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〈責任〉の生成 中動態と当事者研究
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新曜社 |
| 発売年月日 | 2020/11/22 |
| JAN | 9784788516908 |
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〈責任〉の生成
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商品レビュー
4.4
43件のお客様レビュー
「自分を変えるぞ!」 そんなふうに意気込んだときほど、かなしいかな、挫折して落ち込むことが多い。 「またダメだった……」「自分はなんて甘いんだ……」「なにをやってもダメなんじゃないか……」 自分の"意思”のよわさを嘆いては、その痛みが忘れたころに、「今度こそは変わ...
「自分を変えるぞ!」 そんなふうに意気込んだときほど、かなしいかな、挫折して落ち込むことが多い。 「またダメだった……」「自分はなんて甘いんだ……」「なにをやってもダメなんじゃないか……」 自分の"意思”のよわさを嘆いては、その痛みが忘れたころに、「今度こそは変わるぞ!」と鼻息を荒くする。そしてまたまた挫折し「はぁ、いよいよ自分はダメ人間だ……」と嘆く日々。 まさにカンフル剤を注入しては、躁と鬱を繰り返すようなループに陥っていた。 この本を読んで、分かった。なぜ私は悪循環にはまったのか。 それはきっと“意志”に関係している。 『責任の生成』では、意志を否定する。 なぜならそれは「過去の切断」にほかならないからだ。けれども当然ながら、過去を切断することなど、できやしない。にもかかわらず「過去の切断」つまり「意志」を持ち出すことで、さまざまな不具合がうまれてくる。(以上、わたしの理解なので、解釈がまちがっていたら申し訳ないです) この本にはさまざまなキーワードが出てくる。免責、当事者研究、応答としての責任など。 なんだろう、哲学のお話で難しい内容も多いのですが、私はものすごく腑に落ちた。 これまで300冊以上、自己啓発書を読んできたけど、そこで回収できなかったモヤモヤを、この本が丁寧に言語化してくれた感がある。 うんうん、と、読みながら何度もうなづいた。 この本は、國分功一郎さんのご著書『中動態の世界』を対談形式で解説した一冊である。先述のとおり、内容はけっこう難しいのだが、具体例も多く、対談形式での説明が非常にわかりやすく、すっと頭に入ってくる。 素晴らしい一冊だと思う。 『中動態の世界』がすこし難しいので、その内容を噛みくだいて理解したかったり、さらに深く考えてみたい人には、超オススメの一冊である。
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「中動態」という動詞の態が古代ギリシャ語などかつての言語に存在した。能動態「する」と受動態「される」という二項対立ではなく、人や意志の力ではない何かに突き動かされて動く(というのはやや正確でないのかもしれないが、詳しくは本書第1章の「中動態の定義」pp.96~100を参照)、とい...
「中動態」という動詞の態が古代ギリシャ語などかつての言語に存在した。能動態「する」と受動態「される」という二項対立ではなく、人や意志の力ではない何かに突き動かされて動く(というのはやや正確でないのかもしれないが、詳しくは本書第1章の「中動態の定義」pp.96~100を参照)、という中動態の存在は、我々の行動に対する考え方を根本から見直す契機となる。この態の存在を教えてくれた國分功一郎氏の『中動態の世界―意志と責任の考古学』(医学書院、2017年)は、たいへん興味深い本だった。 さて、その國分氏と、『中動態の世界』から大きな示唆を受けたという熊谷晋一郎氏との討論・講義を収めたのがこの本。熊谷氏は自ら肢体不自由の障がいを持つ当事者であり、「当事者研究」を提起・推進する小児科医である。主に発達障害の当事者が、みずからの症状や行為の様態を研究するのが「当事者研究」。これに「中動態」というミディアム(媒体)を用いて「責任の生成」を考察するのが本書のテーマである。 「自分の意志でやったのか? そうではないのか?」と強く尋ねてくる言語を、「尋問する言語」と僕(國分)は呼んでいます。中動態が消滅した後に現れたのは、そのような言語だったのではないか。つまり、中動態の消滅と意志概念の勃興には平行性があるのではないかというのが僕の仮説なのです。」(p.104) 「責任」は尋問したり追及したりすることによってではなく、当事者が一度、自分の行為を完全に受け容れてから生まれるものだ。例えば、放火してしまった人間がその責任を感じるのは、刑罰を与えるとか反省を促すという他者からの働きかけや強制よりも、まず自らがその行為を「放火現象」として捉えるところから始まる、という。 当事者研究は、発達障害を持つ人だけでなく、あらゆる人がみずからの行為の原因や結果を考えるために応用できる方法であると思う。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
本書を読んで最も印象に残ったのは、「意志」と「覚悟」の違いである。一般的には意志は未来に向けた希望や方向性、覚悟はそれを実行するために引き受ける決意と理解されている。しかし著者はそうではなく、意志とはむしろ過去を切断し、未来を決めることで過去を見ない態度であると論じる。一方、覚悟は過去・現在・未来をすべて受け入れ、そのうえで選択する態度だという。この視点によって、私はこれまで当然のように使ってきた言葉の意味が揺さぶられた。 さらに責任という言葉についても、本来は自ら応答したことへの義務を意味していたのに、現代では非難や罰を与えるための口実にすり替えられていると指摘される。そのため人は「責任」という言葉に翻弄され、自分の痛みに応答できなくなる。忘れたい傷は自傷や依存といった行為へとつながるが、それは単なる弱さではなく、応答不能に追い込まれた構造の表れでもある。本書を通じて、自傷や依存を安易に断罪するのではなく、その背後にある「責任のすり替え」を見つめることの大切さを学んだ。 言葉の意味を問い直すことは、自分自身の態度や生き方を問い直すことでもある。本書は、意志・覚悟・責任といった身近な概念を新たな角度から見せてくれた。私は今後、軽々しく「責任」や「意志」という言葉を使うのではなく、それが誰を支え、誰を追い詰めるのかを意識しながら生きていきたい。
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