みんなが手話で話した島 の商品レビュー
ブクログでも評判が良いので読んでみました。 アメリカの島、マーザス・ヴィンヤード島には聾者が多かった。しかしそのためにこの島ではごく自然に手話が使われていた。 このことを文化医療人類学者の著者が、障害の遺伝、聾唖者の社会的地位を踏まえ、ヴィンヤード島での聾者を取り巻く生活を調査...
ブクログでも評判が良いので読んでみました。 アメリカの島、マーザス・ヴィンヤード島には聾者が多かった。しかしそのためにこの島ではごく自然に手話が使われていた。 このことを文化医療人類学者の著者が、障害の遺伝、聾唖者の社会的地位を踏まえ、ヴィンヤード島での聾者を取り巻く生活を調査したドキュメンタリーです。 著者は、ヴィンヤード島以外の聾者と、島の聾者両方を調査します。一般的に聾者が社会的に孤立する(就職や結婚の差し障りになる)のは、社会とのコミュニケーションが取れないことによります。 しかしマーザス・ヴィンヤード島のなかでも聾者が多い地域では、英語を覚えるより先に手話を覚えた、というくらいなので、聾者であってもコミュニケーションは問題なく、島民たちもごく自然に受け入れています。 手話は聾者のためだけでなく、島民たちが内緒話をするためとか、遠くにいる人と話す場合など、声によるコミュニケーション以外にも役に立っていたということで、これこそ なんといっても島民へインタビューしたときの「え?ハンディキャップ?耳が聞こえないだけでしょ?」という態度が現れていますよねえ。 近年の「多様性」の傾向って、「特性を細かく分類して、名前をつける」、さらに「目に見える特性がない人は、性格を細かく分類して名前をつける」というように、なんだか「一人ひとり特別です」な無理矢理感がするんですよね。多様性って名前をつけて一人ひとりを区別すること?この島のように名前をつけないことじゃないの? そんな当たり前に社会参加している聾者でも、観光客や聾者が少ない地域では特別な目で見られてしまうこと、マーザス・ヴィンヤード島に聾者が少なくなるにつれて手話を理解する人もいなくなったことが残念でもあります。 言葉としての差別意識も触れています。島民はまったく差別意識はなく「つんぼ」と言う言葉を使っていたということ。日本語訳でも「漢字にすると差別的だからひらがなにするんだ」傾向がありますが、こちらの翻訳では「聾者」と「ろう者」は違うこと、そして「差別の意味はない」ということも書かれていて、日本語としても参考になりました。
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世間では合理的配慮や多様性などの言葉が取り立たされているが、これによって、障害を持つ人たちは暮らしやすさを感じる世の中に変わっているのだろうか。私一個人として、まだまだ身の回りの配慮の必要な方が様々な場面で苦労を強いられてる状況は変わっていないと思う。 今回この本を読んで、本人...
世間では合理的配慮や多様性などの言葉が取り立たされているが、これによって、障害を持つ人たちは暮らしやすさを感じる世の中に変わっているのだろうか。私一個人として、まだまだ身の回りの配慮の必要な方が様々な場面で苦労を強いられてる状況は変わっていないと思う。 今回この本を読んで、本人の器質的な障害は変わらずとも、周りの状況次第で本人の障害は障害では無くなるとゆう事ことを見事に立証するこの島の実話に深く感銘した。 この島では耳が聞こえない事は周りにとっても本人にとってもさほど重要視される事では無い。手話を誰もが使いこなせる為、コミュニケーションになんら影響がない。聞こえる人はそうして違和感なく言語の使い分け行い、生活していたとゆう事である。 他にも興味深かったのは、ろう者の元に生まれたろう者と、聞こえる両親の元に生まれたろう者とで、どちらがその後、社会的地位のある仕事に就き働いていたかとゆう研究の結果、前者の方が手に職を持ち、生き生きと働いている人が多いとゆうことだ。 以前YouTubeの対談で、早期英語教育は必要か否か、とゆう動画をみた。登壇者はいずれも不要だと答えていた。 小さいうちはまずは、母国語である日本語をきちんと獲得することに重きを置くべきだとした。 その基礎が無ければ中身のない発音だけ立派な英語を話されても、誰も聞いはくれない、と 手話は言語であり、まさにこれに当てはまるのではないだろうか。母国語となる手話を基礎として身につけ、そのうえで日本語を獲得する。 ろう者に対して、手話より日本語が先と決めつけ、口話主義を推進していた歴史に改めて違和感を感じた。 学びの多い1冊だった。
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通行が制限されたヴィンヤード島。遺伝が原因で、ろう者が多く生まれることから始まる。数多くのろう者とのコミュニケーションのため島の健常者も手話を覚え、学校や教会、内緒話や船ですれ違うときなど健常者同士でも手話で会話することもあった。ろう者は日常生活や結婚に何の妨げもないどころか、州...
