ヴェネツィアの宿 の商品レビュー
『ヴェネツィアの宿』読了。 昨年の古本市で購入した本です。深いところから湧き上がる美しく透明感のある言葉の数々に度々溺れていました。イタリア文学者である著者のエッセイ集で時系列はバラバラであるが戦中・戦後の日本、フランス、イタリアを舞台に描かれておりました。 実際のところ戦後の混...
『ヴェネツィアの宿』読了。 昨年の古本市で購入した本です。深いところから湧き上がる美しく透明感のある言葉の数々に度々溺れていました。イタリア文学者である著者のエッセイ集で時系列はバラバラであるが戦中・戦後の日本、フランス、イタリアを舞台に描かれておりました。 実際のところ戦後の混乱ですごく大変な思いや苦労をされた時代に生きてきた方だと思う。この著書では須賀敦子さんと著者の記憶の中で登場する彼らはそんなことすら微塵も感じない関係性を築いており、美しい言葉に昇華しているような印象を受けました。心の蟠りが溶けていくよう、汚い言葉で罵るのではなく、その時代を懸命に生きてきた人を讃えているような。どうすることもできない事に対し苛立つのではなく、残されたものとして許し許されるように生きているような。俯瞰し、追体験しているような内容でした。 うちの祖父母と同じ時代を生きた方なので、こんな感じだったのかなと想像してしまう。 今日は終戦記念日ですがお祖母ちゃんの誕生日です。91歳。その辺にいるお祖母ちゃんと違い、お祖母ちゃんっぽくなくあまり好きになれなかった。祖母は大学進学をしたくても女だからという理由で叶わず、資格取得しバリキャリで働き結婚出産がその当時では遅すぎると言われた年齢でしたが、まだ生きている。 好きになりたかったが、なれなかった。が正しい表現かもしれない。うちの祖母が歩いてきた人生は変わっていて普通ではなかった。祖母は分かっていたのかその孫である私が辿る人生も普通ではないと示唆しているようなところがあった。それでもいい。嫌なことされたこともあったが好きになってもいいと読んでいるうちにそう思ってしまった。事実を捻じ曲げ美化していくのは好きではないけど。美化というよりも許すことになるのか?(またずぶずぶと深みハマる…)まーいいや。 いつの時代において唯一無二の人生が転がっている。ひとりの女性が生きた戦後の国際色強めな人生を垣間見れて面白かったです。 2024.8.15(1回目)
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全体的に物悲しくも、それでいて読み手を作者の思い出の中に強く引き込むようなエッセイ集でした。 どこか小説っぽさがありました。かなり時間が経った過去の出来事を冷静に見つめなおしながら書かれた作品なのではないかなと思いました。
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読書の胆力が足りない、私には、まだ。 母の苦しみ、父の身勝手さ、その辺りだけは惹かれるものの、イタリアの舞台にいまいちしっくり馴染めず。 いつかきっと、いつかもっと。
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どこが面白いのでしょう?面白い本ではないのでしょうが、どこが良い本なのでしょう?こんな個人的な回想録、どうでも良いです。個人の日記として残せば十分だと思います。それを出版して金儲けをするなんてただの悪趣味です。こういったジャンルの出版物が一定数あるようで何度か挑戦してみましたが、...
どこが面白いのでしょう?面白い本ではないのでしょうが、どこが良い本なのでしょう?こんな個人的な回想録、どうでも良いです。個人の日記として残せば十分だと思います。それを出版して金儲けをするなんてただの悪趣味です。こういったジャンルの出版物が一定数あるようで何度か挑戦してみましたが、これを美しいとか引き込まれたとか受けとめる感覚は残念ながら私には無い様ですので、このジャンルは二度と手に取らないことにしようと思いました。もちろん半分もいかずに途中挫折です。
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慌ただしい日々の中で、自分を整えるために 読むような本です。 しっとしとしたヨーロッパを感じられます。
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家族、そしてさまざまな人たちとの出会いが著者の人生に大きく影響を与えたのだなあと感慨深かった。戦後間もない時代、その時代に留学を実行したことや結婚を目標としない女性の生き方を考えていたことに感動する。女性として憧れる生き方だ。また、文章の表現が丁寧で美しく、その土地の空の色や風、...
