動物化するポストモダン の商品レビュー
「データベース消費」なる語をあちこちで見かけ始め、なおかつ「大きな物語が存在し得ないポストモダン」みたいな言説に「じゃあ現代とは?」と思っていた中で、格好の本だった。 最後の一文によく現れているように、これを受けて、まさに今を生きる人々が、それぞれにそれぞれの眼前の課題をどう認識...
「データベース消費」なる語をあちこちで見かけ始め、なおかつ「大きな物語が存在し得ないポストモダン」みたいな言説に「じゃあ現代とは?」と思っていた中で、格好の本だった。 最後の一文によく現れているように、これを受けて、まさに今を生きる人々が、それぞれにそれぞれの眼前の課題をどう認識するか、という問題なのだと思う。
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オタクと日本のあいだには、アメリカが、存在する。 読んでいて、面白い。 非常に解りやすい言葉、文章で書かれているが、非常に重要な事を述べている。
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再読。2001年の本で、前読んだのは2007年なので、実に11年ぶり。 9動物の時代のところにある、 ○近代 小さな物語(小さな共感)から大きな物語(大きな共感)への遡行 ○ポストモダン シミュラークルの水準における「小さな物語への欲求」とデータベースの水準における「大きな非物...
再読。2001年の本で、前読んだのは2007年なので、実に11年ぶり。 9動物の時代のところにある、 ○近代 小さな物語(小さな共感)から大きな物語(大きな共感)への遡行 ○ポストモダン シミュラークルの水準における「小さな物語への欲求」とデータベースの水準における「大きな非物語への欲望」 と変化という辺りが肝だと思う。 前読んだ時はオタク評論って面白いなあ、時代を説明するんだなあ、とかそういう感じの印象だったけれども、今読み返すと、ポストモダン後の新しい哲学のようなものを模索するような内容であることが感じ取れ、現在の東浩紀の取り組みに繋がっていて大変凄いなと思った。 割と現在は日本社会、というか人類社会は近代文明の行き詰まり的な感じの状態で、ブレークスルーに向けた過渡期のような本だと思う。 思うばかりで大変申し訳ない。
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※このレビューにはネタバレを含みます
インパク知8・8 かかった時間105分 勢いと説得力のある筆致で、現代を、「大きな物語の時代」、「大きな擬似物語の時代」に続く、「小さな物語と大きな非物語の時代」であると述べる。 現代においては「大きな物語」のかわりに「データベース」があり、人々はそこから自在に、等価の「シミュラークル(オリジナルとの区別がないコピー)」を引き出す。これは、近代の「小さな物語をとおして大きな物語が伝える真実に迫る」営みとは異なり、汲めども尽きぬ、というような人間的欲求ではなく、一回性の動物的欲求である、というのが本書の主張であり、それをオタク的文化の具体的な分析によって説明していた。最後の部分では、ひとつのメタギャルゲーをそんな現代の優れた投影とする、極端だが興味深い考察もしていた。 世代的にも非常に納得できる。まさに自分のリアルな社会認識と重なるし、懐古主義的に大きな物語時代の再興を期すよりも、このポストモダンを踏まえた上で生きる方が生産的であるように思う。上の世代の人には、もしかするとややピンとこないのかもしれないが… 面白い。今さらすぎるが、これは人に勧めたい。 …ところで、2001年は、もう、20年近く前なんだよな。時の流れに驚く。
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本当なら学術的な専門用語で説明することをオタク文化の言葉や実情をもって説明する。アカデミックな人とサブカルな人との逆転現象が面白い。その辺に詳しいサブカルな人がアカデミックな内容についてピンとくるような説明になっている。サブカルチャーを分け隔てなく分析していて面白い。同世代の人に...
本当なら学術的な専門用語で説明することをオタク文化の言葉や実情をもって説明する。アカデミックな人とサブカルな人との逆転現象が面白い。その辺に詳しいサブカルな人がアカデミックな内容についてピンとくるような説明になっている。サブカルチャーを分け隔てなく分析していて面白い。同世代の人にとっては自分の通ってきた感覚を理解するのに役立つのではないだろうか。サブカルを知らなくても読めるように書かれてあり親切だと思う。これからの文化を考える上で羅針盤になる一冊だと思う。
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2017/04/04 1950〜1970前、世界は大きな物語が再生産されていた。ただ、70年代以降はポストモダンが強くなるので、大きな物語の再生産と欲望は止まる。その時代に成熟した人々のために、代わりとして、1980年代末のオタク系作品には、ひとつの世界観や歴史観を見出すことが一...
2017/04/04 1950〜1970前、世界は大きな物語が再生産されていた。ただ、70年代以降はポストモダンが強くなるので、大きな物語の再生産と欲望は止まる。その時代に成熟した人々のために、代わりとして、1980年代末のオタク系作品には、ひとつの世界観や歴史観を見出すことが一般的だった(ガンダムなど)。この世界観は現実の大きな物語(政治的イデオロギー)の代わりとしての役割を果たすことも。そしてその見かけの大きな物語を商品としては売れないのでその断片を小さな物語として売っていた。 でもさらに時代がくだると、大きな物語の捏造自体が不要に。そうしてデータベース(イラスト・設定・萌えるパーツなど)から消費者がおのおの勝手に消費をする世界へ。 だいたいこんな中身だったと思う。 なるほど、そのように変化したのか、と思えた。そしてただのオタク文化論ではなくポストモダン論に落ちていたのも、面白かった。
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「オタク」を語るのは難しい。 それは、オタクに対する人びとの評価は両極端に二分、分断されるから。 そうした世界に馴染まない人にとっては、オタク的世界は、語るどころか目を向けることさえ難しいシロモノで、逆にそうした世界に親和性の高い人びとは皆、「俺の方がわかってる」という意識を捨...
