まとまらない言葉を生きる の商品レビュー
いい本だった、心に響いた、深い、 どれも薄っぺらくてこの本の感想を書くのには 相応しくないと思う。 (自分で書いていて) それだけ言葉の力は大きい、 そして言葉を発することは生きることに繋がっている。 どんな言葉を選んで使うのか、 自分の感情や思考にピッタリの言葉。 それだけでな...
いい本だった、心に響いた、深い、 どれも薄っぺらくてこの本の感想を書くのには 相応しくないと思う。 (自分で書いていて) それだけ言葉の力は大きい、 そして言葉を発することは生きることに繋がっている。 どんな言葉を選んで使うのか、 自分の感情や思考にピッタリの言葉。 それだけでなく、世の中の思想についても。 「人権の尊重」尊重を、別の言葉にする もっと適切で思想まで想像できるもの。 また、障害者や被害にあった人たちへの言葉。 心ない言葉が人を傷つける、言っている側に 自覚はない、だから怖い。 いつ私が人を傷つけてしまうとも限らない。 「刻まれたおでんはおでんじゃないよな」 その言葉の中に含まれてる想い。 「自己責任」ですべて片付けてしまうモヤモヤ。 この本を読んで 「私は○○には偏見がないから」と あえて言うことに違和感をおぼえたり、 「役に立つ人」というモノのような扱いをしてる ような言葉に、イラッときたり、、 そんな細かいことが、指にちょっとささった トゲみたいに、ちくっとする、 そんな自分でもいいやと思った。
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遅ればせながら読みました。素晴らしい本でした。 言葉が必要な人たちに限って、言葉が奪われていく。 心ある人たちに対して、心ない言葉が投げつけられていく。 言葉の破壊や凋落を憂いながら、言葉の意義や可能性への希望も忘れないように、この本は折に触れて何度も読み返していきたいと思...
遅ればせながら読みました。素晴らしい本でした。 言葉が必要な人たちに限って、言葉が奪われていく。 心ある人たちに対して、心ない言葉が投げつけられていく。 言葉の破壊や凋落を憂いながら、言葉の意義や可能性への希望も忘れないように、この本は折に触れて何度も読み返していきたいと思います。
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すらすらと読める中で、差別や排除をめぐる力強いフックとなる言葉の数々が散りばめられてて、個人的に大事な一冊。ブログをもととした文章だけに、やや軽めの筆致。もう少し文章の密度を濃くして欲しかったというのは読者のエゴなのだろう。
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※このレビューにはネタバレを含みます
本に対しての感想に、これほど言葉を選ぶのは久々だ。 著者自身が、「言葉」に対して、とても慎重にな姿勢で臨み、注意深く扱ってるからこそ、私が安易にこの本の感想を言葉に落とし込んでしまうことに躊躇ってしまう。 どの話を読んでも納得するばかりで、ひたすら「言葉」についてずっと考えることになった読書時間だった。 特に印象に残ったのは、「ないもの」と言葉の関係について。 ない筈ではないのに言葉になっていないこと。 そして言葉になっていないから、ないものとして扱われてしまうこと。 2話で東日本大震災の際のことに触れて、「日本語には『人を励ます』という意味だけの言葉がない」という文章を読んだ時は確かにそうだなと感心しながら頷いただけだったが、その記憶があるまま16話の、ハンセン病の方が「川の字に寝る」という言葉を知らなかったというくだりで、本当に震えるくらい衝撃を受けた。 この方の周りには「ないもの」だから、「川の字に寝る」という言葉は存在しなかったのだという事実に、愕然とするしかなかった。 読んでいる間、こんなに「言葉」に対して誠実な著者ですら自分自身を省みて悩んでいたりするのだから、私はどれだけ麻痺しているのだろう、と改めて感じていた。 作中では今や生活にも欠かせないインターネット上での言葉に対して、著者が危機感を募らせている様子がいくつも出てくる。 今、色々な人の言説が溢れているSNSの代表的なものはTwitterで、この本の著者も恐らくTwitterを念頭に置かれている部分も多いと感じる。 基本的には140文字という短さで、しかもタイムライン上でどんどん流されていく中で、良くも悪くも人の目を留めさせるのは、短くて強烈な印象を残す、”強い”言葉なのだろうと思う。 ただ、SNS上で無造作に投げつけられている乱暴な言葉を、もし往来で叫んでいる人を見かけたら、大抵の人は眉をひそめて距離を取るのではないかなと思う。 それなのに、今やかなりの人が使っているSNSでは、そういった声が沢山の人の目に触れてしまうということを、改めて怖いなと感じた。 思考は言葉になり、言葉はいずれ行動になる、と考えると、まさに過激な言葉に慣らされている今、日々に不穏なものを感じる。 …と、この本を読んで、自分自身が思っていたよりずっと「言葉」に対して鈍感だったと痛感し、普段あまり考えなかったこんなことをつらつらと思い巡らせてしまった。 そしてこれからも考え続けなければいけないんだろうと思っている。
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本を沢山読めている訳ではないけど、今まで読んだ本の中で人に勧めたい作品を一つだけ選ぶとしたら、この本を選ぶと思う。
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私は昔から障害や病気を持った方達にあまり出会ってなかったため、その内実を考えたこともあまり無かった。 相模原事件など凄惨な事件も、どこか他人事で見てしまっていた節があった。 偏見という偏見も、同じ街に暮らす人という意識も、どちらもまるで無かったが、この本を通して初めてと言っていい...
