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自由からの逃走
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 東京創元社 |
| 発売年月日 | 1951/12/30 |
| JAN | 9784488006518 |
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自由からの逃走
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商品レビュー
4.3
141件のお客様レビュー
自由とは単に「何でも選べる状態」ではなく、その選択の責任を自ら引き受ける覚悟を伴うものだ、という点の重みをあらたねて認識した。 人は不安や孤独を感じると、権威や多数派に従うことで安心を得ようとする。しかし、その結果、自ら考えることを放棄すれば、本当の自由「自分の理性と意思に基づ...
自由とは単に「何でも選べる状態」ではなく、その選択の責任を自ら引き受ける覚悟を伴うものだ、という点の重みをあらたねて認識した。 人は不安や孤独を感じると、権威や多数派に従うことで安心を得ようとする。しかし、その結果、自ら考えることを放棄すれば、本当の自由「自分の理性と意思に基づいて主体的に生きること=積極的自由」は失われてしまう。 現代はSNSやAIの発達により情報が溢れる一方で、周囲の意見に流されやすい時代でもある。だからこそ大切なのは「自調自考」の姿勢であり、自分の価値観で判断し、その結果に責任を持って行動し、自由を現実のものとしていきたい。それが民主主義の健全な機能に繋がると考える。
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自分の意思や願望は内的なものなのか外的なものなのか考える必要がある。 生存の安心→成長と表現を求めながら生きていくことが大切
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本書を手に取ったのは、オウム真理教関連のイベントで滝本太郎弁護士の講演を聞いたことがきっかけだった。カルト宗教に、人がなぜあれほど深くハマってしまうのか。その心理的なメカニズムがこの本に描かれているという話だったが、実際に読んでみてやはりその指摘は鋭かった。 信者が教祖に対...
本書を手に取ったのは、オウム真理教関連のイベントで滝本太郎弁護士の講演を聞いたことがきっかけだった。カルト宗教に、人がなぜあれほど深くハマってしまうのか。その心理的なメカニズムがこの本に描かれているという話だったが、実際に読んでみてやはりその指摘は鋭かった。 信者が教祖に対して自分という存在を完全に明け渡してしまう「マゾヒズム的な依存」。そして逆に、教祖や高位の幹部たちが信者を支配し取り込むことでしか自身の存在を保てない「サディズム的な依存」。一見すると支配・服従の非対称な関係に見えるが、実は双方が孤独や自由の重圧から逃れるために、お互いの自我を破壊し合いながら依存し合う病的な相互依存の図式が、ナチズムに代表される1941年当時を背景にした本書の中に、オウムの時代も現代にも通じる形で鮮やかに描き出されている。 直前にカミュを読んでいたこともあり、この心理構造はカミュが批判した「飛躍(不条理な現実から目を背け、絶対的なものに身を委ねてしまうこと)」とも強烈にリンクした。 さらに恐ろしいのは、これが特定のカルトや独裁国家に限った話ではないということだ。明確な権威が存在しない現代の民主主義社会では、人々は「世間」や「空気」という匿名の権威に同調し、自分自身を周囲と全く同じ文化的な鋳型に流し込む「自動人形(オートマトン)」と化してしまう。マゾヒズム的な服従にはまだ葛藤する自我が残っているが、自動人形は他者の期待を自分の本当の願望だと錯覚し、自分自身の本音すら見失ってしまう。SNSなどで過剰に承認を求める現代の病理も、中身が空っぽになった自我を「他人の承認」で確認し続けなければ存在を保てないという恐怖からきているのだと感じた。 フロムの議論を日本の社会構造に当てはめてみても示唆に富む。ヨーロッパでは中世の崩壊によって放り出された孤独な個人が、宗教改革を通じて「神への隷属」という新たな不自由へと回帰していくことで資本主義に適応した。これに対し、もともと一神教的な絶対的神の存在を前提としない日本では、近代化によって旧来の共同体が解体され、「自由化」が進んだ。その過程で、神に代わるものとして「世間」という価値観の尺度がより強く意識されたのではないか。 日本社会で規範から外れた者を過烈にバッシングする心理には「自分はこんなに我慢して世間に合わせているのに」と抑圧された感情が潜んでいるように思える。そして、この自動人形と化した大衆の絶望感こそが、現代のアメリカなどで見られるポピュリズムを育てる豊かな土壌になっているのかもしれない。 ただ、最終章でフロムが希望として提示する「民主主義的社会主義」については、マクロすぎて個人的にはあまり響かなかった。大多数の人間がそこまでの自発性を求めているとは思えず、理想の中にしか存在し得ないように感じたからだ。これはナチズムがまだ興隆を極めているフロムの執筆当時における未来への希望という位置付けで読むべきなのかもしれない。 フロムが結論として提示するような社会全体を変革するという遠い理想よりも、カミュのシーシュポスのように「不条理な世界の中で、目の前の自分の岩を手触り感を持って押し上げ続ける」という個人的でミクロな生き方のほうが、現実の自分にはしっくりくる。 人類の進歩として必然であった「自由」がもたらす孤独と、そこからの逃避の心理を鋭く解剖する作品。自由の恐怖、カルトに惹かれる心理から、現代社会の同調圧力やポピュリズムまで、人間の弱さを問い直す充実した読書体験だった。
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