家族、そしてさまざまな人たちとの出会いが著者の人生に大きく影響を与えたのだなあと感慨深かった。戦後間もない時代、その時代に留学を実行したことや結婚を目標としない女性の生き方を考えていたことに感動する。女性として憧れる生き方だ。また、文章の表現が丁寧で美しく、その土地の空の色や風、空気感、草花の色など自分も体験しているように感じ、読んでいて心地良かった。
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洗礼者ヨハネは、苦行しながらキリストが世に出るのを待ちわびたというが、キリストのようにはではでしく弟子に囲まれるのでもなく、これといった逸話もないまま、ヘロデ王の逆鱗にふれて処刑され、孤独な生涯を終える。ヨハネは、生きることの成果ではなくて、そのプロセスだけに熱を燃やした人間とい...
洗礼者ヨハネは、苦行しながらキリストが世に出るのを待ちわびたというが、キリストのようにはではでしく弟子に囲まれるのでもなく、これといった逸話もないまま、ヘロデ王の逆鱗にふれて処刑され、孤独な生涯を終える。ヨハネは、生きることの成果ではなくて、そのプロセスだけに熱を燃やした人間という気がしないでもない。 待ちあぐねただけの聖者というのも悪くない。 大聖堂まで。フランスシャルトルの大聖堂の外、洗礼者ヨハネ像を見て。 オリエント・エクスプレス 憎いとも思っていた父との会話に心打たれる。
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イタリア生活を書いた内田洋子さんのエッセイ集を読んだので、今度は須賀敦子さんのイタリア地名の付いたエッセイ集を読んでみた。 お二人とも素晴らしい文章力をお持ちだが、視点は全く逆である。 内田さんはご自分を透明化させて周りの人たちを小説のように描写する。 しかし、須賀さんは...
イタリア生活を書いた内田洋子さんのエッセイ集を読んだので、今度は須賀敦子さんのイタリア地名の付いたエッセイ集を読んでみた。 お二人とも素晴らしい文章力をお持ちだが、視点は全く逆である。 内田さんはご自分を透明化させて周りの人たちを小説のように描写する。 しかし、須賀さんは何処までいっても須賀さんご自身なのだ。 戦前からカトリックの学校に通い、戦後は同じ系列の修道院が経営する専門学校、それからまだ女性が大学へ行くことが珍しかった時代に大学へ進み、さらにフランス、イタリアに留学された。 確かに、裕福なご家庭に育たれており、高い学問を積んだり海外へ積極的に出たりということが出来る文化的背景のある方だったが、それでもまだまだ女性が大学まで行くことや留学まですることに偏見を持つ両親を説得して出国されたのだ。大学での文学や歴史の勉強の中で「どうしてもフランスやイタリアに行って見なければ分からない」という衝動にかられたからなのである。 戦前の兵庫から東京、戦後のフランス、イタリアとどこへ行ってもそこで出会う本や町や人が須賀敦子という人を形作ってきた。須賀さんの書くエッセイは須賀さん自身が主人公の小説のようだ。 戦後、修道院の経営する寄宿学校に入ったとき、中世のような時代遅れの訳のわからない規則縛られ、不自由な生活を送りながらも「戦争中に工場で働かされてばかりのころよりはずっといい」と、中世と現代、西洋と東洋、戦前と戦後が混在したような不思議な寄宿学校生活を好奇心を持って受け止めていた、そんな目のキラキラした少女。清貧と言う言葉が似合う。アニメ化して子供たちに見せたいな。 須賀さんが初めてパリに行かれたときの印象は安野光雅さんの挿絵入りで朗読したい。ホテルの窓からすぐそこに見えた、白く輝くノートルダム大聖堂がぽっかり宙に浮かんでいた。その「薔薇窓の円のなかには、白い石の繊細な枠組みにふちどられた幾何模様の花びらが、凍てついた花火のように、暗黒のテラスの部分を抱いたまま、しずかにきらめいている。」 