動物化するポストモダン の商品レビュー
なるほどなぁ、と感心させられる現代のオタクについての鋭い考察が書かれている本。こんな風にオタクについて論じた本は少ないんじゃないだろうか?
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読み始めるとなぜか寝てしまう本。オタク系文化、ポストモダン、大阪万博以降、大きな物語、シミュラークル、データベースモデル、キャラ萌え、ノベルゲーム、動物の時代、欲望と欲求。
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細かいところは突っ込みどころがあるにしても、今読んでも、時代の大きな流れを考察するのに参考になる。 良くも悪くも、影響力のある一冊。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
結構昔の本ですがずっと読みたかったので読んでみました。 個人的に不遇の中高時代をギャルゲーなどで乗り切った過去もあり (とはいってもときメモ程度のソフトなものですが) それなりにオタクの素養があることを改めて思い知らされましたし 一見下らないサブカルの世界を学術的に分析しており 意外と社会の縮図になっているのだと思いましたし とても面白かったです。 書かれた時期的に2000年頃までが中心の話でありますが データーベース消費という概念も現在にも通用するところがあると思いますし 現在はその頃の延長線上にいるのかなと思います。
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オタク的活動の諸要素――作品を解析し、キャラクタを愛で、さらには物語の断片を継ぎ合わせて再構築を行う――ことと、ポストモダンへと物語の消費構造の変化を重ね合わせ、大きな物語からデータベース参照によるような無限の小さな物語消費へ、という流れを語る一冊。
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「オタク」って副題につけなければよかったのではないかな。本人の講義も受けたけどハッとするような感覚にはならず。
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2001年に書かれた東浩紀の名著。 オタクの消費の在り方を通して、90年代以降の社会の姿を炙り出すことに成功している。 宇野常寛が言ってた「大きな物語」が無くなった世界って、ここでとっくに語られていたことなのか。 物語や作家性が価値を下げ、二次創作と等価となる「データベース...
2001年に書かれた東浩紀の名著。 オタクの消費の在り方を通して、90年代以降の社会の姿を炙り出すことに成功している。 宇野常寛が言ってた「大きな物語」が無くなった世界って、ここでとっくに語られていたことなのか。 物語や作家性が価値を下げ、二次創作と等価となる「データベース消費」という分析は十分今でも存在するし、慧眼。後の『一般意志2.0』にも繋がるGoogle的な世界観がオタクの世界にはとっくにあったのだと、この本が証明している。 この分析眼で見えるものが明らかに拡がった。 私にとってはこの著作は東浩紀の作品の遡りである。順序は逆に違いないが、この「動ポモ」を読みながら、ここで分析された構図は氏の物語作品である『クォンタム•ファミリーズ』に転用されているのではないかと感じた。分析を自分の小説に転用してしまうという手腕はすごいとしか言いようがない。
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良くも悪くも、まちがいなくひとつの時代を切り取った本。おたくに対するネガティブなイメージが一般的だった時代の少し後、この本が出てからちょうど5年後にわたしは中学2年生で、まあおたくだったわけですけれども。環境の特殊さもあったかもしれないけれど、わたしが実感として得ていたのは確実に...
良くも悪くも、まちがいなくひとつの時代を切り取った本。おたくに対するネガティブなイメージが一般的だった時代の少し後、この本が出てからちょうど5年後にわたしは中学2年生で、まあおたくだったわけですけれども。環境の特殊さもあったかもしれないけれど、わたしが実感として得ていたのは確実に動ポス以後の時代だったのだと思います。ということはつまり、本書が目指した試み——ハイカルチャー/サブカルチャーの区別などなく、自由な批評が可能になること、は確かに達成されたのだ、と。もしも教養主義とか、アカデミズムの知的権威とか、文学というハイカルチャーの優位性とか、そういうものを懐かしんだとしても、起ったことは起ったんです。なかったことには出来ない。そういう価値観の変化のみならず、媒体の変化も凄まじい時代が今なんだと。世界を把握したいという欲望がこういう本だけで満たされるとは思わないけれど、自分が生きているのはどういう世界なのか、そういうことを知るために読む本だとおもった。
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日本における動物化論争の発祥の本、日本が動物化しているのは賛成だが、オタクからのそのとらえ方が恣意的に気がした。一方ではそうだろうが、もう一方ではいまだ様式美は健在だ。 何故日本が動物化するのが世界的に重要なのか、動物化のもとの理論を知りたい方は本書でも紹介しているヘーゲル読解入...
日本における動物化論争の発祥の本、日本が動物化しているのは賛成だが、オタクからのそのとらえ方が恣意的に気がした。一方ではそうだろうが、もう一方ではいまだ様式美は健在だ。 何故日本が動物化するのが世界的に重要なのか、動物化のもとの理論を知りたい方は本書でも紹介しているヘーゲル読解入門を読んでほしい。 宮台真司との意見との共通性と相違点を探るのも面白いが、あちらは露骨に動物化推進派だからそこは留意して欲しい。
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印象ー表層的、浅薄。流行の傍流を知る事はできる。 自分があまりサブカルチャーと言われる範囲のものへ興味が無いからであろうか、殆ど共感できない。 ハイカルチャーを定義しないままサブカルチャーを、モダニズムを定義しないままポストモダンを話題にしているからだろうか。とにかく各言葉の定義...
印象ー表層的、浅薄。流行の傍流を知る事はできる。 自分があまりサブカルチャーと言われる範囲のものへ興味が無いからであろうか、殆ど共感できない。 ハイカルチャーを定義しないままサブカルチャーを、モダニズムを定義しないままポストモダンを話題にしているからだろうか。とにかく各言葉の定義が曖昧。 専門用語というかオタクジャーゴンというかとにかく言葉の説明が不足。 この筆者であればもっと頭がいいはずであるのに、結局全てスノッブ向けなのかもしれない。 「シーザーを理解するためにシーザーである必要は無い」、オタクを分析する上で自身がオタクである必要は無い。筆者自身の趣向・感想と、分析・理論が混線しているのであろう。 そして大抵の新書の場合と同じように、都合の良い部分資料を参照している感じが否めない。 ベンヤミンの「アウラ」、ボードリヤールの「シミュラークル」にしても、本来複製される対象である「本物」の価値が決定的であるからこその言論が成り立っている。 日本のサブカルチャーと言われるものにそこまでの価値があると言い切れるだろうか。 結局海外での評価をもって文化としているならば、浮世絵と比較するまでもなく全く同じ経過だろう。 それらの価値は発行部数、観客動員数といった具体的・経済的な数字を基準にしながら、それらで測れない価値を期待し探求する矛盾。 そして二次制作物の価値は、一次制作物の価値を判断する材料にしかならないのだろうか。 同系統の言説を読んでも、結局疑問が解決されるわけではない。 一つ面白かった点、多重人格に関する項目。 実際の多重人格症状を持つ人の観測数は極めて少ないという。 しかし、小説・マンガ・ゲームetcには比較的多い割合で多重人格キャラクターが登場する。 仙水忍しかり雨宮一彦しかり、多重人格は物語のテーマ足り得ている。 単純に私たちの欲望、もう一つの自分があって欲しいという願望がそこに反映されているのかもしれない。パラレルワールドも同じような効果であろう。 マルチエンディングのゲームが例示されているが、もう一つの自分を望む自分と、それを観察したい自分という矛盾がそこに存在するのだろう。文中の言葉を借りるならば「メタ」な状態。 実際にそれぞれが独立した多重人格ならばそのようなメタな状態は起こりえない。 多重人格キャラクターはそんな矛盾した願望の帰結点なのかもしれない。
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