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動物化するポストモダン の商品レビュー

3.7

192件のお客様レビュー

  1. 5つ

    31

  2. 4つ

    74

  3. 3つ

    48

  4. 2つ

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2019/10/25

術語にはいちいちわかりやすい説明も添えてくれているので読みやすかった。本書の発行は2001年だが、ここに書かれている論理でそのまま「なろう系」の流行が予見できてしまうところに本書の論理の説得力を感じた。感服した。

Posted byブクログ

2019/10/03

"そこで求められているのは、旧来の物語的な迫力ではなく、世界観もメッセージもない、ただ効率よく感情が動かされるための方程式である。" "しかしポストモダンの人々は、小さな物語と大きな非物語という二つの水準を、とくに繋げることなく、ただバラバラに共存...

"そこで求められているのは、旧来の物語的な迫力ではなく、世界観もメッセージもない、ただ効率よく感情が動かされるための方程式である。" "しかしポストモダンの人々は、小さな物語と大きな非物語という二つの水準を、とくに繋げることなく、ただバラバラに共存させていくのだ。分かりやすく言えば、ある作品(小さな物語)に深く感情的に動かされたとしても、それを世界観(大きな物語)に結びつけないで生きていく、そういう術を学ぶのである。" ここが好き。

Posted byブクログ

2019/09/20

ポストモダンを「オタク文化」の観点から論じた本書は、以前から関心があった。長らく「積ん読」になっていた本書だが、期待にたがわぬ内容だった。ポストモダンという思想が支配した90年代以降は、文化的に「オタク」が席巻した時代でもあったが、オタクの指向も時代と共に様変わりした。その変化の...

ポストモダンを「オタク文化」の観点から論じた本書は、以前から関心があった。長らく「積ん読」になっていた本書だが、期待にたがわぬ内容だった。ポストモダンという思想が支配した90年代以降は、文化的に「オタク」が席巻した時代でもあったが、オタクの指向も時代と共に様変わりした。その変化の様子をつぶさに観察し、分析し、ポストモダンという時流を物差しにして論じて見せた本書は、近代を超えた「今」に対するテーゼとして読まれるべき一冊であると思う。 ポストモダン時代の論客として、大塚英志や宮台真司らの著作も(比較的理解しやすそうなものを選り好みして)読んでみたが、東浩紀の文章は、深いところにある思想を、身近な例を駆使して我々が理解可能な表層に浮かび上がらせ、結果として思想の一端を可視化してくれるという意味で、ポストモダン論者の第一人者だと考えている。 タイトルにある「動物化する」とはどういうことか。それは本書を読めば容易に理解できる。別のところでも書いたけれども、インターネットを介した仮想空間でのコミュニケーションが主流となった現在、リアルな社会は形を失い、全体を貫く社会的、文化的一貫性は失われつつあり、少なくとも曖昧化あるいは希薄化を辿っていることは疑いない事実である(ことが本書を読むとよく分かる)。本書の中で、戦後のテロ事件として名高い連合赤軍とオウム真理教を比較分析している箇所がある。両者の違いは、「何を信じるか」という点におけるわずかな違いであると結論づけられているが、ポストモダン時代を生きる人間が「動物化」したこととこの「わずかな違い」は密接に関連しているような気がしてならない。本書を読んで、そのことを強く感じた。 「ゆとり世代」などと揶揄される、現代を生きる世代は「欲がない」と評されたりもする。この「欲」の内容を掘り下げると、「動物化」した人たちとは何か、ということも見えてくる。戦後の復興と成長を目指して、貪欲におのが「欲望」に向かって邁進した世代から見れば、現代の人びとは「無欲」に映るのかもしれない。だが、貪欲な欲望が生み出したバブル神話がはじけ、またソ連崩壊による世界的な体制の大きな変化を経た現代、「動物化」することは、現代の生きる知恵の一つだったのではないだろうか。

Posted byブクログ

2019/08/16

「設定・世界観の評価」「物語消費」「キャラ萌え」 70年代以降の文化的背景について。社会性ではなく動物的欲求に還元することで孤独を見出すオタクについて。 発売から20年近くたった現在では、人はなにかしらの「オタ」であり、それをコミュニケーションツールにしているような気がする。自分...

