「あの戦争」は何だったのか の商品レビュー
論理的文章で「あの戦争」について考察した新書です。 話題の本であり、「あの戦争」について多くの知識を持たないため、この本を読んでみたくなりました。 私が受けた高校の歴史教育では明治維新以降の歴史は飛ばされ、全く学ぶ機会が有りませんでした。 この本を読み、歴史の見方が多様であるこ...
論理的文章で「あの戦争」について考察した新書です。 話題の本であり、「あの戦争」について多くの知識を持たないため、この本を読んでみたくなりました。 私が受けた高校の歴史教育では明治維新以降の歴史は飛ばされ、全く学ぶ機会が有りませんでした。 この本を読み、歴史の見方が多様であることを知り、奥が深いことも分かりました。 なぜ「あの戦争」が始まったのか、事実を踏まえ、学んでみたいと思いました。
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難しい題材についてバランスの取れた記述でコンパクトにまとめた良書。 「あの戦争」は名称すら大東亜戦争、太平洋戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦と様々な呼び方があり、使う名称によって見方が変わってしまう。 第一章では「いつ始まったのか」という問いから始まる。 一般...
難しい題材についてバランスの取れた記述でコンパクトにまとめた良書。 「あの戦争」は名称すら大東亜戦争、太平洋戦争、十五年戦争、アジア・太平洋戦争、第二次世界大戦と様々な呼び方があり、使う名称によって見方が変わってしまう。 第一章では「いつ始まったのか」という問いから始まる。 一般的には1941年12月8日の真珠湾攻撃を起点とする見方が広く受け入れられているが、実態を捉えるには日中戦争との連続性を見る必要がある。1941年12月12日に政府が この戦争の名称を「大東亜戦争」と発表した際には支那事変(1937年7月7日盧溝橋事件)も含めていた。さらに満州事変(1931年9月18日)を起点とする「十五年戦争」史観、植民地主義に対する日本の反撃戦争と捉え、幕末を起点とする「東亜百年戦争」論と様々な見解がある。 著者は「総力戦」の時代を切り開いた第一次世界大戦が日本に与えた衝撃や民族自決の潮流の高まり、満州の権益確保、植民地となっていた東南アジアの資源への注目などを概観し、①日本を加害者として見る左派的な十五年戦争史観②日本を被害者として見る右派的な東亜百年戦争史観③実証主義(歴史観なき歴史観)と敢えて簡単に整理したうえで、歴史は科学ではなく、事実への意味付けは解釈によって変わるとして、最後に著者の考えを述べている。 著者は、「あの戦争」の実質的な始まりは日本が大陸で長期的な戦争状態に突入した1937年7月7日であり、この戦争は支那事変ではなく「日中戦争」であり、対米英開戦後は日中戦争を含めて「大東亜戦争」と呼称するという見方を採っている。 「大東亜戦争」の名称自体に右派的イメージがあるため使いにくい面がある点は著者も触れている。 第二章では「どこで間違ったのか」つまり開戦は回避できなかったのか、という問いである。 日本の指導層は長期戦になれば勝ち目がないことは十分認識していたにもかかわらず、関係各所の同意を取り付けて消極的な選択を行うことは不可能に近かったことなど、歴史的な選択肢から論じ、さらにその背後にある大日本国憲法の構造的欠陥について触れている。「そのような選択肢を、だれがどのようにして実行するのか」という「司令塔の不在」である。国務各大臣を個別に天皇を輔弼、陸海軍は天皇に直属、軍内部も軍政と軍令の二重構造があった。東条英機、石原莞爾、永野修身、米内光政などを論じ、最後に昭和天皇が取り得た選択肢の狭さに触れ、「護憲」が国を滅ぼしたとも言えると述べている。 第三章では、「あの戦争」において日本が掲げた理想を「プロパガンダにすぎない」と一括りに否定する見方と過剰に称賛する動きに対し、単純に割り切る見方ではなく、その中間に答えを見出そうとしている。脱亜入欧とアジア主義の相克、「人種差別撤廃」提案、「大東亜会議」などを論じ、自らが掲げた理想と、その裏にあった現実とを直視する必要があるとしている。 第四章では、視点を「大東亜」地域に向け、そこでどう受け止められているかを、各地域を実際に訪れの歴史博物館や記念碑の説明などを通じてどのように「あの戦争」を捉えているのかを読み解いている。 