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省察 ちくま学芸文庫
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省察 ちくま学芸文庫

ルネ・デカルト(著者), 山田弘明(訳者)

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省察 ちくま学芸文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 筑摩書房
発売年月日 2006/03/10
JAN 9784480089656

省察

¥825

商品レビュー

4.7

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2024/03/13

何が正しい情報なのか分かりづらい 時代、意外とデカルト的な視点は 必要かもしれない... 神の存在証明について、俗に言う あの " 神 " のことではなく、宇宙の 真理、もしくは絶対的な観念として 解釈すると現代でも通用する内容 だろう。実際、本文中でも宗教...

何が正しい情報なのか分かりづらい 時代、意外とデカルト的な視点は 必要かもしれない... 神の存在証明について、俗に言う あの " 神 " のことではなく、宇宙の 真理、もしくは絶対的な観念として 解釈すると現代でも通用する内容 だろう。実際、本文中でも宗教的 な意味合いで語られているわけでは ない。 デカルトと言えば「我思う故に...」 で有名だが、この一文はデカルト 哲学のスタート地点に過ぎない。 ゴールは神の存在証明だとして、 デカルトの凄さと面白さは二つの 地点の間に散りばめられた数学的 発想の方だ。 普通の人なら人生で一度も考えた こともない問題を提起し、それを 独自視点で乗り越えていく。やがて その精緻な認識論は受け継がれ、 後にフッサール現象学へと発展する。 神が登場した時点で、今では 荒唐無稽な宗教的古典哲学として 除外してしまう読者も多いのでは ないだろうか。だとしたらそれは 誤解であり、勿体ない選択だ。

Posted by ブクログ

2023/05/27

第三省察について。神の記載はキリスト教徒のデカルトだからこそ、実感があるのか。訳者である山田先生は「神」はキリスト教的ではないと解説されている。「神」とは考える自分に考えさせる者、システムなのか? 剣士でもあったデカルトならではの記載も多い。塚原卜伝の道歌「映るとも月も思はず映す...

第三省察について。神の記載はキリスト教徒のデカルトだからこそ、実感があるのか。訳者である山田先生は「神」はキリスト教的ではないと解説されている。「神」とは考える自分に考えさせる者、システムなのか? 剣士でもあったデカルトならではの記載も多い。塚原卜伝の道歌「映るとも月も思はず映すとも水も思はぬ広沢の池」や、不動智神妙録「心こそ心迷わす心なれ 心にこころ 心許すな」を思わせる。 「神」についての第五省察を読んで、デカルトの言う「神」が、読者の思う「神」と同じとは限らないと分かった。読者を自分たらしめるために存在する者を、「神」とするなら、理解できる。 第六省察では、行き過ぎた懐疑を現実に戻す。

Posted by ブクログ

2022/01/08

悪意のある老獪な霊 【もし何か真なるものを認識することが私の力に及ばないにしても、断乎として偽なるものに同意しないように用心することは、私の力のうちにある。】  「そこで私は、真理の源泉たる最善の神ではなく、或る悪意のある、同時にこの上なく有力で老獪な霊が、私を欺くことに自己...

悪意のある老獪な霊 【もし何か真なるものを認識することが私の力に及ばないにしても、断乎として偽なるものに同意しないように用心することは、私の力のうちにある。】  「そこで私は、真理の源泉たる最善の神ではなく、或る悪意のある、同時にこの上なく有力で老獪な霊が、私を欺くことに自己の全力を傾けたと仮定しよう。そして天、空気、地、色、形態、音、その他一切の外物は、この霊が私の信じ易い心に罠をかけた夢の幻影にほかならないと考えよう。また私自身は手も、眼も、肉も、血も、何等の感官も有しないもので、ただ間違って私はこのすべてを有すると思っているものと見よう。私は堅くこの省察に執着して踏み留まろう。そしてかようにして、もし何か真なるものを認識することが私の力に及ばないにしても、確かに次のことは私の力のうちにある。すなわち私は断乎として、偽なるものに同意しないように、またいかに有力で、いかに老獪であろうとも、この欺瞞者が何も私に押しつけ得ないように、用心するであろう。」

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