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絶歌 神戸連続児童殺傷事件
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 太田出版 |
発売年月日 | 2015/06/28 |
JAN | 9784778314507 |
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絶歌
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商品レビュー
2.9
161件のお客様レビュー
この本を読む人は何が目的かによって評価が変わる本。 私は事件の真相や当人らの心理が知りたかったため、「絶歌」には星5をつけるとする。 この事件の異質な点は事件そのものなことはもちろん。 加害者、加害者両親、被害者2人と事件関係者全員が本を出版したこともあると思う。 犯行時の詳...
この本を読む人は何が目的かによって評価が変わる本。 私は事件の真相や当人らの心理が知りたかったため、「絶歌」には星5をつけるとする。 この事件の異質な点は事件そのものなことはもちろん。 加害者、加害者両親、被害者2人と事件関係者全員が本を出版したこともあると思う。 犯行時の詳細についてはこと細かく記されている。 犯行の動機については執筆時に後付けしたような印象あり。 独自のネーミングセンスや言葉選びには、いわゆる中二病とも言われるような幼さが残っている。 読んだ本や観た映画からの影響か? 内容としては 1.犯行に至るまでのこと 2.捕まったあとのこと 3.更生に向けてのこと に分けられる。特に3が多い。
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少年Aはすごく、すごく、自分とは異なる感覚を持っている人だった。批判ではなく、事実として。 私が感じることができない「命」を敏感に感じ取っていたのだろうと思う。 朝井リョウの正欲では、マジョリティになれないものは異質なものとして排除されるという描写があった。もう、少年Aにっても、...
少年Aはすごく、すごく、自分とは異なる感覚を持っている人だった。批判ではなく、事実として。 私が感じることができない「命」を敏感に感じ取っていたのだろうと思う。 朝井リョウの正欲では、マジョリティになれないものは異質なものとして排除されるという描写があった。もう、少年Aにっても、もちろん被害者や遺族にとっても、どうしようもなく不運だったのではないかと思う。 この本は星評価をつけられない。(恐らくゴーストライターなどではないとして)ノンフィクションで自分とここまで異なる世界が、人生があることを知れて良かったと思うが、本の内容や背景は読んでいて辛い。
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今度は、加害者本人の手記だ。 一貫して言えるのは、加害者は、何か自分が何故このような犯行を犯してしまったのか、色々と理由を付けようとしているように思った。理由は一つや二つであるはずもなく、また、本人も気付かない理由もあるだろうし、なんだか第三者的になりすぎている気がした。淳くんと...
今度は、加害者本人の手記だ。 一貫して言えるのは、加害者は、何か自分が何故このような犯行を犯してしまったのか、色々と理由を付けようとしているように思った。理由は一つや二つであるはずもなく、また、本人も気付かない理由もあるだろうし、なんだか第三者的になりすぎている気がした。淳くんとの関係、淳くんへの想いも、全く理解ができなかった。なぜ、自分のことを無垢に認めてくれている淳くんを殴りたい気持ちになったのか、殺害したいと思ったのか。わからない。自分がインテリであるかのように、言葉をいろいろと使い分け、客観視したような言葉に、ものすごく違和感を感じざるを得ない。 加害者は言う。 淳君の無垢な瞳が愛おしかった。でも同時に、その綺麗な瞳に映り込む醜く汚らわしい自分が、殺したいほど憎かった。淳君の姿に反射する自分自身への憎しみと恐怖。僕は、淳君に映る自分を殺したかったのではないかと思う。真っ白な淳君の中に、僕は”黒い自分”を投影していた。 「抱きしめたい気持ち」の白い縦系。 「無茶苦茶にしたい気持ち」の黒い横糸。 その白黒の糸を通した二本の針が、僕の心を交互に突き刺し、隙間なくぎっちりと縫い塞いだ。 淳君の瞳が映し出す醜い自分を消し去り、綺麗な淳君を自分のそばに引き留めたい。 この二年後、僕は淳君と自分自身を、タンク山で同時に絞め殺してしまった。と。 ただ、途中、加害者の叔母の話が出た時、何か論調が変わった。何か、加害者の心に普通の人間の心が現れたというか、何か違う感じがした。加害者をきちんと更生するにはこの叔母の力が必要なのではないかと思った。 また、本書では母親のことを好きだと言っているが、額面通りにそう理解していいかは少し疑問に思った。 また、加害者は言う 現代はコミュニケーション至上主義社会だ。なんでもかんでもコミュニケーション、1にコミュニケーション2にコミュニケーション、3。4がなくて5にコミュニケーション、猫も杓子もコミュニケーション。まさに「コミュニケーション戦争の時代」である。これは大袈裟な話ではなく、今この日本社会でコミュニケーション能力のない人間に生きる権利は認められない。人と繋がることができない人間は、人間”とは見做されない。コミュニケーション能力を持たずに社会に出て行くことは、銃弾が飛び交う戦場に丸腰の素っ裸で放り出されるようなものだ。誰もがこのコミュニケーションの戦場で、自分の生存圏を獲得することに躍起になっている。「障害」や「能力のなさ」など考慮する者はいない。 これは、正鵠を得ていると思う。コミュニケーション障害とか言うが、そういうことが苦手な人もおり、また、病気ということもある。それを知らずに、コミュニケーションを取れ!と声高に言うことは、暴力とも言える。気をつけなければならない 本書の前半と後半は別の人が書いたのだろうかと思うぐらい、その文章の表現が違って見えた。前半は、すごく第三者的で、評論家的で、なんとも言えない内容だ。後半にいくに従い、文章は心から出ているかと思うような内容になっていく。それが、本当かどうかは本人以外は分からない。だって、そう自分を隠すことが上手な加害者だったのだろうから。鵜呑みにすることはできないものの、なんとなくいままで生きてきた心情はわかった。ただ、やはり、本書では、自分のことをわかってほしい、苦しんでいます、といっているようで、また、なぜ、人を殺すことがダメなのかと言う問いに、自分自身も苦しみますよと、被害者のことを考えていないセリフが出るので、自分本位なのだなと思ってしまう。だから、今後は、もっと自分のことではなく、被害に遭われた方のことを、もっともっと考えていくことが必要だと思った。
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