- 中古
- 店舗受取可
- 書籍
- 書籍
- 1215-02-08
NHK100分de名著ブックス 永遠平和のために カント 悪を克服する哲学
定価 ¥1,100
825円 定価より275円(25%)おトク
獲得ポイント7P
在庫わずか ご注文はお早めに
発送時期 1~5日以内に発送
店舗受取サービス対応商品【送料無料】
店舗到着予定:11/1(日)~11/6(金)
店舗受取サービス対応商品
店舗受取なら1点でも送料無料!
店舗到着予定
11/1(日)~11/6(金)
商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | NHK出版 |
| 発売年月日 | 2020/04/25 |
| JAN | 9784140818169 |
- 書籍
- 書籍
NHK100分de名著ブックス 永遠平和のために カント
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
値下げ前価格について
本価格は現中古販売価格の「値下げ前価格」となります。
直近約1か月間、値下げ前価格での販売実績があるものだけ表示しております。
NHK100分de名著ブックス 永遠平和のために カント
¥825
在庫わずか
ご注文はお早めに
商品レビュー
4.5
5件のお客様レビュー
戦争の本質と平和の獲得方法を深く考察する本作は、初学者にとって非常に理解しやすい解説が特徴です。カントが提唱する平和論は、単なる理想論にとどまらず、人間の暴力性を踏まえた現実的なアプローチを示しています。彼の視点は、法による政治のコントロールを重視し、世界国家の実現には懐疑的です。現在の国際情勢、特にロシアのウクライナ侵攻を背景に、平和のあり方を再考するための重要な一冊となっています。また、カントの時代とは異なる核兵器の存在についても考察が求められる中、歴史的背景や学問的系譜を踏まえた解説が、本文理解の助けとなるでしょう。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
「永遠平和のために」におけるカントの基本的な考え方、どうやって「永遠平和」にたどり着くのか、それらをわかりやすく解説している。本書では大変わかりやすく解説されており筆者(解説者)も「カントの代表的な著作の中で(「永遠平和のために」が)1番わかりやすい」と評しているが、それでも理解...
「永遠平和のために」におけるカントの基本的な考え方、どうやって「永遠平和」にたどり着くのか、それらをわかりやすく解説している。本書では大変わかりやすく解説されており筆者(解説者)も「カントの代表的な著作の中で(「永遠平和のために」が)1番わかりやすい」と評しているが、それでも理解が難しい部分があり、原著の難易度が推察される。個人的には「殺人犯に追われる友のために嘘をつくべきか」という問いに対するカントの意見(とその理由)、「人間とは本質的に悪であるが、しかしそれ故に法を守らずにはいられない」としている点が大変おもしろかった。 先述の通り理解が不十分な点があるので、折に触れて読み返したい。
Posted by 
哲学書など読んだことのない私が読んでみた。 本書の「はじめに」では、インターネットが軍事目的で開発され民間に転用された例として(しかも当然誰もが知っている事実であるかのように)挙げられているのが、まずとても引っかかる。Wikipediaを見ると、1994年7月の米タイム誌の記事...
