なぜ働いていると本が読めなくなるのか の商品レビュー
Posted by
普段はこの手の教養書は読まないのだが、タイトルに惹かれてつい手に取った。 日本人の労働と読書の変遷を明治時代から遡って振り返り、考察している構成は面白い。立身出世を追求し教養を重視する傾向が生まれた明治時代。日露戦争後、国力向上のために全国で図書館が増設され読書人口が爆増した大...
普段はこの手の教養書は読まないのだが、タイトルに惹かれてつい手に取った。 日本人の労働と読書の変遷を明治時代から遡って振り返り、考察している構成は面白い。立身出世を追求し教養を重視する傾向が生まれた明治時代。日露戦争後、国力向上のために全国で図書館が増設され読書人口が爆増した大正時代。紙が高騰しベストセラーを生もうと出版社が奮闘した末に生まれた「全集」と「文庫」が普及した戦後。読書がテレビと連動して売れる娯楽となり、書籍購入のピークを迎えたバブル期。情報社会が到来し、働き方が変化した結果、自己啓発書が急増した平成時代。「やりたいことを仕事にすべきだ」という風潮が生まれ、ニートをつくり出したバブル崩壊後。などなど、膝を打つ点もあり勉強になった。 タイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について、著者は以下のように主張。 「情報」=知りたいこと 「知識」=ノイズ+知りたいこと 自分から遠く離れた文脈に触れることが読書。本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がないということ。仕事以外の文脈(ノイズ)を取り入れる余裕がない状況。 私自身の読書史を振り返ると、確かにその主張も頷ける点はある。学生時代にミステリにハマり、毎日貪るように読書したものだが、社会に出て仕事を覚えることや周囲から認められるのに必死で余裕が無くなり、いつの間にか読書から遠ざかってしまった。 時が経ち、今では会社でもベテランの域に達し、家族の支えもあって時間的精神的な余裕が出来たから、こうやって落ち着いて読書ができるようになったのかもしれない。多くの時間を割いていたSNSから少し距離を置いたのも良かったのかも。ブクログとは距離が縮まったけれど(笑) 著者が理想とする「半身社会」。それで経済が上手く回る世の中にいつかなってほしいとは思うけど実際は…
Posted by
最近忙しくて中々本が読めていなかったから、本屋でたまたまサイン本を目にして購入。思っていたより内容が充実しており、とても面白かった。
Posted by
働いていてもこの本なら読めるだろう...と軽い気持ちで手に取ったが思ったより骨太な内容。 『本の中には、私たちが欲望していることを知らない知が存在』していて、2010年代以降の働き方ではこれを「ノイズ」として排除する傾向にあるという指摘がしばらく読書から離れてYouTube を...
働いていてもこの本なら読めるだろう...と軽い気持ちで手に取ったが思ったより骨太な内容。 『本の中には、私たちが欲望していることを知らない知が存在』していて、2010年代以降の働き方ではこれを「ノイズ」として排除する傾向にあるという指摘がしばらく読書から離れてYouTube をダラダラ見ていた自分のことを言われているようで恥ずかしい限り...。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
タイトルの内容を脳科学的に解明するものではなく、読書の歴史から社会的に論ずるものだった。 読書がどのようにして社会に溶け込んでいたかを時代ごとのベストセラーなどを通じて解説しているのがかなり面白かった。最初から最後まで映画『花束みたいな恋をした』の麦を引き合いに出しており、ある意味この映画を読書の観点から解説しているようで、もう一度映画を観直して確かめたいなとすら思った。 ただ肝心の主張「半身で働く」ことについては、例えば医療従事者など他者を支える(人手不足の)エッセンシャルワーカーに対しての言及が無く、この著者の文脈から抜け落ちているような気がした。様々な職種があるのでこういうことを言っていたらキリがないが、医療従事者が「半身で働く」を実践したら、患者さんが普通に生活することすらままならなくなってしまうケースがある。こういった視点も考えつつ、議論の余地のある主張だなと感じた。
Posted by
労働史と読書史の対応には概ね同意できる。 働きながら本が読める社会にするために、半身労働社会を目指そう、という提言も多くの人の同意を得られるだろう。 ただ注意が必要なのは、ここで言われる「本」「読書」という言葉は「文化的な趣味」に置き換えて理解した方が良い。仕事に直接役立つ読書、...
労働史と読書史の対応には概ね同意できる。 働きながら本が読める社会にするために、半身労働社会を目指そう、という提言も多くの人の同意を得られるだろう。 ただ注意が必要なのは、ここで言われる「本」「読書」という言葉は「文化的な趣味」に置き換えて理解した方が良い。仕事に直接役立つ読書、いわゆるビジネス書などは、取り入れやすい「情報」の範疇に入るだろう。 自分のいまの仕事・労働に直接関わらない、「ノイズ」となりうる本(文芸書・人文書等々)を読めなくなるのはなぜか、文化的な趣味を続けられないのはなぜか、という問題意識を持つ人にとっては、役に立つ論考です。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
働きながら本が読めなくなっていた。 本をちゃんと読まなくなって少なくとも2年は経っていたと思う。先週から会社を休み、布団の中か冷凍パスタの前かみたいな生活を過ごし、病院ついでに書店に寄ったら平積みされていて目を引いた本だった。 特にここ1年間はダラダラYouTube観るのが辞められず、かといってその時間で本を読む気は全く起きなかったので、まえがきからマジでそうなんだよな〜と共感して入れた。 それこそ度々引用された『花束みたいな恋をした』も公開当時ぶっ刺さっていたから、同じ時間を経験している本というか、とっつきやすかった。 時代による社会の変化と読書の捉えられ方の関係性の考察のところは、あまり興味を持ってこなかった領域だったので面白く読めつつ、これを時間をかけて追えたのが本書でいう「知識」にあたるってことかと思うと、本当に久々に本が読めた実感がある。 第9章と最終章にある現代の働き方には心当たりがありすぎて苦しくなったが、疲労社会とメンタルヘルスへの言及もされていたのは助かった。働き方を省みるきっかけになる。 本当にもう仕事だけを全身全霊の承認のありかとして捉えるのは辞めようと思っているが、「情意考課」の極まった(?)相互監視環境の息苦しさはどうにかなってほしい。 全身全霊から半身への転換は責任の背負い方に対しても認識を改めないといけないんだろうけど、ここがめちゃくちゃ難しいんじゃないか。 これ普通に今の職場環境でやる人が出てきたら“バグった”と思われる。だったらみんなでバグって、本が読みたい。 とにかくこの本は読書記録アプリ入れてこれくらいの感想を書こうと思わせてくれたし、これからまたちくちく読書して記録できたら記録しようという気にさせてくれた。いいタイミングで手に取れてよかった。ありがとうございます。
Posted by
専門職として社会人になって以降、職場の同僚などから「忙しいから勉強できない」「論文や書籍が読めない」という話を繰り返し聞いてきた。私自身の経験と教訓から、多忙になると物理的(時間の制約)や(脳)疲労もあり、本が手につかない。しかし、一方で「忙しい」からこそ、読書を通じて知見を深...
