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余生と厭世
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 早川書房 |
| 発売年月日 | 2020/06/18 |
| JAN | 9784152099501 |
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余生と厭世
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商品レビュー
3.3
7件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
還暦となり定年を迎えた今月、ふと目にした本書。 タイトルの「余生」が気になったのと、帯にある精神科医の物語、装丁の絵の「リンゴ」が、カウンセリングを受けながら第二の人生を模索するギリシャ映画『林檎とポラロイド』を思い出させたから。 72歳の精神科医は、引退の日を指折り数えている。7百数回の診察を終えたら引退と、カウントダウンする日々。仕事がいやなくせして、毎日8人ほどきっちり患者を診ているあたりが、ルーティンを大切にする性分のようだ。逆に、それだけの、つまらない人間ということも見て取れる。 仕事をきっちりこなす秘書と、アガッツという若い女性の患者を中心に、老医師の日々が綴られていく。 老後、引退後の人生設計もないまま、この男は、どのように生に、いや死と向かい合うのだろうと、なんとも単調な日常を追いかける。 「老いとは言うなれば、人の自我と肉体との差が大きく大きく広がっていき、やがて全く異次元のものに成り果てるまでを見守ることなのだと。」 こうした一文が響くほどに、自分も齢をとったなと思う。本書は10年、20年前に読んでいたらきっと途中で放り出したに違いない。 「最近読んだ記事を思い出してしまった。その記事は、驚くほど多数の男性が、まさに年金生活に入り、ようやく手に入れた時間を味わおうとしたその時に、死んでしまうというものだった。」 そのうち、自分も同じようなことを思って、如何に人生のギアを切り替えるか、シフトアップが、シフトダウンか、思い悩む日がくるのだろう。他人事でない日々がページを繰らせる。 そこに若い患者であるアガッツの存在が、かすかな光となり老医師の人生を再び活力あるものにするかと期待もするが、そもそもこの医師、これまでもさほど生き生きと暮らしてきたわけでもなさそうだ。 それは、秘書の旦那で余命が幾ばくも無い癌患者であるトトとの会話からも分かる。 「私は人を愛したことがないのです」 「先生は恐らく人より楽な気持ちでしねますね」 「かもしれません」私は同意した。「だから生きるのが人より難しい」 そんな人生を送ってきたのだった。 だが、最後に、主人公は、他人にアップルケーキを作って贈ることに、小さな幸せを見出す、いや、そうとも気づいていないのかもしれない。が、行動に移す。近所の雑貨屋の若い娘に、「アップルケーキを作りたいのだ」と告げて材料を選んでもらい、手書きのレシピをうけとる。それを、アガッツに送るのかと思うが……。 秘書は、老医師が残りの治療回数をカウントダウンしているのにお構いなしに、旦那の葬儀を済ませて業務に復活すると、新たな患者の予約を受け付け、リストに加えていく。老医師の思いなどおかまいなしにだ。 でも、こうして、自分の好むと好まざるにかかわらず、人生というのは回って行くのかもしれない。 カフェのほうに向かってアガッツのひと言、「ご一緒しません」というひと言で幕を閉じるのも素敵だ。 齢をとるのも悪くない。また10年後、70を超えたら読み直してみよう。きっと違う感慨を抱けそうな気がする。
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- ネタバレ
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146ページ、ページ数が少ないと思っていたけど、例えと言い回しが難しく読み流しながら牛歩で進んでいたため5日間くらい跨いで読了。 残りの診察回数を数える先生、良くない想像を巡らしている内に、足を怪我した少女を見過ごしてしまう冒頭からこの物語は始まる。 新患のアガッツ、患者のマダム・アルメイダ、耳の聞こえない隣人、夫の病を機に休職をした事務のマダム・シューリューグ、夫であるトム、これら登場人物が先生の周りを取り巻いて環境は変化し、終盤にはマダム・シューリューグが病院に戻ってくる「本当に引退するつもりじゃありませんよね?」の一言に引退を引き留められる。アガッツにカフェに誘われ、この物語はハッピーエンドで締め括られている。 訳者の後書きにラブストーリーと書かれているけれど、実生活を混同してはいけないという先生の言動に対し態度が裏腹で人間の業を感じ、知識もある傍ら感情移入出来ないが、前提としてフィクションである事、年代から見るに規制も現代より緩い印象があり、諸々を鑑みるに内容を受け入れなければいけない。 厭世的な思想に共感、患者の話を苦しそうに聞き流しながら残りの診察回数を数えていた冒頭と、残りの診察回数を数えていなかった事に今その時気付いた終盤の、変化と描写の対比が綺麗だった。悲観的な人間は残りの回数を数えるが、情熱のある人間は1回1回を大切にしようという意識が見て取れる。 物語はアガッツの病気の回復を軸に進んでいないが、診察をする度にアガッツが元気(なように見えてくる)のは魔法か、それとも先生の見方が変化していったからだろうか?アガッツに自己を投影してしまうのは仕事上では危ない事だけど、諸々を省けば、余生を楽しむには丁度良い人なのだと思う。 【まとめ】 厭世観は生き方の姿勢の一つとしてあるが、使い方を間違えれば、安定感を一度得た人の中から生まれる、怠惰と依存の絡んだ防衛反応だと思う。 その場しのぎの言葉や態度をある程度覚えれば1日の活動はシステム化され、慣れると情熱(=モチベーション)は少しずつ失われてしまう。 モチベーションのない生活はどんどんと淡白に見えてくるが、満たされないものが積もっても、楽を覚えた人間の一部は変化に怯えて安定をとり、そこに依存するようになる。 怠惰な感情で考えず、必要な時にまわそうと仕込んでいた脳は必要な時にも働かず、人は知らず知らずの内に動かした防衛反応によりどんどんと腐っていく。 その様子は、いわば見落としがちな底なし沼のようでもあり、楽に縋る人間が厭世観という沼に順当にハマっていくんだろう。
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なんかいいなあ。しみじみ?この本の良さを表すのはどうすればいいんだ?退職を控えた精神科医72歳の日常。静かで地味。家族、友達いない。自分が歳とったら、かなり満足した毎日を送ることができるんだろうと漠然と考えていたけど全然そんなことねえな。むしろ思い通りにいくことの方が奇跡に近く、...
なんかいいなあ。しみじみ?この本の良さを表すのはどうすればいいんだ?退職を控えた精神科医72歳の日常。静かで地味。家族、友達いない。自分が歳とったら、かなり満足した毎日を送ることができるんだろうと漠然と考えていたけど全然そんなことねえな。むしろ思い通りにいくことの方が奇跡に近く、常に周囲に疲労させられる。日本はカウンセリングがあんまり浸透してないし、なかなか人目あって、自分の心に向かい合うことに敷居がある。不思議だよね、自分を労ることに何だか罪悪感があるんだ。まあ最後の最後、この医師は少し自分が見えた。
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