1,800円以上の注文で送料無料

教養主義の没落 の商品レビュー

3.6

55件のお客様レビュー

  1. 5つ

    4

  2. 4つ

    20

  3. 3つ

    18

  4. 2つ

    3

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2016/04/24

私はつい最近まで「教養」というものを大変軽く考えていた。大学では教養課程と専門課程があるが教養課程というものは専門課程にいたるための準備くらいにしか考えていなかった。学生の頃は幅広い教養なんてものにかかわずらっているより特定の分野の深い知識を身につけた方がいいと能天気に考えていた...

私はつい最近まで「教養」というものを大変軽く考えていた。大学では教養課程と専門課程があるが教養課程というものは専門課程にいたるための準備くらいにしか考えていなかった。学生の頃は幅広い教養なんてものにかかわずらっているより特定の分野の深い知識を身につけた方がいいと能天気に考えていた。昔の学生はむしろ教養の方を上位に位置づけていたようだ。当時の学生はまぎれもなくエリートであり明日の日本を背負って立たなければいけないという自覚を持っていた。目指すところは洗練された西洋文化であり後ろを振り返るとそこには自分たちが後にしてきた貧しい農村の姿があった。切実な上昇志向と使命感が教養主義を形作っていったのではないかと思う。だから教養主義は同じ西洋志向でも使命感の有る無しで「ハイカラ」と対立するし、同じエリート志向でも西洋に源泉をもとめるのかこれまでの伝統的なものに根ざしているのかによって「修養主義」と対立する。従って伝統的で町人文化に根ざした「江戸趣味」は教養主義の対極に位置する。

Posted byブクログ

2016/03/07

図書館勤務時代、最近の若い者(学生)は本を読まん…とかいう老教員の嘆きを耳タコで聞いてきたが、それってどういうことだったんだろう…ということを何となく理解(ぉ

Posted byブクログ

2016/01/11

1942年(昭和17年)生まれの社会学者で、自ら“プチ教養主義者”であったと語る竹内洋氏が、大正時代の旧制高校を発祥地として、約半世紀に亘り日本の大学において主流であった“教養主義”について、その変遷と没落の過程を綴ったものである。 本書の内容を時系列に整理すると概ね以下の通りで...

1942年(昭和17年)生まれの社会学者で、自ら“プチ教養主義者”であったと語る竹内洋氏が、大正時代の旧制高校を発祥地として、約半世紀に亘り日本の大学において主流であった“教養主義”について、その変遷と没落の過程を綴ったものである。 本書の内容を時系列に整理すると概ね以下の通りである。 ◆大正時代に、阿部次郎や和辻哲郎らが教養主義文化の伝道者となり、阿部の『三太郎の日記』や和辻の『善の研究』などが刊行され、旧制高等学校を主な舞台に“大正教養主義”が定着する。 ◆しかし、ほどなく知的青年の文化はマルクス主義へと変化し始め、大正時代の終りには、マルクス主義本を読んで理解しない学生は馬鹿であり、読んで実勢しない学生は意気地なしとされるようになる。しかし、マルクス主義が読書人的教養主義的であるかぎり、両者は反目=共依存関係にあり、だからこそ従来の教養は「古い教養」で、マルクス主義こそ「新しい教養」ともみなされた。 ◆昭和10年代に入ると、マルクス主義への弾圧が強まり、それを埋める形で河合栄治郎らが主導する“昭和教養主義”が復活する。マルクス主義をかいくぐった昭和教養主義は、大正教養主義が内面の陶冶を目的としていたのと異なり、社会に開かれた教養主義であった。 ◆第二次世界大戦後は、1950年(昭和25年)に旧制高校は廃止されたものの、教養主義やマルクス主義の抑圧が戦争につながったとの考えを背景に、教養主義は甦り、かつマルクス主義と著しく接近した。こうして教養主義が復興・存続し得たのは、庶民やインテリが明確な階層文化を伴って実体的に存在していたことが大きい。 ◆その後、1960年代後半に大学進学率が上昇しはじめたことに伴い、学歴エリートとしての教養知は必要なくなり、教養主義文化は駆逐されていった。 私は1960年代生まれで、本書に描かれた時代は全く経験しておらず、“教養主義”という言葉に実感としてはポジティブな感情もネガティブな感情も持ってはいないが、著者の「わたしのほうは、旧制高校的教養主義をもういちどそのまま甦らせるべきだなどという気持ちはないにしても、読書による人間形成というそんな時代があったこと、いまでも学生生活の一部分がそうであっても当たり前だ、と思っている」という言葉には世代を越えて共感するし、平均学歴が上がったからといって、教養知が不要になったなどとは全く思わない。 “教養(主義)”が輝いていた時代を知ることができる一冊である。 (2014年5月了)

Posted byブクログ

2015/03/26

最近、反知性主義というものがキーワードになっている。欧米の反知性主義は神を信ずるが故に知性を軽んじるようなものらしい。一方、日本の場合は宗教的な原因はあまりないだろう、果たしてなぜだろうかと思っていた。そんなとき読んでみたのが本書だった。 各年代で日本での教養とは何を象徴するもの...

