第一阿房列車 の商品レビュー
こんな飄々と味わい深…
こんな飄々と味わい深い汽車旅の書は他に類を見ない。本当は旧仮名使いが良いのだけど、せっかく復刊したのだから、まあいいっか☆読めば汽笛一声、富士の日本晴れが見えます。
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百閒先生が、汽車に乗…
百閒先生が、汽車に乗り、酒を飲み、人を食った話で煙に巻く。ただそれだけで、絵になるのですから凄いです。
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百閒先生、おもしろすぎ! いわゆる紀行文に分類されているのですが 先生、あんまり旅先で出歩かずに 飲んでばかりなんですけど。 だいたい、目的のない旅をしたいと言って 「しかし行きは目的なく行っても 帰りは帰るという目的が」 なんて屁理屈こねるし。 でも、なんでもいいから列車に...
百閒先生、おもしろすぎ! いわゆる紀行文に分類されているのですが 先生、あんまり旅先で出歩かずに 飲んでばかりなんですけど。 だいたい、目的のない旅をしたいと言って 「しかし行きは目的なく行っても 帰りは帰るという目的が」 なんて屁理屈こねるし。 でも、なんでもいいから列車に乗って旅をしたいのだ! というその気持ちは 乗り鉄子としては非常にわかるぞ〜。 とにかく百閒先生と同行者の 通称「山系」君の会話がいい。 まるで漫才のようですよ。 わがまま先生に山系君が振り回されているかと思いきや 柳のごとく受け流しているのがスゴイ。
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昔読んで、友人に勧めたら読んでいるとのことで再読。 百閒先生とヒマラヤ君の迷コンビが汽車で特に用もない旅をする。それだけの超名作。
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戦後復旧が進み、やっと列車も使えるようになった頃、渇望していた列車の旅。列車に乗ることが目的なので、観光や誰に会うなどと言った用事などは、阿房列車の旅の楽しみを薄めるとばかりに爆走する、百閒先生とヒマラヤ山系君。このふたりだからなしえる旅で、溝鼠のような冴えない山系君だからこそ、...
戦後復旧が進み、やっと列車も使えるようになった頃、渇望していた列車の旅。列車に乗ることが目的なので、観光や誰に会うなどと言った用事などは、阿房列車の旅の楽しみを薄めるとばかりに爆走する、百閒先生とヒマラヤ山系君。このふたりだからなしえる旅で、溝鼠のような冴えない山系君だからこそ、先生といられる。私なんかは、屁理屈をこねくり回してマイペースで自分勝手のように振る舞う先生とは、この憎らしさが面白く大好きなくせして、喧嘩してしまうだろう。声を出してお腹を抱えて笑った。ああ、おもしろかった。
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有名な冒頭の一節に代表される洒脱なユーモアや会話文の流れ、ヒマラヤ山系という語らざる同行者の存在感など、今日の雑誌にも掲載される紀行文、体験型ルポルタージュの骨格はすべてここにある。直接間接を含めると今ライターやエッセイストをされている人で百閒先生の影響を受けていない人などいない...
有名な冒頭の一節に代表される洒脱なユーモアや会話文の流れ、ヒマラヤ山系という語らざる同行者の存在感など、今日の雑誌にも掲載される紀行文、体験型ルポルタージュの骨格はすべてここにある。直接間接を含めると今ライターやエッセイストをされている人で百閒先生の影響を受けていない人などいないのではないかと思えるほど。
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何にも用事はないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つてこようと思う。 昭和25年、特急「はと」で行く大阪弾丸ツアーから始まる有名な鉄道紀行文。 鉄道紀行文といえば、この阿房列車シリーズと阿川弘之の南蛮阿房列車それに「時刻表2万キロ」の宮脇俊三が本流だろう。もともとこの列車がなければ...