その後のフランス中の学生が参加する年に一度の大巡礼の旅は映画で見たい。お弁当として、バケットを無造作にリュックに挿して歩く学生の姿。歩きながらの熱気溢れる学生たちの討論。農家の納屋に泊めてもらい、ハイジのように干草をベッドにして寝る。 病気だというのに家にちっとも帰って来ない父親を京大病院に訪ね、そこで父親の愛人と出くわしてしまったことを悩みながら母親に打ち明けるシーンは、そうだな朝ドラみたいかな。 須賀さんは14歳の時に自宅の窓から身を乗り出し、ミモザの薫りを嗅いで、「ワタシは今日のことを一生忘れないだろう」「確かに私は二人いる。見ている自分と、それを思い出す自分。」と思われたそうだ。その視点が須賀さんご自身の生涯を小説のように豊かなものとされたのだろうと思う。
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いつの時代も知らないところや新天地に行くのは、震えるような勇気がいるものだ。 米女子来季出場権トップ合格の宮里藍ちゃんだって、「おとうさんの困難に立ち向かっていく後姿を見て」と、とてもえらかったけれど、前向きの勇気がどれだけ必要だったことかを思う。 このエッセイも当時(195...
いつの時代も知らないところや新天地に行くのは、震えるような勇気がいるものだ。 米女子来季出場権トップ合格の宮里藍ちゃんだって、「おとうさんの困難に立ち向かっていく後姿を見て」と、とてもえらかったけれど、前向きの勇気がどれだけ必要だったことかを思う。 このエッセイも当時(1950~60年代)としては珍しい家族の後押しがあれど、本人の「精神的に生きたい」という強い熱意と勇気がなければできなかった、ヨーロッパでの燃える向上心を記しているのだった。 「しばらくパリに滞在して、宗教とか、哲学とか、自分がそんなことにどうかかわるべきかを知りたい。今ここでゆっくりかんがえておかないと、うっかり人生がすぎてしまうようでこわくなったのよ」(カディアが歩いた道) 「うかうかと人生をついやす」ことは避けたい。肝に命じたいと思わされる。 家族小説(父母の思い出のエピソード)のようであり、教養小説(厳しい前向きの姿勢)でもあるエッセイ。「コルシア書店の仲間たち」同様美しい何度も読みたい文章である。
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初めて読む須賀敦子は、引き込まれるように読み終えた。 本書の解説を関川夏央が書いているが、その解説と、Wikipediaで調べた須賀敦子の生涯は、おおよそ下記のようであった。 ■1929年生まれ。 ■20代の終わりからイタリア在住。1961年にイタリア人と結婚するも、1967年...
初めて読む須賀敦子は、引き込まれるように読み終えた。 本書の解説を関川夏央が書いているが、その解説と、Wikipediaで調べた須賀敦子の生涯は、おおよそ下記のようであった。 ■1929年生まれ。 ■20代の終わりからイタリア在住。1961年にイタリア人と結婚するも、1967年に夫が急逝。 ■1970年に父親が亡くなる。翌年1971年にご本人も帰国。大学の講師から教授まで務める。 ■作家としてのデビューは、1990年、61歳の時。「ミラノ 霧の風景」がデビュー作。 ■1998年没。 本書、「ヴェネツィアの宿」は、1993年の作品。 少女時代から、ヨーロッパ滞在中の出来事を綴った12編から成るエッセイ集。とても美しい文章。 特に最後の2編は、夫と父親の死を題材にしており、淡々とした中に哀しみが感じられる。死後20年以上を経てからの文章であり、逆に言えば、このような文章として仕上がるためには、20年以上が必要だったのだと思う。
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