第五章では、「あの戦争」がいつ「終わった」と言えるのか=歴史上の数ある出来事のひとつとして扱えるようになるのか、を探っている。そして、「あの戦争」が特別な地位を占めていることは、国立近現代史博物館が存在しないという形で象徴的に表れていると指摘している。多くの国では、そこにそれぞれの国の「国民の物語」が明確に提示されている。あまりに不十分な国立歴史民俗博物館、「戦争が天災のような」昭和館、「受け身史観」の遊就館、それに対し、展示に工夫がみられる東京大空襲・戦災資料センター、負の歴史も明記するアメリカの国立アメリカ歴史博物館を紹介し、あるべき姿を探っている。 最後に、本書の結論として、あの戦争を語る際に、あの戦争「だけ」に焦点を当てるべきではなく、日本の近現代史という長い時間の流れの中に位置づけて初めて全体像が立ち上がってくる。そうした視点に立つことで、過剰な肯定にも否定にもならず、落ち着くべきところに落ち着くとしている。 【目次】 はじめに 第一章 あの戦争はいつはじまったのか――幕末までさかのぼるべき? 第二章 日本はどこで間違ったのか――原因は「米英」か「護憲」か 第三章 日本に正義はなかったのか――八紘一宇を読み替える 第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか――忘れられた「東条外交」をたどる 第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか――小さく否定し大きく肯定する おわりに
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政治的になることを恐れて、歴史を忘れ去るのではいけない。批判されても65点の歴史を目指すという姿勢には共感した。 最後の第四、五章が博物館における歴史の取扱い方の話なのも面白い。アジアでは大東亜共栄圏も東條英機も扱いがないか、小さい。国家の歴史にとって必要がないからである。対して...
政治的になることを恐れて、歴史を忘れ去るのではいけない。批判されても65点の歴史を目指すという姿勢には共感した。 最後の第四、五章が博物館における歴史の取扱い方の話なのも面白い。アジアでは大東亜共栄圏も東條英機も扱いがないか、小さい。国家の歴史にとって必要がないからである。対して、日本の博物館は、自国の歴史を取扱うのに慎重になりすぎて、ほぼ近現代の戦争について展示していないという(靖国神社の就遊館ですら愛国的というよりは受動的と指摘されている。)。 各章、左右、実証主義を踏まえつつ、簡潔に自分の立場を説明している点もよいと思った。ほぼ同世代の著者だが、これくらいの距離感でもっと歴史を知りたくなる。
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「歴史とは現代からの解釈であり、そこには解釈者の意や価値観が加わるため、歴史は表情が変わる。」ことを前提にしている。 戦争の始まり(太平洋戦争、日中戦争、満州事変、、、、遡るとペリー黒船まで?)を、偉人たちの解釈をふまえて、多様な角度で示されている(もちろんご自身の解釈も)。 ...
「歴史とは現代からの解釈であり、そこには解釈者の意や価値観が加わるため、歴史は表情が変わる。」ことを前提にしている。 戦争の始まり(太平洋戦争、日中戦争、満州事変、、、、遡るとペリー黒船まで?)を、偉人たちの解釈をふまえて、多様な角度で示されている(もちろんご自身の解釈も)。 主に太平洋戦争に突入するまでの日本の状況(憲法や組織の脆弱性など)を多くのポイントをまとめられている。 →どことなく現代の強くなれない企業と似た点があるように思え、当時の組織体をもうすこし深く学びたいと好奇心が湧いた。 後半には、当時の日本の政治・軍事活動(大東亜新秩序、八紘一宇、人種差別撤廃)や、それらを他国からどのように解釈されていたか。未来にどうつなげていくのかと結ばれている。 →自国も他国も時代や状況など、その時、遡った時、すべては解釈で正しい解がないが、考え続けることが大事なのかな。
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ずーっと気になっていた本。 よーやく読むことができました。 改めて、歴史は点ではない。その当時の世界情勢、日本の立場、様々な因果関係が交錯して積み重ねの結果である事を気づかせてくれた内容だった。 その始まりは黒船来航、日本の近代化からはじまっている述べられている。 他の国々が...
