野孝次「苦い夏」で「美とか何とか言ったって、要するにあんたはブルジョアの洗練に憧れてるだけ」は、ドキリとする。

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2010/12/31

教養の再定義を問われていると感じているのでこの本を読んでみた。 高等教育行政では、一度一般教育というかたちでの教養教育を解体したものの、先般の学士課程答申で再度教養を考える機会を与えている。答申では多分にリベラルアーツを踏まえよ、という意図が読み取れる。 かといって復古的・古典的...

教養の再定義を問われていると感じているのでこの本を読んでみた。 高等教育行政では、一度一般教育というかたちでの教養教育を解体したものの、先般の学士課程答申で再度教養を考える機会を与えている。答申では多分にリベラルアーツを踏まえよ、という意図が読み取れる。 かといって復古的・古典的な教育プログラムは当てはまらないだろうから、現代の多様な学生にアレンジしなければならない。そういった課題意識がある。 大正期や昭和の戦前期は、中央公論等の総合雑誌が規範文化となった。当然マルキシズムが最先端の時代だ。左にかぶいているのが先進的とされていた。「マルクス主義本を読んで理解しない学生は「馬鹿」であり、読んで実践しない学生は「意気地なし」となる」pp44 それはドイツの学問・哲学、フランスの政治思想、イギリスの経済学を統合した社会科学といわれた。pp50 旧制高校がその呼び水となったことも書かれている。 その旧制高校に教養に傾倒すると文学部に行くことが多かった。 ハビトゥス:人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。行為の原則のようなもの「品」。 125頁の図では、「教養のある」カテゴリーには、 正統、思慮分別、学識、趣味のよさ、絢爛、繊細、 丹念、秀逸、知識、独創性、優雅、流暢 といった言葉がまとめられている。 岩波アカデミズム:官学アカデミズム⇔岩波文化                  (相互依存/客観的共謀) 本書を読んだ後にすかさず持った感想は、学校教育、それも高等普通教育の4年間だけで教養教育を担うは不可能と確信したことである。

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2011/09/03

中身はけっこうおもしろかったけれど、最後の方でビートたけしが出てきたり、徒弟制みたいな話がでてきたりで、一貫した論としてのまとまりにはかける気がした。学生達が中央公論や岩波文庫を読まなくなったあたりから、教養主義は崩壊する。で、それは1970年あたり。本を読んだり、大学へ行ったり...

中身はけっこうおもしろかったけれど、最後の方でビートたけしが出てきたり、徒弟制みたいな話がでてきたりで、一貫した論としてのまとまりにはかける気がした。学生達が中央公論や岩波文庫を読まなくなったあたりから、教養主義は崩壊する。で、それは1970年あたり。本を読んだり、大学へ行ったりすることが当たり前のことになったあたりと重なる。読書で自己鍛錬とか、教養を得るといった考え方自体が崩壊している。後は人間から人間へ受け継がれる教養とはこういうものだといったイメージが薄れていったということもある。儲からなくて、おもしろいと思うまでに時間がかかることに耐えられない人間が多くなってきたのではと思った。後は、薫陶を受けるとかいうことも死んできた気が。。。

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2011/08/19

ブルデューのハビトゥスの概念を手がかりに、農村的エートスによって教養主義の発祥を解明している。著者は、教養主義に対するさめた視点を失うことはないものの、現実を超えようとする精神や畏怖する感性があったと述べるところに、教養主義に対する著者の郷愁がのぞいている。 本書はあくまで教養...

ブルデューのハビトゥスの概念を手がかりに、農村的エートスによって教養主義の発祥を解明している。著者は、教養主義に対するさめた視点を失うことはないものの、現実を超えようとする精神や畏怖する感性があったと述べるところに、教養主義に対する著者の郷愁がのぞいている。 本書はあくまで教養主義の実態を歴史的・社会的に考察する本なのだが、抑制の効いた筆致で岩波茂雄や前尾繁三郎のエピソードを紹介するくだりなどは印象的で、さわやかな読後感を残す。

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2010/04/23

第4章「岩波書店という文化装置」読了。岩波書店創業者である岩波茂雄さんの言葉「金儲けを目的としなかったが,金は儲かった。しかし生活は実に質素であった」が印象に残った。

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2009/11/12

戦前戦後において、哲学の読書などを中心とし、自分の人格を高めるという教養主義が流行した。しかし、現時点において,そのような教養主義は没落してしまったと言えるだろう。 そのことについて書かれたのが本書である。 現代の大学において、「教養」とは、以前の教養とは別の物を指しているように...

戦前戦後において、哲学の読書などを中心とし、自分の人格を高めるという教養主義が流行した。しかし、現時点において,そのような教養主義は没落してしまったと言えるだろう。 そのことについて書かれたのが本書である。 現代の大学において、「教養」とは、以前の教養とは別の物を指しているように感じられる。 これは大学のユニバーサル化の影響である。 そう言ってしまえばおしまいだが、事はそう単純ではない。 その背景について教えてくれると言う点で,この本には価値がある。

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