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自由からの逃走
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 東京創元社 |
| 発売年月日 | 1951/12/30 |
| JAN | 9784488006518 |
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自由からの逃走
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商品レビュー
4.3
140件のお客様レビュー
本書を手に取ったのは、オウム真理教関連のイベントで滝本太郎弁護士の講演を聞いたことがきっかけだった。カルト宗教に、人がなぜあれほど深くハマってしまうのか。その心理的なメカニズムがこの本に描かれているという話だったが、実際に読んでみてやはりその指摘は鋭かった。 信者が教祖に対...
本書を手に取ったのは、オウム真理教関連のイベントで滝本太郎弁護士の講演を聞いたことがきっかけだった。カルト宗教に、人がなぜあれほど深くハマってしまうのか。その心理的なメカニズムがこの本に描かれているという話だったが、実際に読んでみてやはりその指摘は鋭かった。 信者が教祖に対して自分という存在を完全に明け渡してしまう「マゾヒズム的な依存」。そして逆に、教祖や高位の幹部たちが信者を支配し取り込むことでしか自身の存在を保てない「サディズム的な依存」。一見すると支配・服従の非対称な関係に見えるが、実は双方が孤独や自由の重圧から逃れるために、お互いの自我を破壊し合いながら依存し合う病的な相互依存の図式が、ナチズムに代表される1941年当時を背景にした本書の中に、オウムの時代も現代にも通じる形で鮮やかに描き出されている。 直前にカミュを読んでいたこともあり、この心理構造はカミュが批判した「飛躍(不条理な現実から目を背け、絶対的なものに身を委ねてしまうこと)」とも強烈にリンクした。 さらに恐ろしいのは、これが特定のカルトや独裁国家に限った話ではないということだ。明確な権威が存在しない現代の民主主義社会では、人々は「世間」や「空気」という匿名の権威に同調し、自分自身を周囲と全く同じ文化的な鋳型に流し込む「自動人形(オートマトン)」と化してしまう。マゾヒズム的な服従にはまだ葛藤する自我が残っているが、自動人形は他者の期待を自分の本当の願望だと錯覚し、自分自身の本音すら見失ってしまう。SNSなどで過剰に承認を求める現代の病理も、中身が空っぽになった自我を「他人の承認」で確認し続けなければ存在を保てないという恐怖からきているのだと感じた。 フロムの議論を日本の社会構造に当てはめてみても示唆に富む。ヨーロッパでは中世の崩壊によって放り出された孤独な個人が、宗教改革を通じて「神への隷属」という新たな不自由へと回帰していくことで資本主義に適応した。これに対し、もともと一神教的な絶対的神の存在を前提としない日本では、近代化によって旧来の共同体が解体され、「自由化」が進んだ。その過程で、神に代わるものとして「世間」という価値観の尺度がより強く意識されたのではないか。 日本社会で規範から外れた者を過烈にバッシングする心理には「自分はこんなに我慢して世間に合わせているのに」と抑圧された感情が潜んでいるように思える。そして、この自動人形と化した大衆の絶望感こそが、現代のアメリカなどで見られるポピュリズムを育てる豊かな土壌になっているのかもしれない。 ただ、最終章でフロムが希望として提示する「民主主義的社会主義」については、マクロすぎて個人的にはあまり響かなかった。大多数の人間がそこまでの自発性を求めているとは思えず、理想の中にしか存在し得ないように感じたからだ。これはナチズムがまだ興隆を極めているフロムの執筆当時における未来への希望という位置付けで読むべきなのかもしれない。 フロムが結論として提示するような社会全体を変革するという遠い理想よりも、カミュのシーシュポスのように「不条理な世界の中で、目の前の自分の岩を手触り感を持って押し上げ続ける」という個人的でミクロな生き方のほうが、現実の自分にはしっくりくる。 人類の進歩として必然であった「自由」がもたらす孤独と、そこからの逃避の心理を鋭く解剖する作品。自由の恐怖、カルトに惹かれる心理から、現代社会の同調圧力やポピュリズムまで、人間の弱さを問い直す充実した読書体験だった。
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NotebookLMを頼りつつ4分の1くらいしか読んでないけれど。浅学で無教養な自分でも肌感覚で理解できる(できたつもりになれる)理論展開。21世紀現在からみると至極当然のことしかないように思えるが、中世までの社会心理から近代までをスムーズに繋げる文章にはどこか心地良さすら感じた...
NotebookLMを頼りつつ4分の1くらいしか読んでないけれど。浅学で無教養な自分でも肌感覚で理解できる(できたつもりになれる)理論展開。21世紀現在からみると至極当然のことしかないように思えるが、中世までの社会心理から近代までをスムーズに繋げる文章にはどこか心地良さすら感じた。繰り返すが全部読めてないのはただ自分が無教養だからなだけです
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フロムの宗教改革やルター、カルバンの精神分析は非常に興味深い。 彼らの教えが人々の不安や無力感、孤独といった負の感情につけ込み全体主義へと向かっていくメンタリティ醸成に一役買っているというのは新しい見方だった。 権威主義的パーソナリティという言葉を少し前までよく耳にしたが、今のア...
フロムの宗教改革やルター、カルバンの精神分析は非常に興味深い。 彼らの教えが人々の不安や無力感、孤独といった負の感情につけ込み全体主義へと向かっていくメンタリティ醸成に一役買っているというのは新しい見方だった。 権威主義的パーソナリティという言葉を少し前までよく耳にしたが、今のアメリカや日本でも若い人ほど権威主義的な傾向が強いとされている。この傾向はまさにドイツが全体授業へと走り、ユダヤ人や性的少数者、政治犯、捕虜の虐殺という極端な排外主義に向かう発端となったものだ。 フロムは第2次世界大戦以前に権威主義的な性格や社会がどうして生まれたのかを中世から近代への時代背景とその時期に過ごしていた人々の精神分析を行うことで明快に示している。 中世から近代への変化は人々に自由を与えた。しかし自由の裏側にあったのは大きな不安である。身分社会か市民社会、共同体から個人社会、貴族制から共和制、農耕社会から工業社会へと政治、宗教から科学へと、経済・政治・文化、あらゆる側面で新しい時代を迎えたのが中世から近代という時期だった。その急激な変化は人々に強烈な無力感と不安を与えたのだ。 その不健全な精神状態から生まれる不健全な社会が全体主義であり、個人の意志が国の意志と同化するという、人間の歯車化が進むのである。 人類の生活は豊かになり、技術も発展した今の世の中で唯一変わらないものがあるとすれば人間の本質である。人間の不安や無力感、個人として独立することの難しさ、こうした弱さを克服もしくは抑止するシステムを作り上げない限り全体主義への誘惑はなくなることはない。 なればこそ、我々は常に自問自答しなければならない。同じ悲劇を2度と繰り返さないためにも。
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