まとまらない言葉を生きる の商品レビュー
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以前から印象的な表紙を何度も見かけて気になっていた中、友人がおすすめしてくれたので読んだ。タイトルどおり、言葉をめぐるエッセイで、著者がコミットしてきた障害者運動を軸に現在の日本語を考察している一冊で興味深かった。 日々暮らす中で気になった言葉を巡るムードに関する考察がなされ、そこに障害者運動から見えた景色が付加される構成となっている。著者の言葉に対する着眼点は鋭く、普段使っている言葉の中に感じる違和感を余すことなく言語化しようと試みていた。著者の特徴として言語の両義性に注目している点が挙げられる。一点ポジティブに見えるような言葉でも、ひっくり返すとネガティブに捉えられる。それは自分の都合だけを考えるのではなく、他者の眼差しを考える、とりわけ社会のマイノリティである障害者の活動に従事してきたからこそ養われた言語に対する感性なのだろう。 介護施設で提供されるおでんが刻まれていた話が一番興味深かった。施設サイドとしては、事故を防ぐこと、また個別対応による労力を避けるため、効率を目的として、おでんを刻んで提供したが、著者の知り合いは「刻まれたおでんは、おでんじゃないよな」といって不満を述べる。日本の社会は「仕方ない」と諦め、和を乱さないことが美徳になる場面が多いが、このように小さいと思われることもあきらめてしまえば、その諦めてしまう心は際限なくどこまでも追いかけてくる。自分の考えを主張する必要性と妥協点のバランスについて「おでんを刻む」という想像もしないシーンから引き出されるだなんて斜め上の発想すぎる。 また、繰り返し登場する「降り積もる」という動詞は、今の言論空間のアナロジーとしてこれほど納得感があるものはない。それはSNSのUIの影響が大きいと考えられる。次から次へと上から言葉が降ってきて、下へと流れていく。フォローしている人の言葉に絞ることもできるが、今や「おすすめ」というランダムな言葉の集積がデフォルトになり、それはまるで雨や雪のように質と量をコントロールできない。そうして降り積もった言葉は時代の価値観の形成に寄与する大きな存在として眼前に立ちはだかるのであった。 言葉を軽く見る現状は、社会を軽く見ることと同義だという主張は本著の核心部分である。生産性、生きる意味、権利といった言葉を絡めて、我々の人生が軽視される可能性について思いを巡らせており、ここ数年は同じようなことを感じていた。他人の権利が侵害される様を指くわえて見ていると、いつのまにか自分の大切なものも奪われてしまうかもしれない。そんな想像力を強く喚起する一冊だった。
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病気や障害を持つ人たちとのエピソード・言葉が読んでいるとなんだかグサグサと刺さってくる、言葉と社会を哲学している感覚。 「生きる意味」や「生きた心地を削る言葉」、「誰かや国のために役に立つこと」、「理不尽に抗う方法」、「自己責任」などなど印象の残る言葉がとても多かった。 当たり前...
病気や障害を持つ人たちとのエピソード・言葉が読んでいるとなんだかグサグサと刺さってくる、言葉と社会を哲学している感覚。 「生きる意味」や「生きた心地を削る言葉」、「誰かや国のために役に立つこと」、「理不尽に抗う方法」、「自己責任」などなど印象の残る言葉がとても多かった。 当たり前の日常が当たり前じゃなくなったときに、自分が社会を見る目がどう変わるのか、考えるきっかけにもなる。
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文学者である荒井裕樹さんの著書ということで、言葉そのものについて書かれた本だと思っていたけど、もっと広い意味で社会の中での言葉について書かれていた。 無意識下で聞いたり使ったりしている言葉。今まで気にしていなかったけど、その中でちょっと気になっていた言い回しがいくつか取り上げられ...