哲学書など読んだことのない私が読んでみた。 本書の「はじめに」では、インターネットが軍事目的で開発され民間に転用された例として(しかも当然誰もが知っている事実であるかのように)挙げられているのが、まずとても引っかかる。Wikipediaを見ると、1994年7月の米タイム誌の記事が俗説・流言として(騒ぎたがる一部のネット住民の間には)広まってしまっているらしい。この文章が「煽り」でないことを期待したいところだが。 本書全体の感想としては、カントの考え方の部分部分の論をわかりやすく説明していると感じる一方、それら各論が順序だてられていない印象がある。これはカントの原著の記述の順序に従って説明するせいかもしれないが。内容の繰り返しや後戻りがあったり、現代の教育を受けた者にとっては、至極当たり前な常識的内容にも字数を割いていると感じた部分もあった。その結果、読み進めるに当たって、いくつもの部分部分の理解を、整理し、まとめて理解するのが難しく感じた。 本書のカント哲学で画期的かもしれないと思うのは、 1. 人間は戦争を避けられないという本性を認めたことと、 2. 人間の性質に共通する正しい道徳が存在すると認めたこと、 3. 人が従うべき道徳を、「形式」的な(条件を付けないそぎ落とした形の)道徳と定義したこと、 だろう。 1. は否定したくても、歴史を見ると否定できない。このように割り切って考えることで平和論が進められる。 2. はほんの少しの項目にはあてはまると思う。殺人の忌避と嘘の忌避だけかも。しかしそれ以外の、意見が分かれる項目が多すぎるのではないか。 3. 大胆に割り切った考え方だと感心した。この前提があることで平和論が進められる。 文化を共有する集団は、国家でなく民族と呼ぶべきもののはず。そして異なる民族が同じ国家に属しながら抑圧されている民族集団が多数ある。多くの国の数えきれないほどの国家内少数民族、大きい民族集団にも中国内のウイグル族、チベット族、モンゴル族。逆に民族が別々の国家により(非公式に)望まずして分断されている例がある。モンゴルと中国の内モンゴル自治区。 カントの考える国家は民族集団と重なって論じられているので、現実の国家と民族の対立問題を考えると、カントの平和には非常に重要な考察すべき問題、もっと言えば哲学すべき問題が残されていると思う。そうはいってもこの問題は平和論にまとめるのではなく、独立して考察せざるを得ないほど難しすぎる問題なのかもしれない。 特に21世紀の現実世界になってからというもの、カントの哲学を当てはめられてはいられないような事象があふれてしまっている。 カントの原著を読まずに本書を読んだだけで言うべき言葉ではないかもしれないが、私の未熟な印象としては、カントの哲学が著者が言うように理想論ではないにしても、まだ理想的な事柄に立脚しているように思わざるを得ない。すなわち、カントの努力目標である、人間が本来持っているはずの「自然」の(善の)道徳、「誰もが正しいと認める普遍化」された道徳に沿った国際法の策定は、期待や希望にはなりえても、それが実際の現実世界へと発現させることができるのか。 本書である程度具体的に述べられている「自分だけは法の適用をまぬかれられる」ことのない国際法の策定の実現を考えてみると、例えば国連憲章やいくつもの(大国が加わろうとしない)国際法や、戦争回避・難民救済・核兵器廃絶のような相当な程度で普遍化された(と私が思う)道徳に対して、悪意を持つ為政者は、そもそも知っていながら知らないふりをする、もっと言えば、もっともらしい理屈をつけてこれを平気で無視している人(国家)が多数いることに、どう対応すればいいのか。カントは努力目標を掲げるだけで、結局、ある程度具体性のあるような問題の解決手段は示せておらず、実現の道筋も見えてこないというのが正直な感想だ。 私のこの感想からは、カント哲学が未熟だと考えることもできるが、ただカントが期待するような永遠平和のための「国際法」の成立に必要な時間がまだ経過していないだけなのだ、つまり世界はまだまだ未熟で徐々に良くなるはずなのだ、と考えられるのかもしれない。しかし後者が正しいとすると、いまだはるか遠くにあるカントの哲学と、現実とを埋める別の哲学が必要になってくるのではないかと思う。
Posted by 
カントのパブリックイメージは『理想主義者』であるが、本書ではそれを覆すように現実主義的な側面が強調されている。『永遠平和のために』は、1795年というフランス革命の直後、『ヨーロッパにおいて近代的な国民国家の原型がつくられつつあった時代』に出版された。著者は『ものごとの根本にまで...