何にも用事はないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つてこようと思う。 昭和25年、特急「はと」で行く大阪弾丸ツアーから始まる有名な鉄道紀行文。 鉄道紀行文といえば、この阿房列車シリーズと阿川弘之の南蛮阿房列車それに「時刻表2万キロ」の宮脇俊三が本流だろう。もともとこの列車がなければ、後に続く鉄道紀行文はこの世に存在しなかったかもしれない。 エッセイとして読めば面白いが、実際に内田百間のような頑固で偏屈で意固地な方が身近にいたら、大層迷惑なことだろう。昔はこんな意地悪じいさんが各地に生息していたことを思い出す。 同行者のヒマラヤ山系氏の苦労が偲ばれる。 どの旅、どの阿房列車も、汽車旅をして、旅先で昔の教え子や鉄道管理局の方かあ歓待を受けるという筋書き。多くはヒマラヤ山系氏との会話文。 本書は若い頃に読んだがイマイチな内容。鉄道ネタよりも独自のユーモアが中心だからだろうか。 今回久々に読み返して、ようやく面白さが分かるようになりました。 それだけ奥の深い、笑えるエッセイということだろう。 まだ戦後まもなく、戦争の爪痕が残る日本をただ単に汽車に乗ることだけを目的とした旅行。大人のユーモアに満ち溢れています。
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『阿房(あほう)というのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどとは考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。』 明治生まれの鉄道オタク、元祖「乗り鉄」と...
『阿房(あほう)というのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどとは考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。』 明治生まれの鉄道オタク、元祖「乗り鉄」と言っても過言ではない、内田百閒の代表的なエッセイ?阿房列車。 旅行の記録なら「紀行文」と考えるかもしれないが、汽車に乗って移動することに重きをおいて、観光は二の次、三の次、どちらかというと興味がないので紀行にならないのだ。 そもそも早起きが苦手だから、朝早い列車は避ける、宵のうちに早く着きすぎると持て余すから、丁度良い時間に着くために、途中で別の列車に乗り継ぐなど、本当に列車に乗りたいのかしらんと疑うほど。 同行するヒマラヤ山系(本文中では説明がないが、内田百閒の愛読者の平山氏)とはずまない会話をし、ヒマラヤ山系の「どぶ鼠」のような容姿に呆れ、それでも宿屋に着くと酒盛りをする、それなら東京にいても同じじゃないかとも思えてくる。 しかし、そもそも用事がないままに汽車に乗ると最初に断っているから、用事がないなら移動していても、していない時と同じになるのは当たり前かもしれない。 と、そんなふうに感じながら、明治生まれの還暦を過ぎた御仁が列車の車窓を眺めながらの独り言のようなエッセイを読み終えた。
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特に用事のない旅行を「阿房列車」と名付け、借金までして一等車に乗っていく。 弟子の「ヒマラヤ山系」と一緒に旅に出た百閒先生。 先生と「ヒマラヤ山系」の洒脱な会話がいい! こういう旅も良いなと思います。 昭和の名随筆です。 用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。...
特に用事のない旅行を「阿房列車」と名付け、借金までして一等車に乗っていく。 弟子の「ヒマラヤ山系」と一緒に旅に出た百閒先生。 先生と「ヒマラヤ山系」の洒脱な会話がいい! こういう旅も良いなと思います。 昭和の名随筆です。 用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。 ー 7ページ
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
著者の語り口が飄々としていて、果たして旅を存分に楽しめているのだろうかと思いながら読んでいました。 ヒマラヤ山系さんも気ままな著者に連れ出され、そんなに楽しんでいるようにも思われないのですが、それでも毎回お供するということは、それなりに楽しいのだろうと思いしました。 横手の小鯛は例外ですが、旅の楽しみの一つの食事も外ればかり。(毎回大量に飲むお酒は美味しそうで、宴会も楽しそうに見受けましたが。)そんな感じでも再々列車に乗って旅に出るのは、やっぱり著者なりに楽しいからなのだろうと思いました。
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