文学者である荒井裕樹さんの著書ということで、言葉そのものについて書かれた本だと思っていたけど、もっと広い意味で社会の中での言葉について書かれていた。 無意識下で聞いたり使ったりしている言葉。今まで気にしていなかったけど、その中でちょっと気になっていた言い回しがいくつか取り上げられていた。 なんとなく引っかかっていたことを、代わりにきちんと説明してもらえたようでスッキリ。 例えば「自己責任」とか「生きる意味」とか。 第10章「一線を守る言葉」も妙に納得して、印象深いテーマだった。 文章がきれいで読みやすかったけど、たくさんのお題を投げかけられたような気分で、まだしっかりとは消化できていない。 時間をおいて、また読みたいと思う。
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運動とは、決して特別な人々が行うものではない。しいて言うなら、最も平凡な人間が、平凡に生きていきたいと願った時の願いの姿なのだ。 少なくとも私たちの闘いの根っこはそこにあった。 荒井君、評価されようと思うなよ。人は自分の想像力の範囲内に収まるものしか評価しない。だから、誰かから...
運動とは、決して特別な人々が行うものではない。しいて言うなら、最も平凡な人間が、平凡に生きていきたいと願った時の願いの姿なのだ。 少なくとも私たちの闘いの根っこはそこにあった。 荒井君、評価されようと思うなよ。人は自分の想像力の範囲内に収まるものしか評価しない。だから、誰かから評価されるというのは、その人の想像力の範囲内に収まることなんだよ。人の想像力を超えていきなさい。
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障害、病、公害、育児、ジェンダー、差別、社会、言葉。正直なところ大学生の自分には、この本で綴られた言葉を真に理解することはできなかった。それも当然なのかもしれないと思う。この本にある言葉はどれも、社会の中で我が身を燃して戦い、全身全霊を生きて、生きて、生き抜いた人々の言葉だ。 まさに、要約しようもない人生が詰まっていた。自分はこの社会で生きながら、こうした人たちを見ずに生きてきたのだと痛感する。ただ、遠くから眺めているだけの人間にすぎない。このままでは、いけない。もっと声を聞きたい、言葉を知りたい。 文中で紹介された、脳性マヒの男性が読んだ詩が心に残っている。 『母よ 不具の息子を背負い 幅の狭い急な階段を あえぎながら這い上がる母よ 俺を憎め あなたの疲れきった身に 涙しつつかじりついている この俺を憎め』 この詩を忘れない人間でいたい。胸に留め人生を送りたい。 その人をその人のまま、私を私のまま、どうすれば何も取りこぼさずに関われるのだろう。誰も区切らないことの難しさ、しかしそれを目指し続けることの、言葉に出来ない力。 誰も要約せず、生きたい。そういう人でありたい。
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どこから読んでも良い。 読みやすいが考えさせられる。 人そのものが現れてしまうような文章は読んでいて私が現れてくる。 この書籍はそういうもの。 「まとまらない」に留まることは現代社会においてすごく大切だと思う。
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【目次】 まえがき:「言葉の壊れ」を悔しがる 第一話 正常に「狂う」こと 第二話 励ますことを諦めない 第三話 「希待」という態度 第四話 「負の感情」の処理費用 第五話 「地域」で生きたいわけじゃない 第六話 「相模原事件」が壊したもの 第七話 「お国の役」に立たなかった人...