ずーっと気になっていた本。 よーやく読むことができました。 改めて、歴史は点ではない。その当時の世界情勢、日本の立場、様々な因果関係が交錯して積み重ねの結果である事を気づかせてくれた内容だった。 その始まりは黒船来航、日本の近代化からはじまっている述べられている。 他の国々が当時の日本をどうみるか、ではシンガポールなどが厳しい目で見ているのは新たな発見だった。個人的には中国、韓国は厳し目に見ているが東南アジアは比較的、良好なのかと勝手に奢った考えを持っていた。 日本は加害者か被害者かは100点か0点ではなく65点くらいというのは共感できる。 当時の日本が行なった事で全てが悪い事をした訳ではないがそれを正当化して開き直る事もないとも考える。いかにこの歴史を未来に活かすかが大事だと考えさせられる一冊だった。
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所謂「太平洋戦争」(米国側の呼称らしい)に関して、なるべく客観的にという趣旨で解説した本。 視点が右か左かはさておき、冷静に書かれているのでわかりやすい内容だと思う。
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「あの戦争」という代名詞を使った言葉でわざとぼかし、あえて「太平洋戦争」「大東亜戦争」「十五年戦争」などと言わずに、「あの戦争」がいつ始まったのか、なぜ始まったのか、読者に考えてみろと迫ってくるような本。 今を生きる僕は、「あの戦争」のことを正確に知らないと思う。なぜならば、この...
「あの戦争」という代名詞を使った言葉でわざとぼかし、あえて「太平洋戦争」「大東亜戦争」「十五年戦争」などと言わずに、「あの戦争」がいつ始まったのか、なぜ始まったのか、読者に考えてみろと迫ってくるような本。 今を生きる僕は、「あの戦争」のことを正確に知らないと思う。なぜならば、この本を読んで知ったことも数多くあり、当時の人々がその時、どう考えたのか想像する。 当時の世の中の雰囲気は、今では体感できない。今の感覚で当時を振り返っても正確に体現することもできない。「このまま座して死を待つより、死中に活を求めよう」という選択をなぜしたのか。 列強がこぞって地球上の資源を力によって確保していた時代。陣取り合戦が終了したとき、必然として発生する列強の武力衝突。今もその構図は変わらない。だからこそ「あの戦争」を学ぶ必要がある。
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昨今の政治状況。 世界で続く戦争状況下で 平和を願う思い。 そのために今こそ 「あの戦争」について 改めて知るべきだ。 トランプ大統領2.0のありよう。 高市総理の誕生。 ウクライナ、パレスチナなど 世界各地で続く戦争。 そうした状況下で 切に平和を願い、 日本のこれからを ...
昨今の政治状況。 世界で続く戦争状況下で 平和を願う思い。 そのために今こそ 「あの戦争」について 改めて知るべきだ。 トランプ大統領2.0のありよう。 高市総理の誕生。 ウクライナ、パレスチナなど 世界各地で続く戦争。 そうした状況下で 切に平和を願い、 日本のこれからを 考えようとすると、 どうしても「あの戦争」に 立ち返らざるを得なくなる。 なぜなら、 反戦を訴えるなら、 その反証として あの戦争への反省なり、 各自の思いが問われることになる。 なぜなら、 日本の現在のありようは、 短期的な視点で言えば、 あの戦後から始まったからだ。 もっと長期的視点に立てば、 明治維新から考える 必要があるのかもしれないが。 現代から過去へと 歴史を遡行し、 日本のありようを見つめ、 平和を、これからを、 自分の視点で 考えるためには、 やはり、あの戦争について 自分なりの考え方の確立を 今こそする必要がある。 そこで、改めて どう知るかと思ったときに 出合ったのが、この本だ。 本書は 左派、右派の方からは 異論があるかもしれないが、 割合とフラットだ。 この異論が出そうな状況こそが、 日本という国で 今現在、あの戦争への 国民的、統一的な 認識ができていない 証左であると思うのだが。 本書は、あの戦争について さまざまな論や考え方を挙げながら、 事実関係を積み上げて記していて、 考える足場としては 好適だと思う。 本書は以下の構成だ。 はじめに 本書の立ち位置が述べられる。 「あの戦争」は何だったのか。 あの戦争はなぜ起きたのか。 といった問いに答えるために 本書は書き始められた。 「端的にいえば、 『日本が米国から石油を止められて、 追いつめられたから』」と著者は語る。 しかし、石油が禁輸された原因は? それは南部仏印(フランス領インドシナ)に 進駐したから。 ではなぜそこに進駐したのか? と問いが続くと書いている。 さらにあの戦争についての 呼称問題も戦争の捉え方に関わる。 