専門職として社会人になって以降、職場の同僚などから「忙しいから勉強できない」「論文や書籍が読めない」という話を繰り返し聞いてきた。私自身の経験と教訓から、多忙になると物理的(時間の制約)や(脳)疲労もあり、本が手につかない。しかし、一方で「忙しい」からこそ、読書を通じて知見を深め、自然と必要な情報が集まってきて、資料や書籍を読まざるを得なくなる。忙しいからこそ読書をするというのが、私の持論でもある。 本項では、隙間時間にスマホ、及びスマホゲーム興じて、いつしか読書離れを起こしている現代人の課題に一石を投じる。一方で、明治以降の時代に応じた読書の位置づけを検証する。明治期から大正期のエリート教養としての読書。戦前から戦後のエリートと大衆教養としての読書。オイルショックからバブルショック期の娯楽としての読書。バブル崩壊以降のノイズとしての読書と位置づける。ファスト映画、短時間読書などコスパとタイパを意識した「消費」としての読書から、読書によって起こる頭とこころに起きるハレーション(ノイズ)としての読書の重要性を指摘する。働きながら本を読める「半身社会」の重要性を投げかける。尽忠報国、滅私奉公、社畜、ワーアカ-ホーリックな生き方から、仕事も読書も「半身社会」で心豊かな生き方の提言であり、休日の補償と労働時間の短縮こそ、今求められている社会のあり方なのだと理解した。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
たくさんの文献から引用があり、近現代の社会と読書との関わりから、なぜ働いていると本が読めなくなるか、そして本を読める社会への提言が書かれている。 引用されている文献だけで、その時代その時代の社会を語れるものなのか疑問だった。また、肝心の働きはじめると本を読めなくなる現象についての解説が、あまり納得できないというか、結論がよくわからなかった。 ただ、働きはじめると本を読めないという現象、読むという行為は同じなのにTwitterみたいなクソみたいな駄文は読めるのに本は開けない現象は確かに自分にも当てはまる。みんなが不思議に思ってる事象についての問題提起で、とても目の付け所がいいと思った。これからの三宅さんの活躍に期待
Posted by
労働史と読書史をミックスさせた興味深い内容。P239のマトリクスがよくまとまっており理解しやすい。線引きが難しいのが「読書とは何か?」という点で、著者は自己啓発書は「情報」扱いし、「読書」からは除外している印象を受ける。 では「ビジネス書」はどうなのか?カーネギーは「自己啓発書」...
労働史と読書史をミックスさせた興味深い内容。P239のマトリクスがよくまとまっており理解しやすい。線引きが難しいのが「読書とは何か?」という点で、著者は自己啓発書は「情報」扱いし、「読書」からは除外している印象を受ける。 では「ビジネス書」はどうなのか?カーネギーは「自己啓発書」扱いされているようだが、ドラッガーは「ビジネス書」?ドラッガーには「知識」があるように思えるが、なら「ビジネス書」からも「知識」は得られる?で、そこにはノイズがあるのか? さらに言えば、新書である本書はどうだろう?そもそも新書は「ファスト教養」なので、本書のようなキャッチーな題名で欲しい「情報」を手軽に得るという要素が大きいように思えるが、歴史を語っていれば「知識」なのか? つまり、「情報」や「知識」を「ノイズの有無」で線引きするのは中々難しいし無理があるのではないのかと。ちなみに「小説」は「物語」なので明らかに「情報」や「知識」とは線引きは可能だが。ちなみに斉藤孝は「司馬遼太郎が教養と娯楽の境界線」だと言っていたが、この辺の見解も興味深い点でもある。松本清張はきっと娯楽なんだろうが。 よって「本が読めなくなる」の「本」って何を指しているのかが最後までよくわからなかった。「本」≒「小説」と限定すれば確かにそうだと言えるが、ビジネス書や所謂「専門書」ではない「概説書」の類はどうなのか?政治や経済や経営に関しては「専門書」はハードルが高いとしても「概説書」ぐらいは仕事上の必要性(&興味関心)で読む労働者もそれなりいるとは思うがそれらの扱いはどうなるのだろうかというのが疑問として残った。簡単に言えば佐藤優あたりから出口治明・池上彰ぐらいまでが労働者ターゲットのメジャーゾーンだとは思うが、これらは「概説書」ですらなく「教養書」なのか?ともと思ったり・・・。
Posted by