【目次】 まえがき:「言葉の壊れ」を悔しがる 第一話 正常に「狂う」こと 第二話 励ますことを諦めない 第三話 「希待」という態度 第四話 「負の感情」の処理費用 第五話 「地域」で生きたいわけじゃない 第六話 「相模原事件」が壊したもの 第七話 「お国の役」に立たなかった人 第八話 責任には「層」がある 第九話 「ムード」に消される声 第一〇話 一線を守る言葉 第一一話 「心の病」の「そもそも論」 第一二話 「生きた心地」が削られる 第一三話 「生きるに遠慮が要るものか」 第一四話 「黙らせ合い」の連鎖を断つ 第一五話 「評価されようと思うなよ」 第一六話 「川の字に寝るって言うんだね」 第一七話 言葉が「文学」になるとき 終話 言葉に救われる,ということ あとがき 「まとまらない」を愛おしむ
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読み進めるにつれ、世の中の理不尽や想像し難いほどの差別に悔しさと怒りとが入り混じり、気付いたらページが終わっていた。ここ数年感じていた自己責任という言葉への疑問と怒りにも触れられていて少し胸がすく思いがした。
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要約できない内容でした。 権利に疎い人は差別に疎いという文章が印象に残りました。 「期待」ではなく「希待」という造語。 相手に見返りを求めず、寄り添うという形で生まれた言葉だそうです。 辞書にはなくても、優しいことばが増えていくといいなぁと感じます。
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”「言葉が壊されてきた」と思う。 (中略)日々の生活の場でも、その生活を作る政治の場でも、負の力に満ちた言葉というか、人の心を削る言葉というか、とにかく「生きる」ということを楽にも楽しくもさせてくれないような言葉が増えて、言葉の役割や存在感が変わってしまったように思うのだ。” ”「言葉が壊される」というのは、ひとつには、人の尊厳を傷つけるような言葉が発せられること、そうした言葉が生活圏にまぎれ込んでいることへの怖れやためらいの感覚が薄くなってきた、ということだ。 (中略) 対話を一方的に打ち切ったり、説明を拒絶したり、責任をうやむやにしたり、対立をあおったりする言葉が、なんのためらいもなく発せられるようになってしまった。” 誰しも一つや二つは頭の中に思い浮かぶことがあるんじゃないでしょうか。SNSを流し見しても、ニュースを聞いても、特に最近は毎日そんなことばっかり。 ”「壊されたもの」というのは、強いて言えば、言葉の「魂」というか、「尊さ」というか、「優しさ」というか、何か、こう、「言葉にまつわって存在する尊くてポジティブな力めいたもの」なのだけれど、…” この本では、そんな言葉の力を考えさせられるような言葉がいくつか紹介されているんですが、少しでも著者の伝えたかったこと、「まとまらなかったけど大事なこと」を汲み取れているといいな、と思います。 言葉は「壊されてきた」かもしれないけれど、少なくともこの世界のどこかでは「尊くてポジティブな力めいたもの」を宿した言葉は生まれ続けているんだろうと思います。ただ、そういうものを鼻であしらう冷笑文化みたいなものが、特に言葉でのやり取りを中心とするネット上には根付いている感じがします。ネットの時代である今、そういった価値観はどんどん広まり、言葉のきちんとした受け取り手が十分に存在しなくなっているのかもしれません。そして何かを受け取ると同時に発信されるのはどんどん冷ややかな言葉になっていく。 ”言葉には「降り積もる」という性質がある。放たれた言葉は、個人の中にも、社会の中にも降り積もる。そうした言葉の蓄積が、ぼくたちの価値観の基を作っていく。” きっと、言葉の扱いや扱う言葉に問題のある人間が増えたことで、言葉そのものに宿るものにも問題が増えている。そして人間は言葉を使ってものを考える生き物だから、そうした言葉で思考することによって、さらに言葉の扱い・扱う言葉に問題が生じていくんでしょう。 自分で使っている言葉はどうかと振り返ると、人に対しては結構気をつけているものの、自分に対しては降り積もらせたくない言葉を使ってしまっていることもあるなと思います。 せっかく降り積もるなら、生きるということを楽に、楽しくさせてくれる言葉がいいですよね、と自戒の念を込めて。 そしてこの本は、力のある優しい・勇気をくれるような言葉の紹介はもちろんなんですが、言葉の扱い方も教えてくれている気がします。 ”田中美津さんの言葉(「いくらこの世が惨めであっても、だからといってこのあたしが惨めであっていいハズないと思うの。」)と、「なんでもかんでも責任転嫁」という言葉と、ふたつを並べてみた時、自分が生きていくためにはどちらの言葉が必要だろう。もう少し踏み込んで言おう。もしも自分が苦しい思いを強いられた時、「自分で自分を殺さないための言葉」はどちらだろう。” そして、想像力の使い方。 ”「誰か」を憎悪するのにためらいのない社会は、「私」を憎悪するのにもためらいがないはずです。” ”誰かの一線を軽んじる社会は、最終的に、誰の一線も守らないのだから。” 「誰か」には「私自身」や「家族」「友人」もなりうるという想像力を働かせれば、自ずと人に対する自らの態度・用いる言葉も変わっていくのかもしれません。
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