死にがいを求めて生きているの の商品レビュー
読み終わる前に次の螺旋プロジェクトの本を買ってしまった一冊。螺旋プロジェクトとは、複数の作家があるテーマに沿って書くコラボプロジェクト。他の本も気になってしまうくらい設定が魅力的です。読書量を一気に増やしたい方はおすすめです。もちろん、一冊でも十分成り立っているので、どの作品から...
読み終わる前に次の螺旋プロジェクトの本を買ってしまった一冊。螺旋プロジェクトとは、複数の作家があるテーマに沿って書くコラボプロジェクト。他の本も気になってしまうくらい設定が魅力的です。読書量を一気に増やしたい方はおすすめです。もちろん、一冊でも十分成り立っているので、どの作品から読んでもついていけると思います。 ●北海道大学の描写がすごすぎる 2010年代に北海道大学に通っていた方は風景がありありと見えて驚くと思います(経験談)。朝井リョウさんは早稲田大学卒なのに、何で「肉チャー」の事知ってるんですか?!この食べ物は本書のキーワードでも何でもないのですが、そんなところもしっかり調べられていて作家の情報収集力に感嘆しました。大学祭の模擬店の配置も実際と同じだったり、食堂の描写だったりストーリーをほったらかして、懐かしい気持ちに浸ることができました。 ●少し朝井リョウさんらしくないところがある ちょっと朝井さんらしい流れではない違和感を感じる部分がありました。それはプロジェクトの条件を入れているからかなと思います。 実際、特別付録にある著者インタビューに朝井さんには螺旋プロジェクトのテーマである「対立」が思い浮かばず、落ちこんだという記述があります。そこからどう考えを発展させていったかはとても面白いです。 ●全部自分のため NPOの活動とか、一見、人のためになっていそうなことも、突き詰めると「自分が生きているのを感じるため」(=生きがい)という場面が多く出てきて、ハッとさせられました。「他人がいないと自分がいない」という言葉が思い浮かびました。 ●そのあとどうなった?! めちゃくちゃ展開が気になりました。対立し続けるのか、適度な距離を保つのか・・。
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結構なボリュームなのにどんどん読めてしまう。止まらなくなって大変なので1章終わるごとにふぅ、と休憩を入れながら読んだ。 後半の雄介と智也の掛け合い。勢いがすごい。 そこに弓削の視点が交錯して、ものすごく読み応えのあるクライマックスだった。 きっと誰しも若いうちに一度は「生きが...
結構なボリュームなのにどんどん読めてしまう。止まらなくなって大変なので1章終わるごとにふぅ、と休憩を入れながら読んだ。 後半の雄介と智也の掛け合い。勢いがすごい。 そこに弓削の視点が交錯して、ものすごく読み応えのあるクライマックスだった。 きっと誰しも若いうちに一度は「生きがい」を求めて、「死にがい」を求めて、もがくよね。
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この話を読んで刺さるものがあった人は、過去に雄介になってしまった経験を持つ人なのかな、と思う。 見ていて"痛い"と思う行為は、自分を良くみせたい気持ちが、他者の"目につく"の基準を超えてしまったときに発生する気がする。 私たちは、人と関わ...
この話を読んで刺さるものがあった人は、過去に雄介になってしまった経験を持つ人なのかな、と思う。 見ていて"痛い"と思う行為は、自分を良くみせたい気持ちが、他者の"目につく"の基準を超えてしまったときに発生する気がする。 私たちは、人と関わって生きていく以上、この基準と自分の虚栄心とのバランスを探りながら過ごさなきゃいけないんだな、と改めて感じた。 智也みたいに、内面的な「生きる意味」を持てる人は、他者の"目につかない"上に、ここが満たされている分自分をよく見せることに貪欲にならずに済むから、生きるのが上手なのかもしれない。 他者の評価以外の、自分を満たして、律することができるような、自分の柱になり得るようなものを私も見つけたい。
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読み終わって、茫然としているところ。 年末から時間をかけてゆっくり読みました。 南水智也と堀北雄介という2人の若者の幼少期からを、周りにいる人々の目線でそれぞれつづられていく作り。最初の「白井友里子」の章で感じた堀北雄介像が、章が進むにつれてどんどん変化し、一方、対照的な南水智也...
