始祖鳥記 の商品レビュー
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陸軍大佐の竹内正虎が日本航空発達史の中で取り上げている、備前屋幸吉の話で、凧が好きで、遂には、自分がその凧に乗って空を飛んで、世間を騒がせた話だ。当時は、飢饉などへの幕府の対応が悪く、世間は不満の塊であり、凧に乗って飛んだ幸吉が、鵺になぞらえられて、『イツマデ、イツマデ』と、幕府の失策がいつまで続くのか揶揄したと言ったように、間違って世間に捉えられ、幸吉は備前を追われる。 封印していた凧作りがひょんなことから、再びすることになり、また、大空を飛びたいという欲望に駆られ、とんでしまう。 幸吉は人間が空を飛んだ最初の人である。ライト兄弟より100年以上も前の話である。
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江戸後期の天明年間に日本で初めて空を飛んだ備前屋幸吉を描いた歴史小説。背景には一部商人による独占を許す、幕藩の悪政を批判も。 全く意識していなかったのに、たまたま並行して読んでいる、司馬遼太郎の「菜の花の沖」とほぼ同時代の話で、兵庫の北風家や松右衛門帆といった共通の用語も出て来る偶然性に驚き。
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このミスベスト10 2001年版5位。このミスはミステリーっぽくないのもたまにあるけど、この本はミステリーの要素全然ないんじゃない。ホントに綿密な調査にもとづいて丁寧に歴史を再現した本って感じ。主人公の話以外にも複数の人物の事件が多く出てきて読み応えがあって疲れます。
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評判を聞いて期待して読んだ飯島和一作品。期待通り。時代背景描写、人物描写が秀逸。これから他の作品を読むのが楽しみ。
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元気のないとき、勇気が必要なとき、また奮起したいときなどに聴く曲、というのをもっている人は多いと思う。 自分の場合は、それにあたる小説が、この『始祖鳥記』である。 仕事がうまくいかんとき、海外旅行のとき、入院したときなど、読んで力をもらったものである。 本書の、資料資料した説明...
元気のないとき、勇気が必要なとき、また奮起したいときなどに聴く曲、というのをもっている人は多いと思う。 自分の場合は、それにあたる小説が、この『始祖鳥記』である。 仕事がうまくいかんとき、海外旅行のとき、入院したときなど、読んで力をもらったものである。 本書の、資料資料した説明をいやがる人もいると聞く。だがこの小説の3人の男たち備前屋幸吉、巴屋伊兵衛、福部屋源太郎の男前さを堪能するには必要な部分なのだ。 もう何回目かの読了かわからん。カバーを引っ剥がしてところかまわず読んじゃうので、自分がもっている今の文庫本は3代目にあたる。 数少ない、次回作が楽しみな存命作家が飯嶋和一なんだもんね。
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"Tale of Archaeopteryx" 英訳するとこうなるのかな?小さいとき大好きだったアーケオプテリクス。ええもちろんスペルは辞書引かせてもらいましたとも。
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安政6年(1859年) 山の峰から一里半(約6キロ)を大凧(グライダー)で飛んだ男がいた。リリエンタールのグライダーより32年も早い。しかしその快挙は賞讃されず、怪しげな術をつかう者として囚われの身に。そして死ぬまで座敷牢に閉じ込められ、しまいには狂ってしまった… ...
