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人はみな妄想する ジャック・ラカンと鑑別診断の思想
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 青土社 |
| 発売年月日 | 2015/04/24 |
| JAN | 9784791768585 |

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商品レビュー
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11件のお客様レビュー
精神分析の鑑別診断をテーマに、ジャック・ラカンの思想の変遷を詳細に解説した本書は、難解な理論を明快に伝えることに成功しています。フロイトの基本概念から始まり、ラカンの理論がどのように発展していったのかを追いながら、特に「享楽」や「父の名」に関する考察が深く掘り下げられています。専門用語が頻出しますが、それぞれ丁寧に説明されており、読み進めることで理解が深まる構成になっています。さらに、ドゥルーズ=ガタリやデリダとの関連性も考察され、現代思想との交差点を明らかにすることで、精神分析の枠を超えた視点を提供しています。全体を通して、臨床現場や社会的文脈における問題提起も含まれており、単なる理論書に留まらない深い洞察が得られる一冊です。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
ラカンは、ヤスパースの『精神病理学総論』を嚆矢として形成された鑑別診断論を受け入れて、神経症と精神病を明確に区別しました。その区別は、たんなる症状の観察にもとづくのではなく、ラカン独自の構造論にもとづくものでしたが、ラカン自身の理論の変遷にともなって、神経症と精神病の区別にかんす...
ラカンは、ヤスパースの『精神病理学総論』を嚆矢として形成された鑑別診断論を受け入れて、神経症と精神病を明確に区別しました。その区別は、たんなる症状の観察にもとづくのではなく、ラカン独自の構造論にもとづくものでしたが、ラカン自身の理論の変遷にともなって、神経症と精神病の区別にかんする考えかたも移り変わっていきました。本書は、そうしたラカンの思想の変遷をたどることで、彼の思想を見通すことのできる足場を確保する試みということができるように思います。 1950年代のラカンは、「父の名」のシニフィアンを欠いているかどうかという観点から、神経症と精神病を区別します。神経症においては、「父の名」にもとづく抑圧が成立するのに対し、精神病では否認されることのないままのシニフィアンが直接現実界に出現します。とくにラカンは、ヤスパースの「過程」の概念を継承しており、精神病において排除されたシニフィアンが現実界に解き放たれることとして解釈しました。 1960年代以降、ラカンの理論から「父の名」の役割はやや後退し、複数化されることで、任意のシニフィアンがファルスの帰納を果たすことができると考えられるようになります。そこで「父の名」に代わって鑑別判定の手がかりとして位置づけられたのが、「物」の侵入に対する防衛のありかたのちがいです。現実界からの「物」の侵入は、かつてありえたはずの享楽をわれわれにもたらしますが、象徴界の住人であるわれわれはシニフィアンの連鎖に入り込んでいくことで、享楽の喪失と引き換えに主体を確立します。強迫神経症はこの分離の操作に執着して反復がなされ、また精神病ではシニフィアンの連鎖に入ることなく「ただひとつのシニフィアン」の出現によって幻覚が生じます。 このような理論の変化をたどったラカンは、シニフィアンと享楽の関係がわれわれにとって根源的であるという点で、「人はみな妄想する」という立場にたちつつ、鑑別の再定式化をおこなうとともに、こうした理論にもとづく治癒可能性を追求しました。
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精神分析が取り組む「鑑別診断」を中心テーマとして扱いながら、ジャック・ラカンの理論がどのように移り変わっていったかを詳細かつ明快に記述しており網羅的。専門用語や精神病に関する概念が頻出するのだが、ひとつひとつの用語を精細に説明してから話を進めていくため、読み込むほどに理解が深まる...
精神分析が取り組む「鑑別診断」を中心テーマとして扱いながら、ジャック・ラカンの理論がどのように移り変わっていったかを詳細かつ明快に記述しており網羅的。専門用語や精神病に関する概念が頻出するのだが、ひとつひとつの用語を精細に説明してから話を進めていくため、読み込むほどに理解が深まるよう出来ている。さらに一度説明した内容を言い方を変えてかいつまんで語りなおしてもくれるのも親切。それでも途中で何度かくじけそうになったのは、そもそものラカンによる理論が難解な上、時期によってたびたび更新されていくからで、事前に何冊か入門書(この本もまたラカンの理論を説明する手引きのようなものなのだが)を読んでいたから何とかなったものの、知識ゼロの状態から読んでいたら挫折していたと思う。下準備って大事だ。 本書の白眉はラカンによる難解な理論の明快な解説に留まらない。第三部「鑑別診断「以後」の思想」では、ドゥルーズ=ガタリとデリダという現代思想の大御所がどのように理論を受け取り、批判的な目を向け、各々の理論の差異と「交差」を考慮している点にあるだろう。当時起きた論争は対立軸となっただけでなく、お互いの理論を深める役割を果たし、実のところ根本では接続する箇所がいくつもあったことが明らかにされる。この点で本書は、現代思想と精神分析の流れを整理する面も持っており全体の把握に役立った(ただし50ページと短いので別の現代思想家なんかを加えてもっと詳細を知りたい、がそれは本書の趣旨から外れるのだろう)。 本書はラカンによる精神分析についての研究書であり解説書である。その目的は、理論を広く伝えることによって、投薬中心となることで精緻な鑑別診断がないがしろにされている臨床の現場と資本の専制への問題提起であり、引いては社会と経済と人間についての問いかけともなっている。
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ジャック・ラカンについて書かれた書籍は多くある。解説書といえる本もある。 本書は、神経症と精神病の鑑別診断に的を絞りつつ、ドゥルーズ=ガタリやデリダとの対立点につなげていく。ただドゥルーズ=ガタリやデリダによるラカン批判についての文章は、本書のラスト50ページほどなので肩透かし...
ジャック・ラカンについて書かれた書籍は多くある。解説書といえる本もある。 本書は、神経症と精神病の鑑別診断に的を絞りつつ、ドゥルーズ=ガタリやデリダとの対立点につなげていく。ただドゥルーズ=ガタリやデリダによるラカン批判についての文章は、本書のラスト50ページほどなので肩透かし感はある。 メインは50年代から晩年までのラカンの変遷を追い、それらを明晰に整理する手腕だろう。章が変わるたびに、それまでの議論を整理しつつ次の章の結論を先回りして予告する丁寧さにも、わかりやすさへの意識が見える。 個人的にはラカンのわかりにくさは、ラカンが勝手に作った用語と思考の変遷がコロコロ変わりすぎる部分だと思う。後者に関しては本書のテーマではあるので明晰になっている。が、前者に対しては予習が必要だろう。 ただ、著者が最初に書いてあるとおり、いまさらラカンを説明したところでどうするのか?という疑問はあるかもしれない。いちおう、最後には現代のメンタルヘルスやDSM批判として使えるのでは…具体的に書かれるが、どこまで現実的なのかは不明。
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