読み終わって、茫然としているところ。 年末から時間をかけてゆっくり読みました。 南水智也と堀北雄介という2人の若者の幼少期からを、周りにいる人々の目線でそれぞれつづられていく作り。最初の「白井友里子」の章で感じた堀北雄介像が、章が進むにつれてどんどん変化し、一方、対照的な南水智也の好印象も、章が進むにつれて微妙に変化していく。 そこに加わっていく(伊坂幸太郎さん発案である)螺旋プロジェクトの「海族・山族」の話、お話が何層にもなっていく感覚。 螺旋プロジェクトにかかわる小説という意識なく読み始めたので、これはこれでおいておくとしても、朝井リョウさんの心理描写、きれいなものも汚いものもぐっとつかんで表に出す感じは、本当に素晴らしいし胸苦しくもある。たぶんそこに善悪はないのだろうなとも思う。 登場人物と同世代のころに朝井リョウさんの小説を読んでいたら、今とはまた違った刺激を受けるのだろうなぁ、とも。生きがい、ってなんだろう、とかね。手段と目的が逆転することって、若いときだけでなくてもありそうな気もする。少し間をあけて、必ず再読したい本。
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面白かった、新幹線で集中して読むのに良かった。 朝井先生は、人の感情のあまり触れてほしくないところをえぐり出すような作家さんだな、と思う。 誰しもが幼少の頃から何処かに持っているヒーロー志向というか、誰かに認められる自分でありたいと、思っている。承認欲求。無い人もいるのかな。 それをおいてこれた人に、「痛いやつ」と思われていきるらなんとなく肩身の狭さ。 結局智也も、海山を、無意識のうちに生きがいとしてしまって、それに執着してるんだな、と、最後に思った。 記者の弓削の追いつめられようとか、怖かった。 あの人だけでスピンオフ一冊かけそうだ。 螺旋プロジェクトとは知らずに読んだがほかも読みたくなった。先生すごいな。
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"死にがい"という言葉が気になって手に取った作品。 螺旋プロジェクトというものを知らなかったので最初は設定に戸惑ったけれど、あの括りの中でこれだけのものを書くことができるなんて…作家さんって、朝井リョウって、すごい。 作中には"生きがい"...
"死にがい"という言葉が気になって手に取った作品。 螺旋プロジェクトというものを知らなかったので最初は設定に戸惑ったけれど、あの括りの中でこれだけのものを書くことができるなんて…作家さんって、朝井リョウって、すごい。 作中には"生きがい"を探し求める色々な語り手が登場する。 その全員の生きづらさというか、追い込まれている感じがリアルで、途中で読んでいるこちらが息苦しくなった。 そしてどのパートでも出てくる、主要人物。堀北雄介。 痛い、と思うけど、自分の中にも何パーセントかは堀北雄介がいる気がする。雄介の言っていることがわかってしまう。 『○○があるから生きたい』ではなく『生きたいから○○をする』。順序が逆と言われても、そうしないと生きていけない人は確かにいるよなぁ、と。 ほかの螺旋プロジェクトはどんな感じなんだろう。
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螺旋プロジェクトの1冊目として読みました。 生きがいってなかなか難しい。 私自身は今までこれと言ったモノもなく過ごしできたように感じます。きっとこれからも。 ただ、学生の時は人との比較、というか何らかの勝負を密かに行っていたような気もします。 今でも相対評価はされていますが、コ...