安政6年(1859年) 山の峰から一里半(約6キロ)を大凧(グライダー)で飛んだ男がいた。リリエンタールのグライダーより32年も早い。しかしその快挙は賞讃されず、怪しげな術をつかう者として囚われの身に。そして死ぬまで座敷牢に閉じ込められ、しまいには狂ってしまった… というのが「キテレツ大百科」の第1話に載っている「キテレツ斎」の話。 藤子・F・不二雄氏は、たぶんこの小説の主人公「浮田幸吉」の逸話を知っていて、キテレツ斎のエピソードとして採用したのだろう。キテレツ大百科の雑誌連載は、いまから40年くらい前。「浮田幸吉」は日本人の99%は知らないと答える、とんでもなくマイナーな人物だと思う。それでも藤子先生は知っていたわけで(あくまで推測)、つくづく博学な方だったんだなあ、と今さらながら感動している。 幸吉は1757年、岡山の八浜にある旅宿桜屋の当主浮田瀬兵衛の3男1女の次男として生まれた。7歳で傘屋に奉公に出て、14歳で岡山城下の紙屋に移った。持ち前の器用さを発揮し、表具師としてメキメキと頭角を現し、腕の良いものだけがその格を得る「銀払い」の表具師として、金銭的にも富んでいく。そのまま一生つつがなく暮らしても、誰からも羨まれる境遇だったに違いないが、幸吉にはある夢があった。 鳥のように空を飛びたい。 彼は夜な夜な、自らが拵えた大凧を持って、橋の上から飛び降り、試験飛行を繰り返す。失敗つづきで勢いよく川に落ちるので、大きな音で人に気づかれるが、なにせ暗闇だから「身投げだ!」とか「酔っ払いが落ちた!」「河童が出た!」などの噂だけが広まる。水死人が浮かぶわけではもちろんないので、みな不思議に思う。そのうち幸吉の広げる大凧の影を見る者も現れるが、まさか鳥の真似ごとをしている人間がいるとは思わないから、これは鵺の仕業に違いない、と人々が口にするようになる。 鵺はお上の政治が乱れたときに現れるとされる妖鳥だ。、人々は鵺の出現に世直しの気運を高める。幸吉の思惑とは別に、幸吉の行為はお上にとっては体制批判を扇動する危険な行為に映った。 そしてついに彼は人々を扇動した危険人物として捕らえられてしまう。 さあ、その後の彼の人生は如何に! キテレツ斎のように狂死してしまうのか… 実はここから物語は面白くなる。 でも、これ以上ネタばらししたくないから書かない。 ラストはとても感動した。この後の幸吉の人生の紆余曲折も全て、このラストへと収斂されていくための艱難辛苦だったんだと思うと、涙腺が緩んだ。 男は夢を追い続けることに憧れるが、ほとんどの男はできない。だから夢を追い続ける男に自らの夢を投影させる。 最後まで読んだ人には、たぶんこの意味がわかると思う。
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本作を読む直前に読んだのが、事を成した人物を描いた『天地明察』で ちょっとご都合主義的な展開に物足りなさを抱いていたのですが これはそんな自分の期待をはるかに超える傑作でした。 ただ、惜しむらくは日本初の飛行体験とそれを成した備前屋幸吉(浮田幸吉)を 描いた小説なのか、江戸時代...
本作を読む直前に読んだのが、事を成した人物を描いた『天地明察』で ちょっとご都合主義的な展開に物足りなさを抱いていたのですが これはそんな自分の期待をはるかに超える傑作でした。 ただ、惜しむらくは日本初の飛行体験とそれを成した備前屋幸吉(浮田幸吉)を 描いた小説なのか、江戸時代後期に自分の信念を持って力強く生き抜いた 備前屋幸吉、巴屋伊兵衛、平岡源太郎の3人による歴史群像劇であり、 同じ時代を生きた3人が影響を受け合いながらそれぞれの生を送った という小説なのかが判然としない点。 個人的には第2部も面白く読んだものの、 第1部、第2部、第3部で一貫したテーマで貫かれていたとは言いがたく 焦点がブレてしまった感は否めない。 自分としては、いろんなものに縛られつつも、 それに目をつぶりさえすれば日々安寧と暮らしていける生活に どうしても満足できず、俗人の卑しさ・くだらなさに嫌悪しつつ どうしようもない渇きと狂気のためにその身を滅ぼしてしまった 男の生きざまが描かれた第1部が一番テーマが鮮明で、 出色の出来だったと思っています。 