カントのパブリックイメージは『理想主義者』であるが、本書ではそれを覆すように現実主義的な側面が強調されている。『永遠平和のために』は、1795年というフランス革命の直後、『ヨーロッパにおいて近代的な国民国家の原型がつくられつつあった時代』に出版された。著者は『ものごとの根本にまでさかのぼって戦争と平和の問題を考えるため』の格好の素材だと主張する。 本書のカントは「人間の本性は邪悪で放っておけば戦争をはじめてしまうものだ」という前提から『平和状態は新たに創出すべきもの』として論を組み立てる。人間が平和を追求する動機として、カントの言葉では『自然』、要するに人間の利己心や自己保存の欲求を基礎に置くというのはやけに現実的であり、意外の感がある。人間自体が道徳的にならずとも、平和状態に合意することが最適解となる状況を想定しているのだ。カントはその道理を『求められているのは、人間を道徳的に改善することではなく、自然のメカニズムを機能させること』と説明し、『悪魔たちであっても、知性さえそなえていれば国家を樹立できるのだ』と極端な言葉で表現する。例えば国家間の関係においても、『商業の精神』=『利益追求』という『自然』によって『結果的に戦争を抑止し、平和を強固にする』ことができるのである。すぐに想像されるように、食料自給率の低い我が国にとって、相互依存による平和状態の維持こそが、生存戦略そのものである。スケールダウンして考えても、自分たちが住む街で安心して買い物をするためには、住人たちが法律を守るべきだというのは分かりやすい話である。しかしカントの議論には、『知性』の化身のようなその人には想像しにくかったと思われる、大きな落とし穴がある。その前提条件は、人々がそれなりに『知性』を有し、少なくとも損得勘定は可能なことである。現代日本にかぎって考えても、様々な犯罪行為は極めてコスパが悪いという意味で愚行でしかないが、現実にはそれが横行しているではないか。『知性』を期待できない人々が現にいる世界に、我々は生きている。 一方で、安易な『世界国家』という考え方、つまり『戦争するのは国家だから、戦争をなくすためには国家をなくすべきだ』という発想は否定される。カントの考える平和にとって、『国民主権にもとづく国家』においてこそ確立される『法』は必須であるので、個別の『国家』は大前提なのである。加えてカントは、『世界国家』をより積極的に否定する理由を二つ挙げる。(1)それは『諸民族』がそれぞれ『法的な体制』を備えた『国家』として『並存している状況』を無視したものであり、『帝国主義による他国の併合と変わらない』。(2)実現したとしても、統治の範囲が広がりすぎるため『法』は威力を失い『専制政治』や『無政府状態』に陥る。著者は、日本の知識人層には『世界国家』のような短絡的な考えもあるとして『カントの議論をつうじてみずからの思想的な思い込みを洗い出すのも、カントを読むことの価値の一つ』だと指摘する。明言こそされないが、念頭に置かれているのはマルクス主義の系統の理想論だろう。 カントは『世界共和国という積極的な理念の代用』である『消極的な理念』として『たえず拡大しつづける持続的な連合』=『国際的な連合』を提唱し、それが『戦争を防ぎ、法を嫌う好戦的な傾向の流れを抑制する』と述べる。これは歴史哲学というものが実際の歴史に先駆けた希少な例ではないだろうか。 最終的には、本書の政治哲学の『哲学的な基盤』において、やはりカントらしく『真の政治は道徳に服さなければならない』と説かれることになる。その『道徳』とはつまり『普遍化への要請』を意味する『定言命法』であり、人間は『道徳に対して無関心』ではいられないと主張される。そこにはパブリックイメージどおりの『理想主義者』カントの姿が見える。 本筋の議論ではないが、カントは、政治家・法律家が『哲学者に助言を求めることは、きわめて望ましい』と主張し、その一方で『国家』が『臣下である哲学者に助言を求めること』は『威厳に傷をつけるもの』であるから『秘密条項』ということにする。私はここにカントの哲学者びいきを見た思いがして、少し微笑ましい気持ちになった。あるいはそれは、自説の主張と権力への忖度との折衷案、苦肉の策であるのかもしれない。 本書は引用も豊富であり、著者の「正確な理解を届けよう」という誠意を感じる記述が多い。そんな著者だからなのか、デリダの『歓待』解釈について『そうした牽強付会が許されるなら、そもそも哲学の古典を援用すること自体が意味をなさなくなってしまいます』と厳しく批判しており、「やはりデリダあたりの古典解釈はプロから見ても我田引水なんだな」などと、素人のようなことを感じてしまった。
Posted by 
