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「なぜ?」がわかる世界史 前近代 古代-宗教改革
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「なぜ?」がわかる世界史 前近代 古代-宗教改革

浅野典夫【著】

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「なぜ?」がわかる世界史 前近代 古代-宗教改革

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 学研教育出版/学研マーケティング
発売年月日 2012/05/24
JAN 9784053033802

「なぜ?」がわかる世界史 前近代

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商品レビュー

3

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2018/04/21

よく練られた構成で非常に興味を持って読み進められた。今までなんとなくしか知らなかった歴史の背景が理解できた

Posted by ブクログ

2012/07/29

大阪府立学校の先生の世界史概説書ですが、前半だけで500頁近くあり、大変大部となっています。だからといって重箱の隅をつつくような細かい内容となっているわけではなく、いろんなエピソードや裏話などに分量を割いており、授業で使える話も多々ありました。例えばエジプト新王国時代の改革者アメ...

大阪府立学校の先生の世界史概説書ですが、前半だけで500頁近くあり、大変大部となっています。だからといって重箱の隅をつつくような細かい内容となっているわけではなく、いろんなエピソードや裏話などに分量を割いており、授業で使える話も多々ありました。例えばエジプト新王国時代の改革者アメンホテプ4世の妻ネフィルティティはミタンニから嫁いだこと、ムセイオンの語源が知の女神ミューズからきていることなどはすぐにでも使えます。ただ、エピソードや裏話の欠点として、それが本当に史実に基づいているかどうかよりも内容の面白さが優先されてしまいがちであること、また内容に誤りがあっても教科書などには元々ない記述なのでそのまま素通りしてしまいがちであるということです。例えば「(唐末期の反乱軍の首領黄巣は)ついに長安を占領、皇帝に即位しました。このとき黄巣軍は、長安にいた南北朝以来の貴族たちをことごとく黄河に投げ入れて虐殺し、貴族の家系はすべて途絶えたといわれています。(254頁)」とありますが、これはおそらくこの880年の黄巣長安占領から25年後の朱全忠による「白馬の禍」のことを行っていると思います。朱全忠は唐王朝を支配すると、貴族30人余りを虐殺し黄河に投げ捨てたと言われています。このとき彼の腹心である李振は「此の輩、常に自ら清流と謂う。宜しく之を黄河に投じて濁流と為さしむべし」(『資治通鑑』)といったそうです。この「白馬の禍」により中国における貴族社会が終焉したとされています。また283頁にはチンギス=ハンの残虐さが際だった都市攻略法が書かれていますが、これも京都大学の杉山正明先生らの研究により被支配者側の一方的な記述として近年つとに疑問視されているところです。 結論として、教科書で習ったところのサイドストーリーを知ることによって知識を広げ固めるのに有益な本だと思います。ただ、これで縦の繋がりや横の繋がり、世界史の全体像が理解できるといった類の本ではないので「教科書の参考にする本」ではあっても「受験の参考になる本」ではないと思います。最後に興味深かったところと疑問に思ったことを少し挙げて終わります。 興味深かった個所 ・ネアンデルタール人が障害を持った仲間を助けて生活していた痕跡がある。 ・1世紀前後のユダヤ教について、祭式重視がサドカイ派、律法厳守がパリサイ派。 ・宋代中国の形勢戸の土地所有は一円的ではなかったため佃戸は何人もの形勢戸から土地を借りる。そのため1人の形勢戸に人格的に隷属するような関係にはならず、形勢戸は豪族にはなりにくかった。 ・ヘブライ語研究でも有名なエラスムスはローマ教会の聖書のラテン語訳の間違いを次々に発見したため、ローマ教会も彼を認めざるを得なかった。そのためローマ教会の権威も低下する。 ・デンマークの天文学者チコ=ブラーエは超新星の発見や彗星の観測からプトレマイオスの天動説を蜂起した(地動説を唱えたわけではない)。彼はケプラーの師である。 ・イグナティウス=ロヨラはフランシスコ=ザビエルと同じバスク出身。 ・私拿捕船の船長ドレークはスペイン船を追い回してマゼラン隊に続いて世界で2番目に世界周航を果たした。 ・アンボイナ事件と同じ年に平戸のイギリス商館も閉鎖。 疑問・間違い ・「1年の前はマイナス1年(8頁)」これは院の時に教授に指摘されたのですが、西暦でマイナスという言葉を使うのは間違い。-(マイナス)とは数学用語であり、1のマイナス1は0である。西暦は数学とは違うというのが教授の言い分でした。 ・「王朝が変わっても科挙は実施され、1904年まで続きました。(265頁)」これも生徒を悩ませる表現で、普通授業では「1905年科挙廃止」と習います。これは双方正しく、1904年(光緒30年)に結果として最後となる殿試が行われ、翌年袁世凱らの上奏で科挙廃止が決定したということです。 ・「クローヴィスも、もともとはアリウス派だったのですが、ローマ人の支持を得るためにアタナシウス派に改宗したのです。(336頁)」実はクローヴィスがカトリックに改宗前何を信仰していたのかは諸説ありはっきりしていません。古ゲルマンの宗教かアリウス派か史料が限られており分からないのです。 ・「(中世ヨーロッパでは)荘園から農奴が都市に逃げ込んで、1年間捕まらなければ自由になれるという法もありました。(358頁)」細かいようですが「1年と1日」です。この問題以前私学適性検査で出ていたと思いますが、多分「1年」ではバツになると思います。

Posted by ブクログ

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