幸吉が同心たちに家を包囲され鵺騒ぎの一件で 捕らえられようとする場面から始まり、 そこに至るまでの幸吉の幼年期からの人生を描き、 そしてまた幸吉が捕らえられ、すべてを失うシーンで終わる という構成がすごく良くできているし、 銀払いの表具師として認められ、何不自由ない身となった上は 波風立てずに平穏に暮らしていこうとする弟・弥作と それにどうしても満足できない幸吉を対照的に描きつつ 幸吉と同類であり、影響を与えた先達として 旅から旅の生活を続ける流浪の砂絵師・卯之助との類似性も際立っていて 第1部は人物の描き方も考え抜かれていました。 「空を飛ぶこと」それ自体が幸吉の夢や成し遂げたいことではなく、 幸吉の中にある何かを満たすための「手段」が空を飛ぶことだという点が 何とも言えず心に残った。 「世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」 という山上憶良の歌に託された卯之助の気持ちを感じ取り 幸吉が自分の心に重ねていったときこそが 幸吉が空を飛ぶことを夢見た瞬間のように思うし、 幸吉の行動原理と初期衝動のすべてが描かれていた 第1部が自分には一番染みた。 それに比べると、第2部は熱量の大きさは感じたものの テーマが第1部と違いすぎていたし、 第3部は第1部を受けての後日談的な扱いというか 幸吉がついに空を飛ぶというこれまでの物語に 決着を付けるための後始末的な描写のように思えてしまい 本来は物語全体のハイライトのはずなのに 個人的にはちょっとあっさりした読後感となりました。
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何が違うか自分でも判然としないけど、他の人と違う飯嶋さん独特の読み味の時代小説。自分には主人公の飛ぶことへの動機が解るようで解らなかったのが少々辛かったけど、それでも十分楽しめました。
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ひとつの夢を追い続けることはとても難しいことだと思っている。子供のころ純粋に思い描き形にしようと思う傍ら生きてゆくための暮らしがある。それは年齢を重ねる程に大きな割合を占めるようになり、強く願っていたことは次第に生活の中次第に色色あせていってしまうことが多いのではないだろうか。そ...
ひとつの夢を追い続けることはとても難しいことだと思っている。子供のころ純粋に思い描き形にしようと思う傍ら生きてゆくための暮らしがある。それは年齢を重ねる程に大きな割合を占めるようになり、強く願っていたことは次第に生活の中次第に色色あせていってしまうことが多いのではないだろうか。そのため「夢は夢」…そんな切ない言葉がつい口を衝いて出てしまう。それは単なる言い訳なのかもしれないと、この本を読んで考えてしまった。 例えば生活の中、薄れてしまったとしてもいつまでもその思いを胸のどこかで温めていることで描いた夢へと向かうことが出来る瞬間を見逃すことなく進めることは出来るのだと思う。その時はとても勇気が必要となるかもしれないけれど夢を叶えるということは、何かを犠牲にする「勇気」や「ちから」が必要なものなのかもしれない。 そんな風に夢を持ち、夢へと向かう姿は他者からの目にも輝くものが見て取れ、それがその人の魅力となり、またその姿を見た人の希望にも変わる。誰かの夢が誰かの夢の手助けをする…そんな連鎖が続いていく。夢というものには、そんな不思議な力が宿っているようにも思えた。 この「始祖鳥記」は、そんな夢が夢を呼び忘れかけていた希望を手にして行く男たちのお話。またこのお話は実際にあった出来事をモデルとしたもので、この時代にとんでもない夢を持った人物がいたということに驚く。 夢は風を見極め掴むこと。 共に夢を見てくれる理解者。 そして何より飛び立つ勇気と羽ばたく力強さ。 それとほんの少しの運。 これらが重なったときに形をなすのかもしれない。 その運は単なる「運」ではなく夢に対する自身の思いが運んでくる「運」でそこには必ずひとがついてくると思う。そう考えると「夢を描き続けること」それこそが夢を叶えることに繋がるのだろう… そんな風に自分の中で眠ってしまった夢を再び思い起こさせてくれる素敵な本だった。
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