中国行きのスロウ・ボート の商品レビュー
村上春樹 中国行きのスロウボート ほか短編集 苦手なメタファー小説。タイトルの意味や テーマについて、解答があるなら、教えてほしい。 小説に出てくる 音楽のチョイスは 好きだけど。こういうのが好きな ハルキストは 凄いと思う 「 中国行きのスロウボート」 近づきたいのに...
村上春樹 中国行きのスロウボート ほか短編集 苦手なメタファー小説。タイトルの意味や テーマについて、解答があるなら、教えてほしい。 小説に出てくる 音楽のチョイスは 好きだけど。こういうのが好きな ハルキストは 凄いと思う 「 中国行きのスロウボート」 近づきたいのに、距離が縮まらない 日本と中国の精神的距離感がテーマ? まだ間に合うという論調? 「貧乏な叔母さんの話」 貧乏から 抜け出したくても、抜け出せない自分がテーマ? 貧乏な叔母さん=自身の先入観、コンプレックス、誰からも評価されない自身の能力? 「午後の最後の芝生」小説論? *記憶というのは 小説に似ている〜どれだけきちんとした形に整えようとしても〜最後は 文脈ですらなくなる *人間存在を〜純粋な動機に基づく馬鹿げた行為〜そして そこから 記憶が生まれ、小説が生まれる 金なんていらないと思ったとたんに金が入ってくる
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1980年春から1982年夏にかけて発表された七つの短編が年代順に収められた村上春樹の最初の短編集。 装丁が素敵なこの本はまた手に取ることになるでしょう。 そのときのために、自分が今感じたことをエピソードごとに記しておきます。 ●中国行きのスロウ・ボート 少年が中国人小学校で...
1980年春から1982年夏にかけて発表された七つの短編が年代順に収められた村上春樹の最初の短編集。 装丁が素敵なこの本はまた手に取ることになるでしょう。 そのときのために、自分が今感じたことをエピソードごとに記しておきます。 ●中国行きのスロウ・ボート 少年が中国人小学校でしたことは、尊敬の手順を飛ばした仲良くなるための行為であってほしい。そして月曜の朝に登校した小学生がそれを見つけて笑ってくれることを願う。 ●貧乏な叔母さんの話 なんだかよく分からない ●ニューヨーク炭鉱の悲劇 タイトルが不可解 ●カンガルー通信 タイトルは素敵。しかし、読む人が読めばストーカーの独白でしかない ●午後の最後の芝生 飛び抜けて好きな話。ギラギラした太陽の下、さわやかな夏を感じる。個人的にちょうど日中の長さから夏の気配を感じたところで、夏の準備がしたくなる話。最後に芝を刈った家の女主人(ジブリ映画に出てきそう)をキャスティングするとしたら、40歳代後半の小池栄子。 ●土の中の彼女の小さな犬 タイトルが残念。題名が話の着地点のようなもので、謎解き要素がほぼゼロだったからかもしれない。 ●シドニーのグリーン・ストリート ご存知!羊男の登場。今回も損な役回りで、彼のことがだんだん不憫になってきました。
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中国行きのスロウ・ボート◆貧乏な叔母さんの話◆ニューヨーク炭鉱の悲劇◆カンガルー通信◆午後の最後の芝生◆土の中の彼女の小さな犬◆シドニーのグリーン・ストリート
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話よりリズム。 よくわからなくてもすんなり入ってくる。 小説と言えどもやっぱりリズムは重要。 グッドリズムメイクグッドヴァイブス
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ある雨の日に、ただホテルに泊まって朝ごはんを食べに行くだけの描写を、こんなに丁寧にねっちりと描くことができる作家さんが他にいるでしょうか? この短編集には7つの小作品が収められていて、他の本の読書の合間合間に1作品ずつ長い時間をかけて読みました。はじめの頃に読んだ作品はもう忘却の...