通行が制限されたヴィンヤード島。遺伝が原因で、ろう者が多く生まれることから始まる。数多くのろう者とのコミュニケーションのため島の健常者も手話を覚え、学校や教会、内緒話や船ですれ違うときなど健常者同士でも手話で会話することもあった。ろう者は日常生活や結婚に何の妨げもないどころか、州から授業料の助成があることから知識層としてコミュニティに受け入れられていた。 面白かった。イデオロギー少なめ。 ハヤカワではなく1991年築地書館で読了
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最初の入植者が族内婚で、次第に自分たちでも気づかないまま近親婚を繰り返すことになっていったという。 島の人々はわざわざ手話を学んだわけではなく、自然に覚えたという話には驚いた。それほど頻繁に手話が使われていたということだ。健聴者と聾者をつなぐ共通言語としての手話があれば、生活する上で何も問題がないことは証明されているのだな。 手話が当たり前に併用されていた驚きと共に、障害とされるものは社会がつくっていると言っても過言ではないことに悲しい気持ちになる。十九世紀以前の本土での差別の箇所は深刻だった。偏見は主に無知からきていると思うので、ひとつこういった島での歴史があったことを知れて良かった。 副次的なものだが、大っぴらにできない話を手話でとか、距離的に声が届かないときも手話でとか、とてもいいなと思った。
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遺伝性の聾者がかつて高頻度で存在していたアメリカのマーサズヴィンヤード島に関するノンフィクション。 遺伝性聾の発祥に関する考察も興味深いが、なにより、島のコミュニティでは聾者が特別視されず、社会的役割や地位も健聴者と変わらなかったという点を興味深く読んだ。 また、訳者の方による注やあとがきも素晴らしかった。 伊藤計劃氏『ハーモニー』でこの島のことを言及されていたのが本書を読んだきっかけ。 島における遺伝性聾の人は本書執筆時点では全員亡くなっていたため、聾者の人数や家族関係などが分からなくなってしまっていた。そもそも遺伝性であるかどうかも当初ははっきりとしていなかったが、著者が住人にインタビューしたり各種書類を検証したりすることによって、聾であった住人の名前が明らかになっていった。その過程で、電話の発明者として知られるベルが関わっていたというのは面白かった。こうした検証から、島における聾は潜性の遺伝によるものであることが分かり、またそのルーツについてもある程度たどることができた。 狭い地域の範囲内でコミュニティが完結し、結果的に近親交配が頻繁に行われたことで、潜性遺伝の聾形質が広まったらしい。 聾者が多数いたことにより、島では健聴者も手話を使えるのが当たり前で、聾者であるとないとにかかわらず地域で役割をはたしていた。というか、住民はふつう、ある人が聾者であるかどうかを意識せず、聾であることをとりたてて大きな特徴とは見なしていなかった。 聾者が加わった会話の場では、たとえ健聴者が多数派であっても、手話によって会話がなされた。ちょうど、海外の人がいる場での会議だと、日本人主体でも英語で話されるのと似ているなと思った。 とはいえ、聾者が多かったとはいっても割合として十数%などだったらしく、他地域と比べると圧倒的に高頻度だったとはいえ、決して多数を占めていたというわけではない。そういった中で聾者が「当たり前」としてみなされていたのには、当時としては発達していた手話の存在など、いくつかの要因が重なり合っていたらしい。 本書では、近代になるにつれて本土の聾に対する視点が持ち込まれたり、島外出身者との婚姻が進むことで次第に聾者が減少していったことも述べられている。 訳者あとがきでは、「手話の島」以外の側面としてのマーサズヴィンヤード島について(映画に登場していることなど)や、聾にまつわる事柄(「聾者」と「ろう者」は意味が異なることなど)が紹介されており、興味深く読んだ。訳注も、数は少ないが、ハッとさせられる記述が多かった。 自分が本書を読んだきっかけは伊藤計劃氏の小説だったが、その友人だった円城塔氏が本書を推薦したことがきっかけで文庫版の再発刊になったらしい。
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非常に示唆に富んでいてとてもおもしろかったです。文句なし星5。1991年刊行とのことですが、色褪せるところはなく、今読むべき本でした。 ヴィンヤード島は聾というステータスを持つ人にとっては理想的な共同体であり、多様性うんぬん、差別うんぬん、うるさい現代において、色々な意味で学びが...
非常に示唆に富んでいてとてもおもしろかったです。文句なし星5。1991年刊行とのことですが、色褪せるところはなく、今読むべき本でした。 ヴィンヤード島は聾というステータスを持つ人にとっては理想的な共同体であり、多様性うんぬん、差別うんぬん、うるさい現代において、色々な意味で学びがある事例かと思います。特に印象的だったのは、ヴィンヤード島がこのような共同体であった理由の1つとして挙げられていた、”ただ単に聞こえないという事実が共同体内においてなんの影響もなかっただけである”というような趣旨の一文です。これは本当にその通りで究極の状態だと思いますが、同じように実現することはとてつもなく難しいことだと思います。理想を語ることは簡単ですが、それの実現に何が必要なのか、理解はしておきたいと思いました。
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論文を読んでいるかのよう。ヴィンヤード島の話を聞いていると、そもそもハンディキャップとは?と言葉そのものについて考えさせられる。島では手話は聾者のものではなく、健聴者も手話を操り当たり前の会話の手段として用いられている。それは、生まれた時からその環境にいたから聴こえようが聴こえま...
