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悪について ちくま学芸文庫
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悪について ちくま学芸文庫

エーリッヒ・フロム(著者), 渡会圭子(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 筑摩書房
発売年月日 2018/01/01
JAN 9784480098412
関連ワードエーリッヒ・フロム / 渡会圭子 / 教養・雑学(文庫)

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商品レビュー

4.1

20件のお客様レビュー

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2025/09/14

メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1967220992541167921?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

Posted by ブクログ

2025/07/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

個人的には、『愛するということ』よりもこちらの方が好きである。『自由からの逃走』を読んでいると内容がすっと入ってくることだろう。 著者は別になるが『死に至る病』も併せて読んでほしい。 以下本文の引用 (1)悪は人間独特の現象である ~中略~ 悪とは、ヒューマニズムの重荷から逃れようとする悲劇的な試みのなかで、自分を失うことである。 善とは、私達が設定した人間のタイプに近づくための手段になると、私たちがよく知っているものを意味する。アクトは、そのタイプに近づくのを邪魔するとよく知っているを意味する。 (2)悪の程度は、同時に退行の程度もある。最大の悪は生と反対に向かおうとすることである。 (3)もっと程度の低い悪も存在し、退行の程度もsれに合わせて低くなる。 (4)善であり同時に悪でもあるという傾向を持つ。両方への傾きのバランスがある程度取れていれば、彼は選ぶ自由を持つ。~中略~最初の決定のときにその重要性に気づいていれば、善へとつながる選択の自由があったかも知れない。 (5)人間は自分の行動を選ぶ自由がある限りにおいて、それに対する責任がある。 (6)人の心はかたくなになりうる。 本当に、私たちは善を選ぶために自覚しなければならない。 以下チャッピーのまとめ 1. 悪は人間性の歪みから生じる フロムは、悪を「生まれつきのもの」とせず、「人間の発達の過程で形成されるもの」と考えます。 特に自己疎外(自分自身とのつながりを失うこと)や自由の不安から逃れる過程で、破壊的傾向が生まれるとします。 2. 悪にはタイプがある フロムは「死の情熱(ネクロフィリア)」と「生の情熱(バイオフィリア)」という概念で、人間の傾向を分類。 悪は「死の情熱」によって生まれる破壊・支配・機械的なものへの偏愛から生まれる。 3. サディズムとマゾヒズム 他者を支配したい(サディズム)や、自分を無にして従属したい(マゾヒズム)という傾向は、共に悪の現れ。 これらも自己疎外から生まれ、自分自身の存在を感じるための代償的な手段とされる。 4. 社会的構造も悪を育む 個人の悪は、社会・経済・文化的背景と切り離せない。 権威主義的な社会や疎外を生む資本主義のあり方が、悪の温床になることもある。 5. 善は「生きる力」に根ざす 善とは、創造性や愛、成長への志向であり、自己実現と他者との真のつながりを求める「生の情熱」から生まれる。 フロムは、人間には「善の可能性」も「悪の可能性」も備わっており、どちらが育つかは環境と選択によるとします。

Posted by ブクログ

2025/06/01

フロムのいう「悪」とは、人間の中にある「生を否定し、破壊を愛する力」のこと。それは性格・社会構造・疎外の中から生じてくるものだとして、其々の内容が本書で述べられている。私たちが日常感じる「悪意」や「悪事」とは。最近読んだ『暴力の人類史』からは、明確にそれが〝他者からの略奪“に関わ...

フロムのいう「悪」とは、人間の中にある「生を否定し、破壊を愛する力」のこと。それは性格・社会構造・疎外の中から生じてくるものだとして、其々の内容が本書で述べられている。私たちが日常感じる「悪意」や「悪事」とは。最近読んだ『暴力の人類史』からは、明確にそれが〝他者からの略奪“に関わるものだと感じ、その答え合わせのような読書をするつもりだった。 野生動物には「悪意」が存在するか。フロムは、動物の攻撃性は捕食や防衛による本能的かつ限定的である一方、人間の攻撃性は「過剰」で「理不尽」であると述べる。人間だけが〝快楽的“に他者を苦しめる破壊性を持っているとする。 悪は快楽なのか。 フロムは、この破壊性を「攻撃性」に置換、防衛的攻撃性と悪意的攻撃性に分ける。悪意的攻撃。確かに、悪意が悪事に変わる時、その表現方法は〝攻撃“に相当するはずだ。暴力、征服、支配、虐待、虐め、意地悪、怨恨、嫉妬などからくる嫌がらせ、無視、差別、何たらマウントなど、全ての攻撃性。これが人間に特有だという。この、悪意的攻撃性こそが、「悪」という問題の核心だ。 いや、そこに微かに感じ取るシャーデンフロイデのような気持ち良さという、下劣な感情。あなたは我が身の可愛さに他者を見下し、モノ化して快楽を得ている。これは全く!愛と真逆なアンビバレントなプリインストール。 だから、悪を克服するには、愛・創造・理性・自由という人間の本質的可能性を育てることが不可欠である。人格化と悪魔化の対立。擬人化に対し、擬物化とも言える。序列によらず他者が人間であることを再評価する事こそ愛。物やペットですら、擬人化する事で愛着が生まれるのだ。 つまり擬物化は、格下げ、復讐でもある。ネットゲームで知り合った相手を脱人格化し、ボットのように簡単にブロックしたり無視し、適当にあしらい擬物化することでせいせいするのだ。 フロムはそこからサディズムやネクロフィリア的性格(死への執着)を例に、人間の性格構造にまで踏み込んでいく。ファシズムや権威主義とも密接に関わっていることを証明していく。 しかし、救いがあるとすれば、悪は愛の成立要件になり得るということ。人間が悪に打ち克つために、「理性」と「愛」があって、これはバイキンマンの存在がアンパンマンを成り立たせる関係性に近い。愛だけでも生きられるが、悪との対比ではじめて、その尊さが知覚され、プリインストールされた物語を上書きするに足る「人間好みの抑揚あるドラマ」が生まれるのだから。…やや露悪的な言い回しだが。

Posted by ブクログ