ある雨の日に、ただホテルに泊まって朝ごはんを食べに行くだけの描写を、こんなに丁寧にねっちりと描くことができる作家さんが他にいるでしょうか? この短編集には7つの小作品が収められていて、他の本の読書の合間合間に1作品ずつ長い時間をかけて読みました。はじめの頃に読んだ作品はもう忘却の彼方です。はじめに戻ってそのうちにもう一度読みたいです。 もうかれこれ20年くらい前に友達だった羊男に久し振りに会うことができました。村上さんありがとう☺︎
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再読日 19940205 11111111 19980828 なんだかこの年になって読むと昔よりも格別によい。「午後の芝生」は格別の夏がある。「ニューヨーク」は今回発見したような感じがする。19980828
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最初期の短編集。「午後の最後の芝生」と「土の中の彼女の小さな犬」は間違いなくマスターピース。実際この二篇にはえらく共通している部分がある。山の手の高級住宅地の庭、彼女と別れたばかりの「僕」、大切なもの(あるときは娘や夫、あるときは犬)に取り残された女の人、職業的な勘で女の人の抱え...
最初期の短編集。「午後の最後の芝生」と「土の中の彼女の小さな犬」は間違いなくマスターピース。実際この二篇にはえらく共通している部分がある。山の手の高級住宅地の庭、彼女と別れたばかりの「僕」、大切なもの(あるときは娘や夫、あるときは犬)に取り残された女の人、職業的な勘で女の人の抱えている問題をぼんやりと言葉に置き換える「僕」、「僕」とその女の人とのささやかな関わり合いを通して二人の心の内にあった澱が取り払われること。以後の村上作品で取り扱われ続けるそういったテーマが詰まった短編である。「我々の日常生活はほとんど意味のない些細な動作の集積で成立している」。心に留めておきたい言葉だ。
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どうしてこの短編集を読み返したのか。「この作品集が一番おもしろい」と言っている人がいるという話を聞いたからだ。まったく印象に残っていなかったし、読み終えた後も大して印象に残るものはない。「午後の最後の芝生」のなかに2回、「シドニーのグリーン・ストリート」に1回、「やれやれ」が出て...
どうしてこの短編集を読み返したのか。「この作品集が一番おもしろい」と言っている人がいるという話を聞いたからだ。まったく印象に残っていなかったし、読み終えた後も大して印象に残るものはない。「午後の最後の芝生」のなかに2回、「シドニーのグリーン・ストリート」に1回、「やれやれ」が出てきている。目次うらの著者自身の文章によると、この2作は「羊をめぐる冒険」のあとに書かれているから、きっと「羊・・・」を書いているころに何か、「やれやれ」が口癖になる何かがあったのだろう。それに「シドニー・・・」には羊男と羊博士が登場する。そうか、この短編の方があとなのだ。長編で使った登場人物を短編に使うとはどういう気分だったのか。しかし、こちらはどうも頼りない感じの二人ではあった。最後の「シドニー・・・」を除くとどれも著者が実際に体験したような話ばかりだ。作家が主人公だったりするものだから、そう感じるだけだろうか。「一番好きな作品は?」と聞かれたら、どうだろう。「土の中の彼女の小さな犬」だろうか。最後に、だれに電話をかけようとしているのか。もう一度、ガール・フレンド? いや、さっきまで一緒だった彼女の部屋? それとも・・・ 定価が360円というのもちょっと驚きだなあ。でも、当時、LPレコードはたしか2500円だったよなあ。
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そこはかとなくわかるような……という感じ、ふわっとした感触。少し曖昧でビシッとは通らない小説世界。「中国行きのスロウ・ボート」「午後の最後の芝生」が良かったように思う。個人的に村上春樹の味わい方をまだよくわかってない。そんな感じ。
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なんだかまるでぐったりした子猫を何匹か積み重ねたみたいだ。生あたたかくて、しかも不安定だ。 この表現が好きです。
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