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自由からの逃走 の商品レビュー

4.3

125件のお客様レビュー

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2025/01/06

歴史的背景など理解するのが難しい箇所は多く、読み切るのに時間を費やした。しかし、ハッとさせられる文章もあり、特に「実はみんな自分の意思で決断しているようでしていない。社会や環境に流されて決断している」という内容は就職したばかりの自分には耳が痛かった。「他者から称賛されることや給料...

歴史的背景など理解するのが難しい箇所は多く、読み切るのに時間を費やした。しかし、ハッとさせられる文章もあり、特に「実はみんな自分の意思で決断しているようでしていない。社会や環境に流されて決断している」という内容は就職したばかりの自分には耳が痛かった。「他者から称賛されることや給料、会社の知名度を完全に度外視して、本当に自分のやりたかったことはなんなのか」「なんとなく数年以内に結婚するつもりでいたけど、そもそも本当に結婚したいのか」「SNSで見て可愛いと思ったから購入したが、本当に欲しかったのか」など、ありとあらゆる面での自分の決断、判断に疑心暗鬼になった。 おそらく半分も理解できていないが、それでもここまで私の思考に食い込んできた本書はだからそこ名著なのかと感じた。

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2024/11/30

薬のように読んでいる。 冒頭はユダヤのラビの言葉から始まる。 本書ではフロムはあくまで学者としてファシズムに傾倒する大衆心理を分析しているが、彼は産業革命後のドイツに生まれ青年期に第一次大戦を、学者時代に第二次大戦を経験している。そしてユダヤ人だった。この時代の人たちは皆等しく...

薬のように読んでいる。 冒頭はユダヤのラビの言葉から始まる。 本書ではフロムはあくまで学者としてファシズムに傾倒する大衆心理を分析しているが、彼は産業革命後のドイツに生まれ青年期に第一次大戦を、学者時代に第二次大戦を経験している。そしてユダヤ人だった。この時代の人たちは皆等しく「国」に苦しめられたが、彼は「大衆」によって苦しめられた人だっただろう。 その背景を想像すると、冒頭のラビの言葉がいっそう力強く、フロムの真正な悟りなのだとわかる。 第一章で語られる自我の目覚めについて「ジャマイカの烈風」が挙げられている。古本で取り寄せて読んだがとてもいい本だった。子供(エミリー)が家族から乖離し、この体の一挙一動の主人は自分であると気づく。その気づきは「心地よいスリル」とともに、諦めをエミリーに抱かせた。生きるということはどこまでも ランダムで不確かで、その不安から解放されるには死ぬしかないという諦め。 脱線するが、最近観たドキュメンタリー「名付けようのない踊り」で田中泯が「自分の体の動きのスピードは自分で決められる」と言っていた。言葉で表すと「そらそうだ」となるが、これはエミリーの自我の芽生えの瞬間と似ていると思った。スマホのスクロールも、まばたきも、椅子から立ち上がる動きもすべて、私の意思のままである。こういう動作は目的の中に埋もれがちで、私はいつも目的の不完全さを思い悩んでいるが、生きる喜びはこの体だけで完全なのだ。 本書を読んだ人にはぜひパゾリーニ「テオレマ」を観てほしい。荒野を一人裸で歩くということが人間にとってどれほど不安で恐怖か。そしてその不安は無意識下で病のようにゆっくりと内侵し、死へと至らしめる。 柄谷行人の「世界史の構造」には、本書でいう第一次的絆の成り立ちが詳しく書いてあるので副読書としておすすめ。

Posted byブクログ

2024/12/21

寄生獣という漫画で、ミギーが寄生獣の複合体である後藤に取り込まれた。その際に、ミギーは、心地よかったと言ったのだ。私は本書でこれを思い出し、人間には、強大な集合体に取り込まれ、一時的にも自我を忘れる欲求があるのではないかと疑わざるを得ない。そして、それを本書が明らかにしてくれた。...

