商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 東京創元社 |
| 発売年月日 | 1951/12/30 |
| JAN | 9784488006518 |
- 書籍
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自由からの逃走
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自由からの逃走
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商品レビュー
4.3
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近代は、伝統的共同体や身分秩序など、自然や社会と一体であるように感じる「第一次的絆」から人間を解放し、「個性化」や「独立化」、すなわち「自由」をもたらした。しかしその自由は同時に孤立と不安を増幅させる面を持ち、主体に重い負荷を与えた。 この負荷から逃れる道は二つあり、「第一次的絆...
近代は、伝統的共同体や身分秩序など、自然や社会と一体であるように感じる「第一次的絆」から人間を解放し、「個性化」や「独立化」、すなわち「自由」をもたらした。しかしその自由は同時に孤立と不安を増幅させる面を持ち、主体に重い負荷を与えた。 この負荷から逃れる道は二つあり、「第一次的絆」とは別の形で再び世界と接続される「積極的自由」へと向かうか、自己を放棄して自由から逃走し、「服従」するかのどちらかとなる。しかし、積極的自由を実現することが困難な人々は、権威主義的性格、あるいは破壊性を持つか、本来の自分を見失った自動人形となることで自己を放棄してしまう。 宗教改革や資本主義の展開は、人々を独立させながら無力感を深め、この逃走を促進した。このプロテスタンティズムの禁欲主義や無力感といった性格構造は、近代でも受け継がれ、ナチズムは大衆の権威主義的性格(強者への愛と弱者への憎悪)に訴えて発展し、大衆の社会的性格を利用した。さらにフロムは、デモクラシー下でも人々が他者の期待に順応して自己同一性を失い、自動人形化してしまえば、全体主義の土壌は生じうると警告している。他方で、自我を保ちながら世界と結びつく自発的な人間のあり方として、積極的自由の可能性を支持し、民主主義の深化と社会的条件の改善にその希望を託している。
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全体主義論の古典。 人々は中世から近代にかけて消極的自由を勝ち取ったが、孤独感と無力感に苛まれ再び権威へ従属し、自由を放棄した。その近代人の心理的倒錯が、全体主義体制を産んだいう内容。 全体主義体制の誕生を個人心理に見出し、緻密な論理を持って丹念に論じる著者の姿勢からは、執筆...
全体主義論の古典。 人々は中世から近代にかけて消極的自由を勝ち取ったが、孤独感と無力感に苛まれ再び権威へ従属し、自由を放棄した。その近代人の心理的倒錯が、全体主義体制を産んだいう内容。 全体主義体制の誕生を個人心理に見出し、緻密な論理を持って丹念に論じる著者の姿勢からは、執筆時のナチスの勃興に対する危機感が滲み出ており、切実な問題意識を感じさせられた。 ただ著者は、混迷の状況をただ嘆いているわけでは無い。愛や労働によって他者と繋がり、社会に参画していく積極的自由を持って、再び個人として自律する希望の道を描き出している。全体主義を克服し、人間が自律的存在として生きる術を記した最終章こそ、本書の最大の魅力であろう。
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自由になりたいと思うのに、自由をどこかで怖がっている気持ち、というのにずっと心当たりがあっていつか読みたいと買っておいた本。 例えば、会社の仕事ですんごく忙しくて、もう仕事を全部放り出して休みたい!と思う気持ちと、とはいえこの仕事がなくなったら、私は何かしたいことがあっただろうか...
自由になりたいと思うのに、自由をどこかで怖がっている気持ち、というのにずっと心当たりがあっていつか読みたいと買っておいた本。 例えば、会社の仕事ですんごく忙しくて、もう仕事を全部放り出して休みたい!と思う気持ちと、とはいえこの仕事がなくなったら、私は何かしたいことがあっただろうか?とふと立ち止まり怖くなるときとか。 その怖いの内訳は、さあなんでもしたらいいよとなったときに、自分の意志が実はないことに気づきたくない、みたいな怖さだ。 そんな感じで読み始めたが、私は思いもよらない角度から、何度も読み返す文章に出会った。 それは私の人生の中でもトラウマ級に「なんだったんだあの体験は」と思うようなできごとをピタリと言語化したもので、ああ、あれはそういうことだったのだと自分を手のひらに乗せてシゲシゲ眺めるような感じだった。 この文章に出会えただけでも、私はこの本を読んだ価値があった。 たくさん付箋を貼ったけど、私にとって本当に大事だったのはそこの一節だけだったかもしれない。 そのできごとも突き詰めれば、私を自由にさせないでという、自ら自由を放棄するが故のできごとだったのだ。
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