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「あの戦争」は何だったのか 講談社現代新書2780
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2025/07/17 |
| JAN | 9784065404997 |
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「あの戦争」は何だったのか
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商品レビュー
4.1
54件のお客様レビュー
論理的文章で「あの戦争」について考察した新書です。 話題の本であり、「あの戦争」について多くの知識を持たないため、この本を読んでみたくなりました。 私が受けた高校の歴史教育では明治維新以降の歴史は飛ばされ、全く学ぶ機会が有りませんでした。 この本を読み、歴史の見方が多様であるこ...
論理的文章で「あの戦争」について考察した新書です。 話題の本であり、「あの戦争」について多くの知識を持たないため、この本を読んでみたくなりました。 私が受けた高校の歴史教育では明治維新以降の歴史は飛ばされ、全く学ぶ機会が有りませんでした。 この本を読み、歴史の見方が多様であることを知り、奥が深いことも分かりました。 なぜ「あの戦争」が始まったのか、事実を踏まえ、学んでみたいと思いました。
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難しい題材についてバランスの取れた記述でコンパクトにまとめた良書。 「あの戦争」は名称すら大東亜戦争、太平洋戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦と様々な呼び方があり、使う名称によって見方が変わってしまう。 第一章では「いつ始まったのか」という問いから始まる。 一般...
難しい題材についてバランスの取れた記述でコンパクトにまとめた良書。 「あの戦争」は名称すら大東亜戦争、太平洋戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦と様々な呼び方があり、使う名称によって見方が変わってしまう。 第一章では「いつ始まったのか」という問いから始まる。 一般的には1941年12月8日の真珠湾攻撃を起点とする見方が広く受け入れられているが、実態を捉えるには日中戦争との連続性を見る必要がある。1941年12月12日に政府が この戦争の名称を「大東亜戦争」と発表した際には支那事変(1937年7月7日盧溝橋事件)も含めていた。さらに満州事変(1931年9月18日)を起点とする「十五年戦争」史観、植民地主義に対する日本の反撃戦争と捉え、幕末を起点とする「東亜百年戦争」論と様々な見解がある。 著者は「総力戦」の時代を切り開いた第一次世界大戦が日本に与えた衝撃や民族自決の潮流の高まり、満州の権益確保、植民地となっていた東南アジアの資源への注目などを概観し、①日本を加害者として見る左派的な十五年戦争史観②日本を被害者として見る右派的な東亜百年戦争史観③実証主義(歴史観なき歴史観)と敢えて簡単に整理したうえで、歴史は科学ではなく、事実への意味付けは解釈によって変わるとして、最後に著者の考えを述べている。 著者は、「あの戦争」の実質的な始まりは日本が大陸で長期的な戦争状態に突入した1937年7月7日であり、この戦争は支那事変ではなく「日中戦争」であり、対米英開戦後は日中戦争を含めて「大東亜戦争」と呼称するという見方を採っている。 「大東亜戦争」の名称自体に右派的イメージがあるため使いにくい面がある点は著者も触れている。 第二章では「どこで間違ったのか」つまり開戦は回避できなかったのか、という問いである。 日本の指導層は長期戦になれば勝ち目がないことは十分認識していたにもかかわらず、関係各所の同意を取り付けて消極的な選択を行うことは不可能に近かったことなど、歴史的な選択肢から論じ、さらにその背後にある大日本国憲法の構造的欠陥について触れている。「そのような選択肢を、だれがどのようにして実行するのか」という「司令塔の不在」である。国務各大臣を個別に天皇を輔弼、陸海軍は天皇に直属、軍内部も軍政と軍令の二重構造があった。東条英機、石原莞爾、永野修身、米内光政などを論じ、最後に昭和天皇が取り得た選択肢の狭さに触れ、「護憲」が国を滅ぼしたとも言えると述べている。 第三章では、「あの戦争」において日本が掲げた理想を「プロパガンダにすぎない」と一括りに否定する見方と過剰に称賛する動きに対し、単純に割り切る見方ではなく、その中間に答えを見出そうとしている。脱亜入欧とアジア主義の相克、「人種差別撤廃」提案、「大東亜会議」などを論じ、自らが掲げた理想と、その裏にあった現実とを直視する必要があるとしている。 第四章では、視点を「大東亜」地域に向け、そこでどう受け止められているかを、各地域を実際に訪れの歴史博物館や記念碑の説明などを通じてどのように「あの戦争」を捉えているのかを読み解いている。 第五章では、「あの戦争」がいつ「終わった」と言えるのか=歴史上の数ある出来事のひとつとして扱えるようになるのか、を探っている。そして、「あの戦争」が特別な地位を占めていることは、国立近現代史博物館が存在しないという形で象徴的に表れていると指摘している。多くの国では、そこにそれぞれの国の「国民の物語」が明確に提示されている。あまりに不十分な国立歴史民俗博物館、「戦争が天災のような」昭和館、「受け身史観」の遊就館、それに対し、展示に工夫がみられる東京大空襲・戦災資料センター、負の歴史も明記するアメリカの国立アメリカ歴史博物館を紹介し、あるべき姿を探っている。 最後に、本書の結論として、あの戦争を語る際に、あの戦争「だけ」に焦点を当てるべきではなく、日本の近現代史という長い時間の流れの中に位置づけて初めて全体像が立ち上がってくる。そうした視点に立つことで、過剰な肯定にも否定にもならず、落ち着くべきところに落ち着くとしている。 【目次】 はじめに 第一章 あの戦争はいつはじまったのか――幕末までさかのぼるべき? 第二章 日本はどこで間違ったのか――原因は「米英」か「護憲」か 第三章 日本に正義はなかったのか――八紘一宇を読み替える 第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか――忘れられた「東条外交」をたどる 第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか――小さく否定し大きく肯定する おわりに
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政治的になることを恐れて、歴史を忘れ去るのではいけない。批判されても65点の歴史を目指すという姿勢には共感した。 最後の第四、五章が博物館における歴史の取扱い方の話なのも面白い。アジアでは大東亜共栄圏も東條英機も扱いがないか、小さい。国家の歴史にとって必要がないからである。対して...
政治的になることを恐れて、歴史を忘れ去るのではいけない。批判されても65点の歴史を目指すという姿勢には共感した。 最後の第四、五章が博物館における歴史の取扱い方の話なのも面白い。アジアでは大東亜共栄圏も東條英機も扱いがないか、小さい。国家の歴史にとって必要がないからである。対して、日本の博物館は、自国の歴史を取扱うのに慎重になりすぎて、ほぼ近現代の戦争について展示していないという(靖国神社の就遊館ですら愛国的というよりは受動的と指摘されている。)。 各章、左右、実証主義を踏まえつつ、簡潔に自分の立場を説明している点もよいと思った。ほぼ同世代の著者だが、これくらいの距離感でもっと歴史を知りたくなる。
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