第一阿房列車 の商品レビュー
こんな飄々と味わい深…
こんな飄々と味わい深い汽車旅の書は他に類を見ない。本当は旧仮名使いが良いのだけど、せっかく復刊したのだから、まあいいっか☆読めば汽笛一声、富士の日本晴れが見えます。
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百閒先生が、汽車に乗…
百閒先生が、汽車に乗り、酒を飲み、人を食った話で煙に巻く。ただそれだけで、絵になるのですから凄いです。
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偶々出会った一冊だが、或る種の「古典」であると思う。内田百閒(うちだひゃっけん)(1889-1971)の作品だ。「旅をする」という内容で、頁を繰りながら作中の人達と共に、やや遠い時代の列車に揺られて旅をしているような気分にもなれる。 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ...
偶々出会った一冊だが、或る種の「古典」であると思う。内田百閒(うちだひゃっけん)(1889-1971)の作品だ。「旅をする」という内容で、頁を繰りながら作中の人達と共に、やや遠い時代の列車に揺られて旅をしているような気分にもなれる。 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という、本作の冒頭部に出ているフレーズは少し知られているようだ。本当にこのフレーズのように、本作中の「私」または「先生」と呼ばれる人物、作者自身は格別の目的を持たずに列車で旅をして、そういう様子を綴っている。それが本作だ。実際の様子に些かの脚色も加わっていて、作者自身は「小説を綴る」というような様子に近い感覚で綴っているのかもしれない。現在の読者の目線では「往年の旅行記」で、「少し知られている作品」ということにもなる。 「用事がないけれど」ということで乗車する列車を作者は「阿房列車」(あほうれっしゃ)と名付けている。その題の下に紀行のような文章を綴り続け、何回にも亘って発表している。それを一冊に纏めたモノの“第1集”というようなことで、本書は『第一阿房列車』と名付けられたのであろう。 内田百閒は岡山出身であるという。郷里の岡山と活動していた東京との間は、列車で何度も往復していた筈だ。それを伺わせる記述も本書には在った。そして「用事がないけれど」と列車に乗って出掛けてみることを繰り返しているのは、列車で移動すること、そういう状態に身を置くことを何となく好んだのであろうと、本書を読んでいて感じられる。 本書の最初の方、大阪へ向かう篇を読み始め、<はと>という列車愛称やC62形蒸気機関車の名が登場し、「新しい制度の中学校の生徒」という表現が在った。これらから「1950(昭和25)年前後?」と推察した。後から調べると思ったとおりであった。 本書に在る紀行(大阪、静岡県方面、鹿児島、東北線や奥羽線の各地)は1950(昭和25)年の旅で、各篇はその翌年、翌々年に雑誌掲載され、『阿房列車』の題で本となった。(このシリーズが続いたので、後に「第一」というのが冠せられたのであろう。) 昭和10年代の末から昭和20年代の初めは、戦時の影響が色々と在って、鉄道に関しても「戦前の最盛期」の様子が色褪せてしまっていた。1950(昭和25)年頃になって来ると、「戦前の最盛期」の様子に近い状況になり、新しい車輌や新しい列車も登場するようになっている。本書の各篇で、そういう様子が感覚的に存外に強く伝わって興味深かった。 本作中の「私」または「先生」と呼ばれる人物(=内田百閒)は、「ヒマラヤ山系」というニックネーム、作中では「山系君」というように呼ばれる場合が多い、若い友人を伴って旅に出ている。「山系君」は鉄道職員で、訪ねた各地に知人が居る、または訪ねた場所の鉄道関係者に泊まる宿の手配を依頼するというようなこともしていた。 「用事がないけれど」と列車に乗って出掛けてみるとしているが、本当に用事らしい何かは無い。辿り着いた場所で積極的に何かを観るようなことをするのでもない。「山系君」の知人や鉄道関係者や、その他の人達と宿等で酒席を設ける場合が在る程度だ。本当に「用事がないけれど」と列車に乗ってみるという紀行なのだ。 本作が綴られたような頃、内田百閒は60歳代に差し掛かったような頃だった。戦時の困難、御自身も戦禍で家が焼けて色々と苦労して落ち着いたというような経過を辿って、街や交通の様子も復興の色彩が濃くなっている中に在った。そういう中で、「自由な心で自由に動き回る」ということを謳歌し、そういう気分を小説調な紀行文として綴ってみようとしたのではないかと思う。更に「飽く迄も自分の流儀」を貫き、他人が何を如何言おうが、殆ど斟酌しない辺りも痛快だ。そういう辺りが本作の興趣なのであろう。 そうした作品の興趣を愉しんだが、同時に「1950(昭和25)年頃の各地の列車」というような事情も解るのがかなり興味深かった。 なかなかに興味深い一冊に出会った。広く御薦めしたい。
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百閒先生、おもしろすぎ! いわゆる紀行文に分類されているのですが 先生、あんまり旅先で出歩かずに 飲んでばかりなんですけど。 だいたい、目的のない旅をしたいと言って 「しかし行きは目的なく行っても 帰りは帰るという目的が」 なんて屁理屈こねるし。 でも、なんでもいいから列車に...