螺旋プロジェクトの1冊目として読みました。 生きがいってなかなか難しい。 私自身は今までこれと言ったモノもなく過ごしできたように感じます。きっとこれからも。 ただ、学生の時は人との比較、というか何らかの勝負を密かに行っていたような気もします。 今でも相対評価はされていますが、コレは絶対無くならないだろう。何かを決める時はやっぱりある物の中でそれらを比較して優劣をつけてるので。 さて、雄介と智也について、なんで相反する性格のようなのにずっとくっついているんだろうと。実際には自然に離れて行くんだろうけど、離れない関係にモヤモヤしながら読み進め、最後のほうで智也の体が不自由になり、もどかしさが募りました。 智也にはホントに元の体に戻って欲しい。 さてさて ホントはどの順番で読めば良かったのか? 次はシーソーモンスター読みます。 しばらくは螺旋プロジェクトです
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危険な運動会の競技や成績順位の公表がなくなり、多様性とか、ナンバーワンよりオンリーワンが謳われる平成の世で、人間は自分で自分を値踏みし、自分が価値ある人間なのか問わなければならなくなった。自分には生きる価値があると認めるために必死で、そのために対立や争いや攻撃を誘引してしまう堀北雄介には、現代の若者の自意識過剰性や極端な自己否定と自己肯定を行き来する自意識が表されている。一方で、世の中をグラデーションで捉え、流されることなく自分の立ち位置を貫く南水智也は、多様性の時代の象徴そのものでありながら、父の学説を否定するという目標の元、その生きがいのために生きている点で、堀北と大差ないと自覚する。 平成の時代に生まれた、同世代の心理を鋭く描いていてとてもよかったけど、海族山族のファンタジー要素が(目が青いとか)余計で、それは異質な他者を排除するとか反目するということの象徴としてはいいのだけど、そこだけ現実離れしているのが残念だった。
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好きだなあ、朝井リョウ。 人間と人間のゾッとするほどのリアルな感情を表現するのが本当に上手。 見て見ぬ振りをしている、、自覚もあるがそこから抜け出せない若者たちを描いていて わかるなあってうんうん頷きながら読んだ。 以下ストーリー。 雄介と智也という2人の友達を軸に、幼少期から大人になるまでの様々な場面で、別の他の人の視点から、その人自身の葛藤や雄介・智也の様子を描いた小説。 正反対に見える雄介と智也がなぜ仲がいいのか、本当に仲がいいのか?という疑問がどの人の視点でも描かれながら、話が進んでいく。 雄介はクラスでも目立ち求心力がある存在だったが成長するにつれ、目立ちたいだけで中身がない異質な存在だということが浮き彫りになっていく。 ある章の主人公の話にもあったが、目的と手段が逆転している。本来なら何かをやるために、手段を選び取るのに、雄介はその手段そのものをやるためにやっている、という空回りをしている。 それはひとえに何者かになるため、熱中して、目立って、他の人より優れているものを証明するためだった。 生きがいを作る必要があるのか?とそんな雄介の友人の智也は嗜める。 ただ、智也自身も雄介や自身の父親の意見を否定しながらも、否定する、ということを生涯を通じて成し遂げることで生きがいを得られているのであった。 最終的には智也は怪我をして植物状態になってしまう。雄介は智也に怪我をおわせたのは自分のせいだとして悲劇のストーリーを作り上げ、唯一の友人を生涯看病するという健気な青年、という生きがいを見つける。 ただ、実はその様子を聴覚だけ復活した智也はずっと聞いていた。 智也の出した結論は、雄介や父親を否定しながらもその存在があることで生きがいを得ている自分を否定しない。 ただ、それでも何者かになるために必死に生きがいを見つけるのは間違っていると主張する。 違いがあるもの同士が対話を続ける、大きな世界という文脈に抵抗することこそ生きがいにしないか?ということだった。 差異があること、同一ではないことは孤独を意味しない。違いを見つめ合おうとすることが他者同士の共通点になり、私たちは1人ではないという証拠になる。 しかし、この結論の背景はプラスの気持ちからではなく生に対する諦めからとも感じた。 どうしたってこの状態を作りだす世の中からは逃げ出せないのだから、対話しよう、というロジックは少し寂しいなと思った。(人間らしいということかもしれないが) タイトルの「死にがいを求めて生きてるの」は、雄介の姿を表している。 生きがいではなく、どうせ生きてるのだから、死ぬまでの時間を有意義にしたいという、死を前提にした諦めの気持ちが発端になっているのが生きがいとの違いなのかなあ。 朝井リョウの作品を最近よく読むけど、傾向がわかってきた。 自分が特別な存在かもしれないと思いながら、実は何でもないということを直視できず 周辺からは特別な存在の話が多く流れてきて 葛藤をしながら生きる若者がテーマになっている気がする。
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