商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 早川書房 |
| 発売年月日 | 2025/07/16 |
| JAN | 9784150315993 |
- 書籍
- 文庫
プロトコル・オブ・ヒューマニティ
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プロトコル・オブ・ヒューマニティ
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商品レビュー
4.1
11件のお客様レビュー
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交通事故で右足半分が義足になったプロダンサーの再生の物語。 護堂恒明はコンテンポラリーダンスを得意とするプロのダンサー。交通事故により右足を失う。 新しくロボットによるダンスカンパニーを立ち上げた谷口はロボットとの共演を護堂に持ちかける。 ロボットに、より人間的なダンスを踊ってもらうため、護堂の義足にAIとセンサーを組み込み、データを取り、ダンスロボットにフィードバックする。 AIを積極的に取り込み、人間が観て心を動かされるダンスとは何かを追求していく。 並行して、護堂は交通事故で母を亡くし、プロダンサーである父も事故をきっかけに認知症が発症、進行がはやく、恒明は同居して介護することになる。 短期記憶喪失、排泄も失敗することが多くなり、恒明の介護は悲惨極まる。 唯一の血縁である兄は大阪にいて介護にも、資金援助にも非協力的だ。 義肢は進化する。AIのおかげで、義肢自らが人間としての通信手順(プロトコルオブヒューマニティ)を持ち、より人間に近い表現と、他のダンサーとの距離と速度を絶妙に調整する。 しかし、父の認知症は治らない。症状は悪くなっていく一方だが、唯一、プロダンサーとしてのプライドだけは残った。 私の父も脳梗塞を患ってから認知症の症状が出るようになった。「納品書がない!」「回収したお金が見当たらん!」10年以上前に辞めた商売のことを突然言うようになった。 護堂の父は、短期記憶を失っても、言葉が思うように出なくなっても、理性が崩れても、踊ることだけはやめなかった。 私の父は最後まで商売人として生きた痕跡が残っていた。 脳の機能が損なわれても、人が人生をかけて積み重ねたものまで、すべて失われるわけではない。 護堂の父にはダンスが残り、私の父には仕事が残った。 そこから、もう一度人とつながることができる。 最後の護堂と父とのラストダンス。 そして護堂とロボットたちのダンス。 このダンスシーンは凄い。 自分も踊って汗をかいてるような感覚に襲われる。 プロトコル・オブ・ヒューマニティとは、他者とつながるための通信手順だ。 そこに関係が生まれ、感情が行き交う。 そして、その関係をダンスとして表現したとき、それを観ている人間まで巻き込んでいく。 親子としての絆、ロボットたちとの新しい関係。 本作はSFであると同時に家族小説であり、新しい関係性を獲得していく物語でもある。
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人の、ままならない身体性についての物語。 大事故で傷ついた体、フォースフィードバックを絶えずよこしてくるAI義肢、ダンスの共演者となるアーム、アンドロイド、そして認知症を抱えた父。 脳は内臓である、からはじまる本書だけれど、内臓を包む身体が自己を安定して支えてくれるわけではなく、...
人の、ままならない身体性についての物語。 大事故で傷ついた体、フォースフィードバックを絶えずよこしてくるAI義肢、ダンスの共演者となるアーム、アンドロイド、そして認知症を抱えた父。 脳は内臓である、からはじまる本書だけれど、内臓を包む身体が自己を安定して支えてくれるわけではなく、身体はどうしようもなく他者であり、なんともままならない。 だからこそダンスという芸術が成立するのだろう。 このストーリーなら当然クライマックスのシーンはロボットと人間の共演するダンスシーンになるはずで、果たしてそれがきっちり描けるのだろうかと恐る恐る読み進めたが、それは失礼な杞憂であって、素晴らしい舞台の描写だった。それに先立って、父とのダンスのシーンがあるのだが、こちらも素晴らしいものだ。こちらこそクライマックスではないかと解説にあったが、私も同感だ。 盆踊りのような民族的で観客も踊るダンスと、バレエやコンテンポラリーのように観客は踊らないからこそわかるものに集中するダンスとがある、という二分法が出てくる。主人公が、ボディコンタクトそのものののような介護を通じて、そしてダンスを通じて、すなわち共に踊ることによって関わっていく父親と、離れていても心を通い合わせることのできた恋人と、対比的な両者の二分法と、同形の議論かもしれない。恋人との関わりは共に踊るものに変わっていくのだけれど。 稽古の途中で、ほんの少しだけ、「義肢をつけたアンドロイド」が出てくる。これは私には強烈に新鮮なイメージだった。ロボットは身体の枠を越えて通信し合えることが前提で、その意味では「個体」などないと思っていたからだ。オートポイエティックなロボット間の協調というのはおもしろい主題だと思った。 AIとロボットという、最も変化の著しい技術分野を正面から扱っているので、単行本と文庫との間で、その変化に対応してかなりの加筆がなされたという。もちろん、技術表現としては、いずれどこかで陳腐化するのかもしれないが、にもかかわらず、ある普遍的な問題に触れているからこそ、読み継がれうる物語だと思う。すぐれたSF作品とはそういうものだ。
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まるで一つの芝居を見ているようだった。 いや、ダンスだから芝居じゃなくて公演か…? 人と人が接することで人間性とは確立されているんだというメッセージ性を感じた。 介護の描写のシーンがリアリティがあると思ったら作者の体験も交えて書いてあるらしい。通りで…
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