大東亜戦争、 太平洋戦争、 十五年戦争、 アジア・太平洋戦争、 第二次世界大戦、 そのそれぞれに込められた 思いを知ることが必要だ。 そして、あの戦争は 回避可能だったのか? という切実な問いが 投げかけられる。 こうしたいくつかの問いに答えるべく、 一冊の教養書にまとめてみよう。 と、著者は本書の成り立ちを述べている。 第一章 あの戦争はいつ始まったのか 「十五年戦争史観」や「東亜百年戦争」など 戦争論をいくつも取り上げながら、 あの戦争の始まりを考えることで、戦争を見ていく。 各論が寄って立つところを考えることで、 あの戦争の細部に分け入っていく。 第二章 日本はどこで間違ったのか 過去のわれわれとして、 日本は戦争を避けられなかったのか について問うていく。 第三章 日本に正義はなかったのか 脱亜入欧とアジア主義、 人種差別問題、 八絋一宇、 大東亜秩序から大東亜共栄圏へ などの往時の課題やスローガンを分析しながら、 日本はどこを目指したのか、 目指さなかったのかを考える。 第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか アジアを実際に訪問し、 日本が関わった各国において、 あの戦争がどう語られているのかを つぶさに調べている。 第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか 日本国内の あの戦争に関する 展示館を訪問しながら、 改めて日本における あの戦争の位置付けと これからを考える。 こうして あの戦争の詳細を知っていったとき、 改めて、自らのうちに あの戦争を考える契機が生まれている。 さらに言うならば。 「あの戦争」を考えることの次に、 「あの戦後」は何だったのか、 が問われなければならないと感じた。 日本があの戦争から 大きく変わったのは事実だが、 現在の日本人の国民性や 日本人が一般的に抱く思い、思想、 さらに立ち位置は、 戦後の数年で決定づけられたと思う。 そのターニングポイントは GHQによる占領下における 統治政策にあった。 そういった意味では、 日本はまだ戦後なのかもしれない。
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「あの戦争」について、その「呼称」や「始まり」について「一定の方向性」を示唆してくれます。ただし決して「結論」は出さない。というより、出せないのでしょう。「曖昧さ」がこの国の特徴なのかもしれません。様々な解釈を可とする、それは何も「あの戦争」に限ったことではありません。白黒ではな...
「あの戦争」について、その「呼称」や「始まり」について「一定の方向性」を示唆してくれます。ただし決して「結論」は出さない。というより、出せないのでしょう。「曖昧さ」がこの国の特徴なのかもしれません。様々な解釈を可とする、それは何も「あの戦争」に限ったことではありません。白黒ではなく灰を良しとする、「ハッキリ」ではなく「ボヤっと」したものの中にさえ「美」を見つける文化・思想がこの国を支えているのかもしれません。だから、「善悪」という考え方だけでは「あの戦争」は結論付けられないのだと思います。 よって、「あの戦争」は終わらない。
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自分の歴史・戦争に関する認識が、いかに曖昧かを痛感しました。戦争関連本への堅苦しいイメージもありましたが、読んでよかったと思えました。とても読みやすく、幅広い観点から論じられていて勉強になりました。 そもそもの「あの戦争」とは何を指すのか、その起点の多様な解釈、呼称の背景、...
自分の歴史・戦争に関する認識が、いかに曖昧かを痛感しました。戦争関連本への堅苦しいイメージもありましたが、読んでよかったと思えました。とても読みやすく、幅広い観点から論じられていて勉強になりました。 そもそもの「あの戦争」とは何を指すのか、その起点の多様な解釈、呼称の背景、因果の過程で防げたのでは?というタラレバは、今だから言えるのですね。歴史の事実を詳細に辿り直すことで、見えてくる実情がありました。 一部分を切り取って、善・悪や加害・被害の二項立ての議論は不毛ですね。人の歴史観・価値観で受け止めが大分違います。著者が直接アジア諸国を訪ね、あの戦争の捉え方がまちまちである説明は、とても説得力がありました。 歴史の事実は変えようがありません。反省しても過去は変わりません。けれども、私たち次第で未来は変えられるのですね。 少なくとも、偏った思考での断定的な主張は避けるべきですね。戦争の本質が余りにも深いので…。自分事として想像し見つめ直す、それが今や未来に生きていくのだと思えました。 なんか難しそう…という心配を、エイヤッ!と一歩踏み出し読み始めてみると、きっと新発見があるでしょう。
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