「オタク」を語るのは難しい。 それは、オタクに対する人びとの評価は両極端に二分、分断されるから。 そうした世界に馴染まない人にとっては、オタク的世界は、語るどころか目を向けることさえ難しいシロモノで、逆にそうした世界に親和性の高い人びとは皆、「俺の方がわかってる」という意識を捨てられない。 というのも今は昔、15年も前の話。2001年に上梓された『動ポス』は、あの「涼宮ハルヒの憂鬱」以前の世界のお話である。スマートフォンとSNSは、ガラケー的世界とPC的世界の壁を破壊し、「オタク」という呼称は、以前よりもずっと(少なくとも「キモヲタ」を自称することができる程度には)市民権を得た。 恐ろしいのは、それだけの年月を経てなお、本書のモデルが有効だったりするところ(ポストモダンに取って代わる概念が出てきてない以上、当然のことなのかもしれない)。 たとえば「データベース消費」のモデル。東によれば、データベース消費における作品は個々の要素の組み合わせに過ぎず、そこに「物語」(ストーリーではないことに留意)は必要ないという。 登場人物のキャラを見てみよう。「金髪、つり目、貧乳(CV:釘宮)」と並べれば、彼女がツンデレであることは容易に想像がつく。類型化されたキャラやストーリー、「日常系」の氾濫、公式の2次創作化というように、我々は作品そのもの、というよりも、その向こうにある深層(=データベース)を消費しているように見える。 オタク的世界とすっかり離れてしまってからもう、随分と時間がたった。自分はもう「選民意識を持った当事者」ではありえず、我が物のように語れるほどの文化資本も持ち合わせてはいない。 だから、本書が予言したオタク的世界の分析は自分の手に余るけれども、オタクから見た日本社会がどれほどの妥当性を持つのか、オタク的世界の浸食が何をもたらしたのか、考えてみたい問題は多く見つかった。
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感想が書けないくらい私には難し過ぎた。初めて思想に関する本を読んだが、文章の書き方は非常に読み易く自分も見習いたいと思わせる文章だったが、内容が入ってこない。2割くらいしか理解できてないと思われる。難しい。ポストモダンとは自分の国の文化を否定する時代(合ってないかもしれない)、フ...
感想が書けないくらい私には難し過ぎた。初めて思想に関する本を読んだが、文章の書き方は非常に読み易く自分も見習いたいと思わせる文章だったが、内容が入ってこない。2割くらいしか理解できてないと思われる。難しい。ポストモダンとは自分の国の文化を否定する時代(合ってないかもしれない)、フィギュアにしても元々は仏像制作が原点らしい。だが今の世の中はオタクというだけ敬遠され、その文化を否定してしまう傾向が強い。おそらく筆者はオタクだろうがなんだろうがジャンルに拘らず自分で感じて評価してほしいということを伝えたかった?
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ポストモダンでは大きな物語ではなく、背景にあるデータベースから要素をピックアップして作り出された類似した小さな物語で満足しちゃってるっていうのが、ゲームアプリが氾濫してるいまの時代でもそのまま説明できるなーと思いながら読んでました。古い本だけど、いまもその延長にある感じだから、な...
ポストモダンでは大きな物語ではなく、背景にあるデータベースから要素をピックアップして作り出された類似した小さな物語で満足しちゃってるっていうのが、ゲームアプリが氾濫してるいまの時代でもそのまま説明できるなーと思いながら読んでました。古い本だけど、いまもその延長にある感じだから、なるほどなーと思いながら読んだ。専門用語が多い。
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東浩紀の代表作です。「オタクから見た日本社会」というサブタイトルを文字通りに取れば、日本のオタク文化の検討を通して、ポストモダンの消費のあり方について考察した本と捉えるべきなのかもしれませんが、現在に至るまでのサブカルチャー批評の枠組みを築いた本と言ってよいように思います。 著...
東浩紀の代表作です。「オタクから見た日本社会」というサブタイトルを文字通りに取れば、日本のオタク文化の検討を通して、ポストモダンの消費のあり方について考察した本と捉えるべきなのかもしれませんが、現在に至るまでのサブカルチャー批評の枠組みを築いた本と言ってよいように思います。 著者は、大塚英志の「物語消費論」を踏まえつつも、「データベース消費」という新しい概念を提出し、これによって「大きな物語」を失ったポストモダン状況を適切に捉えることができると考えています。一方、消費をおこなう主体についても、従来の「欲望」に突き動かされる主体ではなく、コジェーヴの言う「動物的」という形容に当てはまるような、解離的な人間が消費行動の主体になりつつあると論じています。 最初に読んだときは、「動物化」という概念がポストモダン状況を反映していることは理解したものの、その射程が見えておらず、なぜこの概念をタイトルに持ってきたのか不可解な思いがしていました。その後、『民主主義2.0』などの著者の仕事などを通して、「動物化」の発想がその後どのように発展していったのかを知ることになり、改めて本書が秘めていた可能性について気づかされることになりました。
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