論文を読んでいるかのよう。ヴィンヤード島の話を聞いていると、そもそもハンディキャップとは?と言葉そのものについて考えさせられる。島では手話は聾者のものではなく、健聴者も手話を操り当たり前の会話の手段として用いられている。それは、生まれた時からその環境にいたから聴こえようが聴こえまいが話題にもならない。知らないから不便や差別が生まれるのだと改めて思った。
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住民みんなが聾でも健聴でも手話で話していた時代があったアメリカの島の話。前半は島の成り立ちやどこから来た遺伝なのかにページが割かれて研究者でもない俺には退屈だった。後半は島の実際の姿を沢山のインタビューから活写しててとても興味深かった。ハンディキャップとは気まぐれな社会的カテゴリ...
住民みんなが聾でも健聴でも手話で話していた時代があったアメリカの島の話。前半は島の成り立ちやどこから来た遺伝なのかにページが割かれて研究者でもない俺には退屈だった。後半は島の実際の姿を沢山のインタビューから活写しててとても興味深かった。ハンディキャップとは気まぐれな社会的カテゴリであると言うこと。社会のあり方について考えさせられる一冊。今後の自分のあり方に影響を残すと思う。訳者の後書きは言い訳くさくて要らないなって思ったけど、島について映画ジョーズの舞台だったとかかわぐちかいじのジパングに出てきたとかなかなか面白かった。最近ドラマや映画ばかり観てて電車の中で少しずつ読んでて大変読むのに時間がかかった。
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J-WAVEで山口周さんが紹介していて購入。 身近に聴覚障害の方がいないのでこれまで全く考えてこなかった分野。 ヴィンヤード島の聾者が生まれる高い確率は不幸に見えるが、逆にハンディキャップと誰も思わずに生活できる環境があったことは素晴らしいと感じた。 子供の頃から区別してきたのに...
J-WAVEで山口周さんが紹介していて購入。 身近に聴覚障害の方がいないのでこれまで全く考えてこなかった分野。 ヴィンヤード島の聾者が生まれる高い確率は不幸に見えるが、逆にハンディキャップと誰も思わずに生活できる環境があったことは素晴らしいと感じた。 子供の頃から区別してきたのに社会人になって急に受け入れろという方が無理。やはり子供の頃から一緒に学び生活しないと、区別や差別のない社会は作れないのではないか、今の自分に出来ることは何か、考えるキッカケになった。
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マサチューセッツ州にあるマーサズ・ヴィンヤード島は17世紀から20世紀の終わりまで、多くの聾者が暮らしていた。かつては人はその地域から動かずに暮らすことが普通であったために、遺伝子的に違い人同士が夫婦となることが多く、その結果として聾の遺伝子を持つ人同士の結婚により、聾者が島民の...
マサチューセッツ州にあるマーサズ・ヴィンヤード島は17世紀から20世紀の終わりまで、多くの聾者が暮らしていた。かつては人はその地域から動かずに暮らすことが普通であったために、遺伝子的に違い人同士が夫婦となることが多く、その結果として聾の遺伝子を持つ人同士の結婚により、聾者が島民の一割ほどになっていたということらしい。 しかし、特筆するべきはその結果として、島民にとって聾であることはなんら驚くべきことではない普通のこと、目の色が違う程度の差であり、結果的にコミュニケーション手段として手話が使われ、健聴者も聾者と手話で話すことを普通に行っていた島だったということ。 本書はそのマーサズ・ヴィンヤード島がなぜ多くの聾者を生むことになったのかという歴史と、その島で普通に暮らしていた健聴者と聾者の社会を紹介し、聾唖者を差別的に見る事がまだ多い現代社会に対する啓蒙を行っている。 小さな島とはいえ、いやだからこそあまり記録が残っておらず、当時を知る高齢者へのヒアリングで調査したノーラ・エレン・クローズの行動力というか、粘り強さに驚嘆する。 また、聾であることがハンディキャップとならず、皆がそれを普通と捉えて生活していた事、結局それを「ハンディキャップ」と捉えているのは、耳が聞こえる我々の偏見でしかないのでは?という実例を突きつけられてしまっている事に、言葉がない。 一番印象に残った話は、日本でも似たような感じだったのだと思うが、アメリカの聾唖者は長く政治参加も制限されていたという。ただマーサズ・ヴィンヤード島では聾者も普通にタウンミーティングに出席していたため、毎年この地に避暑に来ていた外来者がその事に疑問を呈した。そのため島の人たちが州に確認したところ、州からは地域の定める法に従うよう(「制限するべき」という意図)回答が来たが、島には聾者に対する特別な法は定められていなかったので、これまで通り聾者もタウンミーティングに参加できる事になったという話。 痛快であるし、「聾者を区別しているはず」という思い込みが、単なる思い込み、偏見でしかないことを如実に示している。
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