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紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム 朝日選書872
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紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム 朝日選書872

ケネス・J.ルオフ【著】, 木村剛久【訳】

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紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム 朝日選書872

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 朝日新聞出版
発売年月日 2010/12/25
JAN 9784022599728

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商品レビュー

3.8

6件のお客様レビュー

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2012/05/16
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※このレビューにはネタバレを含みます

官民が渾然一体となって仕掛けた「ディスカバー・ジャパン」としての『紀元二千六百年』 本書を読んで驚いたのは、“国威発揚”のイベントというものは、何かしらの当局がその思惑のもとに総動員を下すのではなく、いわば官と対極にある民がそこにすり寄って、補完・補強していくという構造だろう。 オリンピックを想像すればそのことは用意だ。東京オリンピックといえば1960年のそれを『三丁目の夕陽』的に思い出せばそのメカニズムを容易に把握することが可能であろう。しかし、開催中止となった1940年にも東京オリンピックは開催の手はずだった。日中戦争の激化で開催を返上したと言われるが、その1940年こそ、“国威発揚”の節目となる『紀元二千六百年』でもあった。 本書を読むと恐ろしいほどにその時代の空気を感じることができ、それが遠い世界でないことにも驚く。そして、1940年の空気には、翌年末に突入する太平洋戦争の息吹は全く感じることができない。 いうまでもなく総力戦へむけての体制の準備は着々として進んでいる。しかし、庶民の生活はそれとは程遠い現実でもあったようだ。明るい側面や活気が見えるからだ。 本書の副題は、「消費と観光のナショナリズム」。 戦後の高度成長期に日本は「明治百年」を迎える。そこでブームになるものと、1940年のそれが同じ光景……すなわち、「消費と観光のナショナリズム」であったことはこれまた驚いてしまう。すなわち、国史ブーム、大衆参加と大量消費、朝鮮満洲観光。まさに1940年の日本は戦争など予期できないイベントと金儲けの時代であったということだ。そしてその「消費と観光のナショナリズム」が日本という国家を大衆レベルで実感・共有させていく翠点となっていく。決して過去とは思えぬ筋道なのである。 さて、冒頭で言及した通り、百貨店、新聞社、出版社、レコード会社、鉄道会社などが盛んに記念行事を煽ったことは忘れてはいけないだろう。一体感を演出する記念イベントはビジネスチャンスであったということだ。広告と消費、そしてマスメディアと戦争の関りは丁寧に探究されるべき。過去を知ることが現在を映しだす。 このところ喧しいのが官か民かという二元論だが、結局のところ、「儲け」の前に、経済性に軸を置く「民」の正常性は担保されないのは現実なのかもしれない。 紀元2600年つーうのは、要するに官民が渾然一体となって仕掛けた「ディスカバー・ジャパン」なんだよね(´Д` )

Posted by ブクログ

2011/11/07

聖蹟観光、植民地観光というあまりスポットのあたらない分野を通して戦前~戦中の消費やナショナリズムに焦点をあてている。戦後世代としては神武天皇の名前を教育課程で教わった記憶が無かった為一種のカルチャーショックを感じた。

Posted by ブクログ

2011/10/14

紀元2600年と言われても、今の若い人達には、「2001年宇宙への旅」と、錯覚してしまいそうだが、紛れもなく、西暦に対して、こういう呼び方が、まかり通っていた時代があった。昨年の暮れ間近に、友人である訳者の木村剛久君から,戴いた本(ケネス・ルオフ著)を、改めて読み返してみた。著者...

紀元2600年と言われても、今の若い人達には、「2001年宇宙への旅」と、錯覚してしまいそうだが、紛れもなく、西暦に対して、こういう呼び方が、まかり通っていた時代があった。昨年の暮れ間近に、友人である訳者の木村剛久君から,戴いた本(ケネス・ルオフ著)を、改めて読み返してみた。著者は、「国民の天皇」=戦後日本の民主主義と天皇制を著しているが、戦争が激しくなる前に、空前の消費と朝鮮半島・満州国等への観光旅行が、巻き起こり、それらが、軍事的なロジスティックに、安全を裏打ちされたものであり、且つ、百貨店などの催し物とのリンクで、一大消費ブームと化した時代があった。後半の章で、取り上げられた「日本人」、とりわけ、「海外植民地に在住する日本人のアイデンティティー」に対する論述に、今日的な課題として、大変、興味を持った。ナチス・ドイツのようなゲルマン民族の血統を、重んじるのではなくて、飽くまでも、大和魂的なイデオロギーを、中核にしつつも、海外に移民した2世・3世の抱く、祖父母や曾祖父母の母国、日本に対する想いと、現実に住んで、生活を営んでいるその国に対するロイヤリティーとの「矛盾的狭間と相剋」は、戦後、今日に至るまで、どうやら、新しい創造的な概念を描ききれず、解決・止揚しきれていないように、思われる。むしろ、内向きに、萎縮してしまった感が強い。当時の大和魂や大和なでしこの概念に対して、現代の「中華思想」や、「海外華人ネットワーク」は、どうなのであろうか?そして、「日僑」と呼ばれる海外在住者の存在の増加や、経済グローバリズムの中で、その国に、土着を任務とせざるを得ない日本人は、どのような国家意識を、アイデンティティーを核に、有し、子供達に、伝えてゆくのであろうか?大変、興味深い課題だと思う。小松左京の「日本沈没」ではないが、日本人は、どこへ,漂流してゆくのであろうか? http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/

Posted by ブクログ