百閒先生、おもしろすぎ! いわゆる紀行文に分類されているのですが 先生、あんまり旅先で出歩かずに 飲んでばかりなんですけど。 だいたい、目的のない旅をしたいと言って 「しかし行きは目的なく行っても 帰りは帰るという目的が」 なんて屁理屈こねるし。 でも、なんでもいいから列車に乗って旅をしたいのだ! というその気持ちは 乗り鉄子としては非常にわかるぞ〜。 とにかく百閒先生と同行者の 通称「山系」君の会話がいい。 まるで漫才のようですよ。 わがまま先生に山系君が振り回されているかと思いきや 柳のごとく受け流しているのがスゴイ。
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昔読んで、友人に勧めたら読んでいるとのことで再読。 百閒先生とヒマラヤ君の迷コンビが汽車で特に用もない旅をする。それだけの超名作。
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戦後復旧が進み、やっと列車も使えるようになった頃、渇望していた列車の旅。列車に乗ることが目的なので、観光や誰に会うなどと言った用事などは、阿房列車の旅の楽しみを薄めるとばかりに爆走する、百閒先生とヒマラヤ山系君。このふたりだからなしえる旅で、溝鼠のような冴えない山系君だからこそ、...
戦後復旧が進み、やっと列車も使えるようになった頃、渇望していた列車の旅。列車に乗ることが目的なので、観光や誰に会うなどと言った用事などは、阿房列車の旅の楽しみを薄めるとばかりに爆走する、百閒先生とヒマラヤ山系君。このふたりだからなしえる旅で、溝鼠のような冴えない山系君だからこそ、先生といられる。私なんかは、屁理屈をこねくり回してマイペースで自分勝手のように振る舞う先生とは、この憎らしさが面白く大好きなくせして、喧嘩してしまうだろう。声を出してお腹を抱えて笑った。ああ、おもしろかった。
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有名な冒頭の一節に代表される洒脱なユーモアや会話文の流れ、ヒマラヤ山系という語らざる同行者の存在感など、今日の雑誌にも掲載される紀行文、体験型ルポルタージュの骨格はすべてここにある。直接間接を含めると今ライターやエッセイストをされている人で百閒先生の影響を受けていない人などいない...
有名な冒頭の一節に代表される洒脱なユーモアや会話文の流れ、ヒマラヤ山系という語らざる同行者の存在感など、今日の雑誌にも掲載される紀行文、体験型ルポルタージュの骨格はすべてここにある。直接間接を含めると今ライターやエッセイストをされている人で百閒先生の影響を受けていない人などいないのではないかと思えるほど。
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何にも用事はないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つてこようと思う。 昭和25年、特急「はと」で行く大阪弾丸ツアーから始まる有名な鉄道紀行文。 鉄道紀行文といえば、この阿房列車シリーズと阿川弘之の南蛮阿房列車それに「時刻表2万キロ」の宮脇俊三が本流だろう。もともとこの列車がなければ...
何にも用事はないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つてこようと思う。 昭和25年、特急「はと」で行く大阪弾丸ツアーから始まる有名な鉄道紀行文。 鉄道紀行文といえば、この阿房列車シリーズと阿川弘之の南蛮阿房列車それに「時刻表2万キロ」の宮脇俊三が本流だろう。もともとこの列車がなければ、後に続く鉄道紀行文はこの世に存在しなかったかもしれない。 エッセイとして読めば面白いが、実際に内田百間のような頑固で偏屈で意固地な方が身近にいたら、大層迷惑なことだろう。昔はこんな意地悪じいさんが各地に生息していたことを思い出す。 同行者のヒマラヤ山系氏の苦労が偲ばれる。 どの旅、どの阿房列車も、汽車旅をして、旅先で昔の教え子や鉄道管理局の方かあ歓待を受けるという筋書き。多くはヒマラヤ山系氏との会話文。 本書は若い頃に読んだがイマイチな内容。鉄道ネタよりも独自のユーモアが中心だからだろうか。 今回久々に読み返して、ようやく面白さが分かるようになりました。 それだけ奥の深い、笑えるエッセイということだろう。 まだ戦後まもなく、戦争の爪痕が残る日本をただ単に汽車に乗ることだけを目的とした旅行。大人のユーモアに満ち溢れています。
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『阿房(あほう)というのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどとは考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。』 明治生まれの鉄道オタク、元祖「乗り鉄」と...
『阿房(あほう)というのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどとは考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。』 明治生まれの鉄道オタク、元祖「乗り鉄」と言っても過言ではない、内田百閒の代表的なエッセイ?阿房列車。 旅行の記録なら「紀行文」と考えるかもしれないが、汽車に乗って移動することに重きをおいて、観光は二の次、三の次、どちらかというと興味がないので紀行にならないのだ。 そもそも早起きが苦手だから、朝早い列車は避ける、宵のうちに早く着きすぎると持て余すから、丁度良い時間に着くために、途中で別の列車に乗り継ぐなど、本当に列車に乗りたいのかしらんと疑うほど。 同行するヒマラヤ山系(本文中では説明がないが、内田百閒の愛読者の平山氏)とはずまない会話をし、ヒマラヤ山系の「どぶ鼠」のような容姿に呆れ、それでも宿屋に着くと酒盛りをする、それなら東京にいても同じじゃないかとも思えてくる。 しかし、そもそも用事がないままに汽車に乗ると最初に断っているから、用事がないなら移動していても、していない時と同じになるのは当たり前かもしれない。 と、そんなふうに感じながら、明治生まれの還暦を過ぎた御仁が列車の車窓を眺めながらの独り言のようなエッセイを読み終えた。
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特に用事のない旅行を「阿房列車」と名付け、借金までして一等車に乗っていく。 弟子の「ヒマラヤ山系」と一緒に旅に出た百閒先生。 先生と「ヒマラヤ山系」の洒脱な会話がいい! こういう旅も良いなと思います。 昭和の名随筆です。 用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。...
特に用事のない旅行を「阿房列車」と名付け、借金までして一等車に乗っていく。 弟子の「ヒマラヤ山系」と一緒に旅に出た百閒先生。 先生と「ヒマラヤ山系」の洒脱な会話がいい! こういう旅も良いなと思います。 昭和の名随筆です。 用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。 ー 7ページ
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