最近、反知性主義というものがキーワードになっている。欧米の反知性主義は神を信ずるが故に知性を軽んじるようなものらしい。一方、日本の場合は宗教的な原因はあまりないだろう、果たしてなぜだろうかと思っていた。そんなとき読んでみたのが本書だった。 各年代で日本での教養とは何を象徴するものだったのかを知り、自分が教養をどう見ているかということを考えながら読んだ。社会史のなかでの自分を客観視することができて面白かった。

Posted byブクログ

2015/06/11

烏兎の庭 第一部 書評 8.18.03 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/boturakuy.html

Posted byブクログ

2014/12/07

この本を読んで思ったのは自分は戦前戦後における大学においての教養主義に憧れを持っているのだなということである。モラトリアムを十二分に満喫した読書至上主義は今のアルバイトや就活に明け暮れる大学生活とは大きく異なるものである。もちろん本書で語られているのは東大という最高学府における大...

この本を読んで思ったのは自分は戦前戦後における大学においての教養主義に憧れを持っているのだなということである。モラトリアムを十二分に満喫した読書至上主義は今のアルバイトや就活に明け暮れる大学生活とは大きく異なるものである。もちろん本書で語られているのは東大という最高学府における大学生活とはであるが。

Posted byブクログ

2014/08/02

「教養」とは何か? これを読んでおけば、「教養人」という共通理解は、僕たちの世代にはほとんどないのではないか… 本著は、大学院の講義を担当し、教育社会学(歴史社会学)の魅力を教えてくださった竹内洋先生の代表作。 大正から戦後に至るまでの「教養」のあり方を読み解く。

Posted byブクログ

2014/04/21

私はこの文中でもときどき言及されている某大学の生徒なのですが大学生活を送っていても今までより教養というワードが話者の意図した様々な意味合いで使われているので、そもそもどういう意味・由来なのかと疑問に思ってこのほんを取ってみました。 実際にそのような内容は必要以上にもりだくさんで、...

私はこの文中でもときどき言及されている某大学の生徒なのですが大学生活を送っていても今までより教養というワードが話者の意図した様々な意味合いで使われているので、そもそもどういう意味・由来なのかと疑問に思ってこのほんを取ってみました。 実際にそのような内容は必要以上にもりだくさんで、どちらかというと中高年の大学紛争などの時代を生きた方向けに書かれた書籍だなと感じました。とはいえ若い人でもおおよその雰囲気を知ることは十分できる上にこのような分野で新書のように概要を知ることのできる本もあまり見当たらなかったので、そういう意味合いではありなのかなとは思います。

Posted byブクログ

2014/03/01

教養そのものの在り方を見つめ直す契機となる一冊。 「教養」とはかつて、一種のステータスであり、また同時に世を善くしようための、人格形成の一要素と認識されていた。 しかし、1960年代の新中間層の発生に伴い、かつての教養主義は大衆的なもの、いわば大衆教養主義へと陥った。 1970...

教養そのものの在り方を見つめ直す契機となる一冊。 「教養」とはかつて、一種のステータスであり、また同時に世を善くしようための、人格形成の一要素と認識されていた。 しかし、1960年代の新中間層の発生に伴い、かつての教養主義は大衆的なもの、いわば大衆教養主義へと陥った。 1970年代になると、好景気の煽りを受け、企業の大量採用が開始された。これは専門知・教養知の不必要を意味した。 こうしてかつて教養を担った大学生は「サラリーマン予備軍」と化した。 「サラリーマン」文化の蔓延と覇権こそ、教養主義の終わりをもたらした最大の社会構造と文化であったのだ。 では、我々は何故教養を求めようとするのか? 解説にて、井上俊は教養に関しての三つの要素を挙げる。 1.適応 2.超越 3.自省 つまるところ、生きることにおいて「善き生き方」を模索し続ける、その態度こそ教養ではないだろうか。

Posted byブクログ

2013/12/23

http://www.chuko.co.jp/shinsho/2003/07/101704.html

Posted byブクログ