「設定・世界観の評価」「物語消費」「キャラ萌え」 70年代以降の文化的背景について。社会性ではなく動物的欲求に還元することで孤独を見出すオタクについて。 発売から20年近くたった現在では、人はなにかしらの「オタ」であり、それをコミュニケーションツールにしているような気がする。自分の好きなものについて語れるということもソーシャルスキルのひとつだ。

Posted byブクログ

2019/08/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

いわゆるオタク系作品、美少女ものや戦隊ものなどが、どのような時代背景から出来上がっていったのかわかる本。アニメ・漫画系のサブカルチャー、とりわけエヴァンゲリオンやうる星やつら、美少女ゲームをかじったことのある人であれば、「動物化」がイメージしやすいはず。 全般的な時代の風潮として、現代にも直結する議論であると感じた。 近年の傾向として、「異世界もの」が流行している。現代社会に生きていた主人公が何らかの理由で異世界(多くの場合は、中世ヨーロッパ・魔法とモンスターの世界)に飛ばされるというものである。これもまた、「異世界」というある種の理想郷と、何らかの要素(どのように転生するか等)と掛け合わせた、データベース的なものに過ぎないように思う。また、複数の異世界もの作品が流通しているのは、異世界もの好きな人がいるということに他ならない。すなわち、彼らは複数の小さな物語を欲望し、同時並行的に消費し続けている。 以下、印象に残った文を引用。 オタクたちが社会的現実よりも虚構を選ぶのは、その両者の区別がつかなくなっているからではなく、社会的現実が与えてくれる価値規範と虚構が与えてくれる価値規範のあいだのどちらが彼らの人間関係にとって有効なのか、たとえば、朝日新聞を読んで選挙に行くことと、アニメ誌を片手に即売会に並ぶことと、そのどちらが友人たちとのコミュニケーションをより円滑に進ませるのか、その有効性が天秤にかけられた結果である。そのかぎりで、社会的現実を選ばない彼らの判断こそが、現代の日本ではむしろ社会的で現実的だとすら言える。 日本では、大きな物語の弱体化は、高度経済成長と「政治の季節」が終わり、石油ショックと連合赤軍事件を経た70年代に加速した。オタクたちが出現したのは、まさにその時期である。 ポストモダンでは大きな物語が失調し、「神」や「社会」もっジャンクなサブカルチャーから捏造されるほかなくなる。 九十年代には、原作の物語とは無関係に、その断片であるイラストや設定だけが単独で消費され、その断片に向けて消費者が自分で勝手に感情移入を強めていく、という別のタイプの消費行動が台頭してきた。この新たな消費行動は、オタクたち自身によって「キャラ萌え」と呼ばれている。 ガンダム:エヴァンゲリオン=大きな物語:大きな非物語 「キャラクター」は、作家の個性が創り出す固有のデザインというより、むしろ、あらかじめ登録された要素が組み合わされ、作品ごとのプログラムに則って生成される一種の出力結果となっている。(中略)もはやオリジナル・キャラクターのオリジナリティすらシュミラークルとしてしか存在しないとも言えるだろう。 今や、個々の物語が登場人物を生み出すのではなく、ギャクに、登場人物の設定がまず先にあり、そのうえに物語を含めた作品や企画を展開させる戦略が一般化している。 コジェーヴによれば、大きな物語が失われたあと、人々にはもはや「動物」と「スノビズム」の二つの選択肢しか残されていなかった。 ポストモダンの時代には人々は動物化する。そして実際に、この10年間のオタクたちは急速に動物化している。その根拠としては、彼らの文化的消費が、大きな物語による意味付けではなく、データベースから抽出された要素の組み合わせを中心として動いていることが挙げられる。彼らはもはや、他者の欲望を欲望する、というような厄介な人間関係に煩わされず、自分の好む萌え要素を、自分の好む物語で演出してくれる作品を単純に求めているのだ。 近代の人間は、物語動物だった。彼らは人間固有の「生きる意味」への渇望を、同じように人間固有な社交性を通して満たすことができた。言い換えれば、小さな物語と大きな物語のあいだを相似的に結ぶことができた。 しかしポストモダンに人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独を満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。