私は昔から障害や病気を持った方達にあまり出会ってなかったため、その内実を考えたこともあまり無かった。 相模原事件など凄惨な事件も、どこか他人事で見てしまっていた節があった。 偏見という偏見も、同じ街に暮らす人という意識も、どちらもまるで無かったが、この本を通して初めてと言っていいレベルで深く考えさせられた。 自分の隣の家に急に障害者が引っ越して来られたら特に気にせず受け入れられるのか。 自信を持って"YES"とは言えない状態だったなと反省した。 施設でなく健常者(とくくるのも微妙な気がするが)の隣近所で区別されずに生きる方が生きやすいという考えを持った方もおられるのは想像しやさい。 そう言った考えを持つ人がいることを認識すること、役に立つ立たないなどで人の価値を測ろうとしないことなど、とても大切だと感じた。 また、著者は昨今の言葉の力、他人に圧力をかける言葉の軽んじられ方や、SNSで何かの要約でも一端でもない言葉(著者は"妄約"と言っていた。妄信的な要約の意)が飛び交っていることを危惧しておられた。 これまた考えたことがなかった… 人に"甘えるな"と言った言葉をかければ自分も甘えたくても甘えられない状況に陥り、鬱になったり諸々苦しむこともある。 いろいろ考えすぎてまとまらないが、今後も何度か読み返し、その時々で同テーマに関して考え直したいと感じた。
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感想 自分が見えていなかったもの。見ようとしなかっただけ。ニュースで語られる言葉からは何かがこぼれている。他人事と考える限り続く。
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言葉は人を傷つけ、言葉は人を守る…一瞬スッキリする他人を刺す剣のような言葉が溢れるかえる今、なんとなくモヤモヤしているけど刺されることを跳ね返す盾のような言葉たち、いや防御というよりもやもやを許さない社会に切り込む言葉たち、それが「まとまらない言葉を生きる」です。それはハンセン病...
言葉は人を傷つけ、言葉は人を守る…一瞬スッキリする他人を刺す剣のような言葉が溢れるかえる今、なんとなくモヤモヤしているけど刺されることを跳ね返す盾のような言葉たち、いや防御というよりもやもやを許さない社会に切り込む言葉たち、それが「まとまらない言葉を生きる」です。それはハンセン病の患者や障がい者や女性や差別を受けてきた人々の異議申し立ての言葉たちです。だから「まとまらない言葉を生きる」として本にまとまる前のデジタルメディアでの連載のタイトルは「黙らなかった人たち」。力強い言葉集であると同時に、社会の全面には出てきていないけど力強く顔を上げて生きている人々の列伝であり、人生の束でもあります。さらにはその言葉に激しく反応してきた著者の歴史でもあります。先日、車椅子テニスの金メダリスト国枝慎吾選手の引退がメディアで取り上げられていましたが、彼のようなスーパーヒューマンだけでなく、本書に出てくる普通に生きようとしている人々の声をどれだけ聞けるか、心揺れました。その真摯さは2016年の相模原障害者施設殺傷事件の犯人の感覚を自分と地続きで考える著者の態度にも表れています。それこそ「共生」とか「利他」とか流行りの要約言葉で考えた気になっていないか…自分を鑑みてしまいました。コスパ、タイパで生産性を急き立てられる社会を生き抜く叡智の詰まった本でもありました。たまたまテレビで語られて気になった本ですが読めてよかったです。
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何度も繰り返し読みたい本。心に響く言葉がたくさんあった。それに付随して自分が見えていなかった世界が少し広がったように感じる。
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※このレビューにはネタバレを含みます
読みやすい語り口。障害者運動やハンセン病患者との関わりを通して、被差別者の言葉を聞いてきた作者が、現代の「言葉が壊されていく」現状に警鐘を鳴らす。「生産性のない人たち」って何なのか、だったら「生産性がある人」って何なのか。無駄な延命って何なのか、だったら生きるに値する命と値しない命があるということなのか。この発想は自己責任論と同様、自分に跳ね返ってくる。あなたは、役に立つ人間なのか?あなたは、生きるに値する命なのか?相模原事件の犯人に共感する声がネット上に溢れる。誰しも全くそうした差別から無縁な清い心を持っているわけではなく、自分もその地平上にはいるのだろうが、自分は正しいと過信し、そうでないものを排除する視線は、どちらのサイドでも同じく危険なもの。誰もがグラデーションの中にいるのに、それをどちらかに分けてしまうことで対立を深めるという、『死にがいを求めて生きているの』の言葉を思い出す。分かりやすく、正解を求めて、世の中を単純化していく言葉は暴力になりうる。要約できない、まとめられない人生。相手に伝わるように祈るしかない、まとまらない言葉。そのまどろっこしさを大切にしなければならないと思った。
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