みんなが手話で話した島 の商品レビュー
人類学の本。20世紀初頭までろう者が多くいたマーサズ・ヴィンヤード島では、障害の有る無しに関わらず、誰もが当たり前に手話を使っていた。フィールドワークを通して言語や障害、そしてその境界線の曖昧さが見えてくる。 真面目な本ですが、人類学者のフィールドワーク本としての面白さも備わっ...
人類学の本。20世紀初頭までろう者が多くいたマーサズ・ヴィンヤード島では、障害の有る無しに関わらず、誰もが当たり前に手話を使っていた。フィールドワークを通して言語や障害、そしてその境界線の曖昧さが見えてくる。 真面目な本ですが、人類学者のフィールドワーク本としての面白さも備わってます。 「聞こえる/聞こえない」ということが「非障害者/障害者」とイコールにならないこの島を見ると、障害とは社会の制度から生まれるバイアスのかかった認識でしか無いのだと感じた。 一文引用「健聴者と聾者は家庭、雑貨店、協会、パーティなどのあらゆる場において相互にまじり合っていた。聾者である家族、友人、隣人と行動をともにすることは日々の生活のありふれたひとこまにすぎなかった。」(P.190)
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題名から どういうことかとても興味を持った 読んでみるとこれは まさしく 論文であった ノンフィクションの中から見えてくるいろいろな問題を考えさせられるとともに 論文を書き上げるために 筆者が 深く広く調べていくことに 驚いた
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マーサズ・ヴィンヤード島 島では聾の人たちも健聴者の人たちも、なんら分けられることく暮らしていた。 職業も、収入も他の地域とも違い両者の差が無い。 「障害」というものは、なんなんだろう。 「五体満足で他の大勢と同じようなことができる」ことを社会が要請してしまう。 更に、その中で...
マーサズ・ヴィンヤード島 島では聾の人たちも健聴者の人たちも、なんら分けられることく暮らしていた。 職業も、収入も他の地域とも違い両者の差が無い。 「障害」というものは、なんなんだろう。 「五体満足で他の大勢と同じようなことができる」ことを社会が要請してしまう。 更に、その中で「より上手に」「より多く」生産するものがより高いものを得る。 そのような社会構造そのものが、「障害」という概念を生み出してしまう。 大勢よりも何かが不便であったり、苦手だったりする人を「障害者」としてしまう。 そういう視座を与えてくれた。
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これはアメリカのある小さい島で、遺伝的聴覚障害が多かったので自然と島民全員が耳が聞こえてる人もいない人も手話で話すようになった、という珍しい話のドキュメンタリーです。 すごく面白いけど、なんでまた復刊されたのかな。 だったら 「神さまは手話ができるの?」 も復刊してくれないかなぁ...
これはアメリカのある小さい島で、遺伝的聴覚障害が多かったので自然と島民全員が耳が聞こえてる人もいない人も手話で話すようになった、という珍しい話のドキュメンタリーです。 すごく面白いけど、なんでまた復刊されたのかな。 だったら 「神さまは手話ができるの?」 も復刊してくれないかなぁ。 あ、出版社、違うか……。 2022/10/21 更新
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ちょっと前から気になっていた本が折りよく文庫化されたのですぐに入手。 しばらく積読になっていたが、年末年始に「目で見ることばで話をさせて」(←同じマーサズ・ヴィンヤード島についての、この本に書かれた知見にも基づいたフィクション。YA)を読み終え、その勢いで読み始める。この本は原...
ちょっと前から気になっていた本が折りよく文庫化されたのですぐに入手。 しばらく積読になっていたが、年末年始に「目で見ることばで話をさせて」(←同じマーサズ・ヴィンヤード島についての、この本に書かれた知見にも基づいたフィクション。YA)を読み終え、その勢いで読み始める。この本は原作者の執筆の上でも訳者の翻訳の上でも重要な参考資料だったというが、読み始めてみると「あの人物のモデルはグラハム・ベル博士だったのかも?」などと改めてわくわくしながらどんどん読める。 17世紀から20世紀にかけての二百年余り遺伝性の聾の割合が高かったマーサズ・ヴィンヤード島の当時を知る老人に聞きとり調査をし、島の歴史に関するあらゆる記録から聞こえない人も聞こえる人もごく自然に手話を使っていた島の暮らしぶりを検証した労作。聾が障害にも特性にもならない共生社会はいかにして成り立っていたのか、学ぶこと考えさせられることが多い。そんな(ある意味)理想郷があまりにあっというまに失われてしまったということまで含め示唆的。
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