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2019/07/16

2019.7.15 今更読む。僕が学生の頃、宮台真司あたりが終わりなき日常を生きろみたいなことを言ってたけど、あれからもうだいぶ経ったんだなぁ。 人間が大きな物語を志向していた事自体が近代の幻想な気がするよ。 現在のオタク達は結構な強度をもっているよなぁ。

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2019/04/30

「動物化するポストモダン」東浩紀著、講談社現代新書、2001.11.20 193p ¥735 C0236 (2019.04.30読了)(2014.07.19購入)(2012.08.24/25刷) 副題「オタクから見た日本社会」 【目次】 第一章 オタクたちの疑似日本 1 オタク...

「動物化するポストモダン」東浩紀著、講談社現代新書、2001.11.20 193p ¥735 C0236 (2019.04.30読了)(2014.07.19購入)(2012.08.24/25刷) 副題「オタクから見た日本社会」 【目次】 第一章 オタクたちの疑似日本 1 オタク系文化とは何か 2 オタクたちの疑似日本 第二章 データベース的動物 1 オタクとポストモダン 2 物語消費 3 大きな非物語 4 萌え要素 5 データベース消費 6 シミュラークルとデータベース 7 スノビズムと虚構の時代 8 解離的な人間 9 動物の時代 第三章 超平面性と多重人格 1 超平面性と過視性 2 多重人格 注 参考文献・参考作品 謝辞 (「MARC」データベースより)amazon いま、日本文化の現状についてまじめに考えようとするなら、オタク系文化の検討は避けて通ることができない。コミック、アニメ、ゲームなどオタクたちの消費行動の変化から現代日本文化を読みとってゆく。

Posted byブクログ

2019/04/25

ポストモダンをオタク文化をモチーフに読み解く。ただのアイディアだけではなく、だからこそ見えてくるより複雑な社会的表層を見事にくみ取っている。まさに東的仕事だと感じた。

Posted byブクログ

2019/04/23

いまさら読んだ。書かれてからわりと経つけどデータベース消費の理論はいまなお有効だしあらゆることにいえる。終盤のインターネットの話はちょっと学生のレポートを読んでいるような気がした。

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2021/01/22

見田宗介、大澤真幸ら、気鋭の社会学者の言う理想の時代、虚構の時代という枠組みは、よく理解できる。 だが、オウム事件や阪神大震災以降の大澤真幸の言う、不可能性の時代というのは、非常に、解りづらい。 その点、この東浩紀の言う、オタク社会から切り取った動物化という概念は、大澤の持つ熟慮...

見田宗介、大澤真幸ら、気鋭の社会学者の言う理想の時代、虚構の時代という枠組みは、よく理解できる。 だが、オウム事件や阪神大震災以降の大澤真幸の言う、不可能性の時代というのは、非常に、解りづらい。 その点、この東浩紀の言う、オタク社会から切り取った動物化という概念は、大澤の持つ熟慮や深みには欠けるが、非常にわかりやすい。 久々に、読書の醍醐味を、少し味わった。 古い世代に向かって語ると、この東のデータベース、シュミクラールという議論は、 丸山真男の「日本の思想」のササラ文化、たこつぼ文化に相通ずる。 問題は、人間は、やはり、物語を必要とする。 時代は、どう進むかだ。 また、大きな物語が終焉後、人々が、大文字を語り出したのには、関連性があるのであろうか? 残念ながら、90年代にTVを賑わした多重人格は、現在の心理療法の世界では、眉唾ものであり、本気には、取り上げられていない。 乖離性障害というのは存在するが、 あのTVの世界の人々は、無意識的にか、誰もが赤ちゃん、お母さんとわかるものを演じ、TVを見ている者は、それを通して、その背後のお母さんという大きな物語を了解し、多重人格という物語を紡ぎ出したに過ぎない。 大きな物語は、消滅したが、人々は、派遣と言えば劣悪な環境というイメージを抱き、新たな無数の小さな物語を語り出す。 ここには、人間の脳の機能が関係している。 人間の脳は、単なる事実の羅列よりも、ストーリーとして捉えた方が、記憶に定着しやすく、理解が進むのである。 続編を期待して読むことにしよう。

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