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「聴く」ことの力 臨床哲学試論 ちくま学芸文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
| 発売年月日 | 2015/04/01 |
| JAN | 9784480096685 |
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「聴く」ことの力
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商品レビュー
3.8
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※このレビューにはネタバレを含みます
祈るように聴く テクストだけでなくテクスチュア 大きなミットで言葉を受け入れる 口に出せない苦しみを 言葉にして排出すること __________ 「小林秀雄は、本居宣長にふれた小さな文章のなかで、「考える」といういとなみについて、つぎのように書いていた。 彼の説によれば、「かんがふ」は、「かむかふ」の音便で、もともと、むかえるという言葉なのである。「かれとこれとを、比校へて思ひめぐらす意」と解する。それなら、私が物を考える基本的な形では、「私」と「物」とが「あひむかふ」という意になろう。「むかふ」の「む」は身であり、「かふ」は交うであると解していいなら、考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。」 「直観」はものそのものにじかに触れること、つまりものの内側からそれを知ることである。これに対立するのは、実在を記号に翻訳する操作としての「分析」である。「分析」は、ものの影についての知、ものとものとの関係をめぐる知、つまりは外からの認識にすぎない。 シェレールによれば、ホスピタリティとは、〈客〉を迎え入れる者をその同一性から逸脱させるものであった。〈客〉をではない、あくまで〈客〉を迎え入れる者を、である。〈客〉を迎え入れるというのは、〈客〉をおのれに同化することではなく、逆におのれ自身をよそよそしいものへと異他化することである。これをいいかえれば、ホスピタリティは同一性への固執、つまり何かへの帰属へのこだわりを棄てるところにこそ成り立つということである。 受動性もしくは受容性こそが、ホスピタリティの核にある ヴェイユに言わせれば、思考しうるということ、ことばをもつことそのことはすでに一つの救い、あるいは恵まれた特権のうちにあるということなのだろう。 ことばが大きなミットで受けとめられる、迎え入れられるという、あらかじめの確信がないところでは、ひとはことばを相手に預けないものだからである。 まるで祈りのようにして向けられる《注意》、他者のことばを「待つ」この行為、他者から発せられた微かな声を声が消えたあとも慈しむこの行為が、ひとつの明確なイメージとして結晶しているような場面を、文章で読んだことがある。「パック」と呼ばれる精神療法である。 ことばが触れる、ことばが届くというのは、まさにこうした距離を前提とした接触のことなのである。異質なものの接触(体温がちがう、肌理がちがう)は、分離を前提とするのである。が、「ふれる」ことはその分離を破壊してしまうようなところがある。音響浴のような始元の体験へと帰ろうとして、自己自身を溶解もしくは散乱させてしまうのだ。 語りにはテクスト( =語られた言葉、つまり言表内容)だけでなく、テクスチュア( =語る言葉、つまり言葉のきめ)があると言える。だれかの声にはそのひとに特有の肌理があるのであって、くりかえしそれに触れているうちに、そのひとの存在はほとんど〈声〉に還元されていると言っていいほどになる。 「人には、自分がだれかから見られているということを意識することによってはじめて、自分の行動をなしうるというところがある」、と発達心理学者の浜田寿美男も書いている。 人間を交換可能なものとみなすこと、それこそ「根源的な不敬」であるとレヴィナスは言い切る。 だれかに「待たれる」という受動性がここでひとをかろうじて支える。 他人が口にふくんだものの味わいは、想像力をはたらかせないとなかなか共有できない。おいしそうにしているとは分かっても、その味や触感は各人がその身体の奥深くでじっくり味わうものなので、傍からはなかなか分からない。想像力をはたらかせなければならないのだ。他者の思いへの思い、そういう想像力は食事の席でしばしばもっとも深く培われる。こういう経験を小さいころに充分にしておかないと、いや日々していないと、他人を思いやるという濃やかな気持ちが乏しくなる。そして、他人の思いへの思いとは、他者の(セルフ)ケアのケアという、あのケアの構造を思い起こさせる。お茶をいただくという例から始めたのは、偶然ではなかったのである。
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この本を手に取るにはいささか不勉強なままであることが堪えたけれども、途中に引用される文章などでなんとか理解できる部分もあり、読み切ることができた。 とはいえ私にはもう1.2段階ぐらい手前の導入編から入らないと、話の次元が高くてついていけないと思ってしまった…。 かつて哲学者になり...
この本を手に取るにはいささか不勉強なままであることが堪えたけれども、途中に引用される文章などでなんとか理解できる部分もあり、読み切ることができた。 とはいえ私にはもう1.2段階ぐらい手前の導入編から入らないと、話の次元が高くてついていけないと思ってしまった…。 かつて哲学者になりたいと思っていたあの頃の私に叩きつけてやりたい。
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聴くというよりも、臨床哲学、もしくはホスピタリティやケア、または人と人との接触というか関係性について メルロ=ポンティの引用などところどころ難しいながらも、とても鋭い視点で、とても考えさせられるような部分がたくさんあるように感じた。
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