寄生獣という漫画で、ミギーが寄生獣の複合体である後藤に取り込まれた。その際に、ミギーは、心地よかったと言ったのだ。私は本書でこれを思い出し、人間には、強大な集合体に取り込まれ、一時的にも自我を忘れる欲求があるのではないかと疑わざるを得ない。そして、それを本書が明らかにしてくれた。 自由とは何か。 家族で暮らしていた青年が独り立ちする。その一人暮らしにおいて、自由を感じながらも生活の営為においては、あらゆることを自ら判断しなければならなくなる。やがて青年は所帯をもち、自由を一部手放しながらも、共同生活における生き甲斐を感じる事になる。我々が自由と引き換えに手に入れるのは、帰属感であったり、その生活に服従する事での遣り甲斐であったりする。例えてみると、感覚的にはそんな風にも理解できる。 ー たしかに人間がだれしももっている、飢えとか渇きとか性とかいう欲求は存在する。しかし人間の性格の個人差をつくる、愛と憎しみ、権力にたいする欲望と服従への憧れ、官能的な喜びの享楽とその恐怖、といった種類の衝動は、すべて社会過程の産物である。人間のもっとも美しい傾向は、もっともみにくい傾向と同じょうに、固定した生物学的な人間性の一部分ではなく、人間を造りだす社会過程の産物である。いいかえれば、社会はたんに抑圧的な機能をもっているだけではなくー もちろんそれももってはいるが 一創造的な機能ももっている。 ー 自己保存の要求に対し、人間社会で与えられている条件を受け入れるほかないため、この折り合いによって外界と関係を結び、生活様式と習慣が形づくられる。 ー 自分自身が何かに帰属していると感じない限り、自分がどんなに無意味で批評であるかを感じないわけにはいかない。自分の生活に意味を与えてくれるために、集団へ自分を結びつけることが欲求として生まれてくる。 人間は、生まれながらに服従の欲求を持つものである。服従の欲求と帰属の欲求は、ほぼ同列のものだというのだ。本書が面白いのは、これをマゾヒズムと結び付けて解釈する点にもある。 ー マゾヒズムはこの目標への一つの方法である。マゾヒズム的努力のさまざまな形は、けっきょく一つのことをねらっている。個人的自己からのかれること、自分自身を失うこと、いいかえれば、自由の重荷からのかれることである。このねらいは、個人が圧倒的に強いと感じる人物や力に服従しょうとするマゾヒズム的努力のうちにはっきりあらわれる。(つけたせば他人が優越した力をもっていると考えることも、つねに相対的に理解されなければならない。それは他の人物のじっさいの力によることもあるし、また自己の完全な無主義性、無力感を言ずることによるばあいもある。後者のばあいには一匹の虱でも、一枚の木の葉でも、おそるべきものと考えられる) ー 個人的自我を絶滅させ、たえがたい孤独感にうちかとうとする試みは、マゾヒズム的努力の一面にすぎない。もう一つの面は、自己の外部の、いっそう大きな、いっそう力強い全体の部分となり、それに没入し、参加しようとする試みである。その力は個人でも、制度でも、神でも、国家でも、良心でも、あるいは肉体的強制でも、なんでもよい。ゆるぎなく強力で、永遠的で、魅惑的であるように感じられる力の部分となることによって、ひとはその力と栄光にあやかろうとする。ひとは自己自身を屈服させ、それのもつすべての力や誇りを投げすて、個人としての統一性を失い、自由をうちする。しかしかれは、かれが没入した力に参加することによって、新しい安全と新しい誇りとを獲得する。またかれは疑惑という責苦に抵抗する安全性も獲得する。マゾヒズム的人間は、外部的権威であろうと、内面化された良心あるいは心理的強制であろうと、ともかくそれらを主人とすることによって、決断するということから解放される。すなわち自分の運命に最後的な責任をもつということから、どのような決定をなすべきかという疑惑から解放される。かれはまたかれの生活の意味がなんであり、かれがなにものであるかという疑惑からも解放される。このような問題は、かれが結びついているカとの関係によって答えられる。かれの生活の意味やかれの自我の同一性は、自身が屈服したより大きな全体によって決定されるのである。 自我を捨てて自動人形となり、周囲の何百万という自動人形と同一となった人間は、もはや孤独や不安を感ずる必要はない。しかし、かれの払う代価は高価である。すなわち自己の喪失である。

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2024/09/30

ユダヤ系のドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムが1941年に出版した、「ナチズムになぜ人々は熱狂するのか」を分析した本。ナチスドイツは1945年まで続いたので、本書はまさにナチスドイツ全盛期に書かれたものです。とても焦燥感と危機感溢れる内容でした。(フロムはこの頃にはアメリカに...

