第一阿房列車 の商品レビュー
とても、可笑しい、喫茶店などでは吹いてしまうセリフあり笑 しかし、なかなか難しい漢字や表現も多く、調べながら、メモ取りながら読むと大変苦戦した。 山系さんという、相棒をいじるセリフが、まあとても面白い。仲が良いんだなと、とても微笑ましい。電車と酒と、風物詩、他者との会話が綴る、平...
とても、可笑しい、喫茶店などでは吹いてしまうセリフあり笑 しかし、なかなか難しい漢字や表現も多く、調べながら、メモ取りながら読むと大変苦戦した。 山系さんという、相棒をいじるセリフが、まあとても面白い。仲が良いんだなと、とても微笑ましい。電車と酒と、風物詩、他者との会話が綴る、平穏な旅。
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六ずかしい言葉を覚えるのにはいいが、自意識過剰で偏屈な親父のあてもない旅を読むのは辟易する。あわなかった。
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用事がなくても観光しなくても会話がはずまなくても旅をしていいし、本にしてもいい。何でもかんでも目標をつくったりみんなの真似を知らずにしてしまう現代ですがこれを読んで勇気がでる人は多いのではないだろか。
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この人の本は、これまでにも読もう読もうと思いつつ先送りになって、これが初読。『百鬼園随筆』を先に読むべきだったかな。この『第一阿房列車』は、独特の間合いが絶妙といえば絶妙なのだが。ただ、百閒のファンにして初めて楽しめるといったような、ある種の敷居の高さを感じることも事実だ。一度、...
この人の本は、これまでにも読もう読もうと思いつつ先送りになって、これが初読。『百鬼園随筆』を先に読むべきだったかな。この『第一阿房列車』は、独特の間合いが絶妙といえば絶妙なのだが。ただ、百閒のファンにして初めて楽しめるといったような、ある種の敷居の高さを感じることも事実だ。一度、ハマったら百閒大好きとなるのだろうか。とりあえずは『百鬼園随筆』を読んでから再考してみようと思う。
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2013年4月21日に開催された、第4回ビブリオバトルinいこまで発表された本です。 テーマは「ときめき」。
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片道1時間半の通勤電車の中、この時間を無駄にすまいといつも思う。 通勤に関わらず、時間は常に有意義に使いたいと願っている。 が、疲れや眠気、怠惰などでつい無駄にすごしてしまい、後悔することばかりだ。そして、これでは無為で駄目な人間になってしまう、と焦る。 そんな中この本に出会っ...
片道1時間半の通勤電車の中、この時間を無駄にすまいといつも思う。 通勤に関わらず、時間は常に有意義に使いたいと願っている。 が、疲れや眠気、怠惰などでつい無駄にすごしてしまい、後悔することばかりだ。そして、これでは無為で駄目な人間になってしまう、と焦る。 そんな中この本に出会った。 この著者は、旅行中とことん「無駄」に徹する。 電車到着時間までの3時間あまりをひたすらベンチでぼんやりすごす。 旅先の名所観光も、「用事」になってしまうからと極力避ける。 膨大な時間とお金をかけ、電車で行って一泊して翌朝帰るだけということが多い。 で、この先生がそれだけ無為で駄目な人間かというと、いや確かに借金を踏み倒しまくったり人として駄目なところはあるのだが、結果としてこの阿房列車をはじめ多くの著書を残し、それらは未だ、私を含め多くの人間に愛され読み継がれている。 だからといって、百閒のような旅が真の旅である、あるべき人間の姿である、とは勿論思えない。 常に時間を有効に使い、無駄を排除する人間が素晴らしいのか。 ぼーっとしてすごし、あたら時間を無駄にする人間は駄目なのか。 そもそも人生において無駄とは、有意義とは何なのか。 などと小難しいことは考えず、ひたすらとぼけた旅行と会話を繰り返す百閒先生とヒマラヤ山系君の珍道中を無心に楽しむのが一番だと思います。
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用事もないのに旅に出る 忙しい現代人からしてみたら羨ましい限り 先生とヒマラヤ山系の噛み合わない会話がツボでした
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私個人が感じていることだけれど今の世の中「面白いこと」「特別なこと」を記さない限り、情報としての価値はない……ような気がしている。 たとえば簡単な会話にしろ何にしろ「オチが無ければならない」とか、「笑わせなければならない」とかね。Twitterなどのつぶやきを日常的に行える環...
私個人が感じていることだけれど今の世の中「面白いこと」「特別なこと」を記さない限り、情報としての価値はない……ような気がしている。 たとえば簡単な会話にしろ何にしろ「オチが無ければならない」とか、「笑わせなければならない」とかね。Twitterなどのつぶやきを日常的に行える環境は出来たけれど、さりとて本当の日常の事柄のつぶやきは嫌がられる。 価値のある情報を発信されることが望まれているんじゃなかろうか。 んで、この本の「阿房列車」だが「あほうれっしゃ」と読む。 目的もなく列車にのり、思うことをつらつらと書き連ねたのがこの本だ。 ジャンルとしては随筆となるけれど、特に盛り上がりもオチもない。けれども著者が思うことをテンポの良い文章で書いていると、特別ではないけれど(いやこの時代の文士だから特別なんだけどね)、書いていいし、それが私にとって面白いんだなぁと思った。 自分が思うことを過程を含めて丁寧に書けば、それは他人から見れば興味深い。 Twitterなどでの日常は140文字という短さだから、説明不足で「どうしてそう思ったのか」を理解できないからつまらないのであろう。 また、解説によるとこの本が書かれたのは1950年。今から60年ほど前の話だ。戦後である。 しかしながら、著者から見た当たり前の社会というものは、現代とは全く異なるゆるやかなものである。 今の一般常識や、あたりまえと言うものがいかに簡単に変わってしまう、頼りないものなのかを気づかされた。 著者はその当時からしても、偏屈であると思われるが、自分なりに満足して楽しそうなのが読んでいて心地よかった。
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本日、本棚入りした作者の、2作目に読む。作者が還暦の頃の、旅行記 やはり、我がままな旅。でも、この自己主張が、私にも欲しい。 引退後(3・4)最初に読了した本として記憶に残す。 このシーリーズは、第二、第三とあり、続けて読む予定。
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平山三郎さんでしょっ!ヒマラヤ山系っつう、あだ名と悪口で吹き 旅は理由を付けないのに、金の工面には頭脳フル回転 つうか、起きられないからで、始まる旅のプラン。 もうね、行動も語りも文章も自由すぎるオッチャンが繰り広げる、乗り鉄エッセイ。
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