ユダヤ系のドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムが1941年に出版した、「ナチズムになぜ人々は熱狂するのか」を分析した本。ナチスドイツは1945年まで続いたので、本書はまさにナチスドイツ全盛期に書かれたものです。とても焦燥感と危機感溢れる内容でした。(フロムはこの頃にはアメリカに亡命しています。) 「自由からの逃走」、身に覚えがあります。私もご飯の準備が面倒な時は、3食とも給食だったらいいのに…と思います。まさに好きな食事をする「自由からの逃走」です。 という浅い内容では決してありません(苦)。 ヨーロッパは中世の終わり(16世紀頃)から近代(本書が書かれた19世紀)までは権威から自由を獲得するための戦いでありました。しかし権威から自由を勝ち取った人々の中には、自由のもたらす孤独感と無力感に耐えられず、自ら自由を手放し、権威あるものに服従してしまう、そのような人々の心理の現れがナチズムである、というのがざっくりした概要です。まとめサイトの内容もだいたいこんな感じかと。 私が本書を読んでびっくりしたのは、このような自由からの逃走は既に16世紀から起こっており、キリスト教のプロテスタントが、ナチズムととても似た動きによって産まれたことです。世界史の授業で習った(忘れてたけど)、腐敗した協会を批判しプロテスタントという新しい宗派を創ったルターやカルヴァンが、ざっくり言うと…「自己肯定感こじらせインテリ」で、封建制が崩壊し自由になった世の中の「負け組中産階級」のフラストレーションを彼らが上手く集めたことがプロテスタントの源流だったと…。(注意:フロムの主張を元にさらに私がテケトーに解釈して書いてるので真に受けないでね!) しかも、このプロテスタントの心理的な状況(自由を放棄し、権威に服従する傾向)が、資本主義の発展を後押しし、さらにこの資本主義のもとに育った人々に、影響を与えていく…。 資本主義社会に生きる自分の感情の2割くらいは、もしかして16世紀の「負け組中産階級」で出来てるの!?と思うと、背筋がゾワっとしました。 (あ、負け組中産階級を軽蔑している訳ではありません。自分自身の感情が、4世紀前の、しかも日本じゃなくてヨーロッパに影響を受けてるかもしれないという事実にゾワっとしたのです。) なかなか文章の意図を掴みきれなくて、読むのに時間がかかりましたが(理解しきれてなかったり、誤解してるところもあるかも)、まとめサイトの概要で終わらせず、ちゃんと本書を読んで良かったと思います。16世紀〜19世紀の状況は、今の日本と重なるところもあると思うので※、オススメの一冊です! ※この本を読むきっかけになったのは「解雇規制緩和」の話題が盛り上がっていたからでした。でも「解雇規制緩和」を謳った小泉さん、自民党の総裁になれませんでしたね。

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2024/04/02

心理学や歴史的な観点から、自由が孤独や無力感を生み出し、自由を破壊するような絆や矯正を求めることを学べる。目標を持って、自発的に考えたり動いたりすることで幸福を得られる

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2024/03/26

メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1772475468807041206?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

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2024/03/25

自分のことだな、、と思いながら読んだ。社会的性格は両親という代理人から日本文化としてインストールされた。しかし漠然とした「絶望と不安と懐疑」がどこかにくすぶっている。自発的な行動で社会と関係を持つことが、この呪いを解くカギなんだ、、

Posted byブクログ

2024/03/20

今年の課題図書。自由を謳歌し続けたい、と思った。自由を脅かす孤独や無力感に騙されないようにする。また、恐怖により服従に向かうような人が周りにいないようにケアしたい。

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2023/09/17

人は自由を制限する束縛や抑圧から解放されたとしても、解放後に待ち受ける無制限の自由がもたらす孤立と孤独の感情に耐えきれず、自ら自由を捨て他人からの束縛を再び望むようになる。

Posted byブクログ

2023/12/01

社会的条件は性格を通して、イデオロギー現象に影響すると説く本。 偽の自己とは、他人に期待されている役割を自己の名で行う代理人。

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